誰も追いつけなかった人
ふと、NHKを観たら。
様々なアーティストが中森明菜の曲をカバーしていた。
彼女に対するそれぞれの熱量が、カバーするというその重みが
長雨の夜に響いてくるようで心地よかった。
中森明菜
今でこそ色々な人がその才能と存在について語る人。
彼女は確かにアイドルとしてデビューした。
1982年デビュー。関係ないけど私の2つ上。
私が中学三年から高校に上がる頃彼女はデビューし、その二年前にデビューしていた松田聖子の圧倒的な存在感に迫っていった。
東大和市の高校に通っていた当時の私にとって、近所であるはずの清瀬市は彼女の実家がある特別な街だった。
確かにデビュー当時彼女はアイドルだった。
そしていつからか、その存在はアイドルを越え、
またアイドルの意味をどんどん変えていってしまった。
同期のアイドルは到底追いつかない。
歴然としていた。
彼女はアイドルから歌手と呼ばれ、シンガーと呼ばれ、アーティストと呼ばれ、表現者と呼ばれ、とうとう中森明菜以外の呼び方がわからなくなったような気がする。当時の世間の音楽知識、カルチャーの熟成度合い、知識人たちの言葉。お茶の間同様彼女に追いつけなくなるのだ。
そして実は、彼女を生み育て進化させていくはずのレーベル、事務所等の身内の大人たちも置いてけぼりをくらうようになっていく。
だから彼女は、誰も耕しも均しもしない大地を
草も木も岩もさえぎるままの道なき道を一人でかき分けながら進んでいく。
誰も追いつけないということは、他人から見れば「凄いなあ」だが
本人は誰の力も借りられない。
両の手が折れるまでそのかき分けるような歩みを止められない。
なんと孤独な歩みだろうか。
それはかつて、命を削りながら言葉を紡いだ詩人みたいじゃないか。
小林秀雄が息を切らしながら中原中也の背中を追いかけたようなものだ。
小林秀雄ほどの智をもっていればそれですむが
世間は中森明菜に会えなくなるまでその彼女の凄さに気づけなかったのだ。
本人のそのあまりに孤独な歩みと
彼女を愛してやまないのに
一度たりとも手が届かずに40年以上の時間を過ごしてしまった人々のやり場のない思いと失ってしまった語るべき言葉の数々。
だからこそ
人は皆、中森明菜の記憶をかき集めるのだろう。
番組ではJUJUがDesireを歌っていた。
彼女をもってしても、あの声だけではない「高み」に届かない。
水樹奈々がセカンド・ラブを歌っていた。
彼女をもってしても、人の感情と血の通った肉体の温かみと厚みには足りない。
怒髪天の1/2の神話は最高だったけど意味が違う。
いけない言い方だが
カバー特集を見ていて愕然とする。
ある方向性で特化された歌手がアーティストが
その特化しているはずの部分でそれぞれ届かないのだ。
その岩だらけの頂も
強風に吹き飛ばされそうな断崖だらけの頂も
雪深い頂や酸素の薄い頂も
彼女は全て登り切り
その中の一つを選んだ山登りにすら登れない高みまで達していた。
時々思う。どうして今、彼女の姿を見ることができないのだろうかと。
彼女ならいつでも一番前を歩いていてくれる。
ちょっと甘えすぎた罰なのだろうか。