書くの遅くてすみません。田中選手の話、続きです。

前の記事はこちら。


その後フラット氏がBTMの記事を送ってくださったので、その経緯を含めてご紹介しておきます。






(BIG TANKさんガンガン記事引用してすみません。できれば皆んなに読んで欲しいくらいです)byフラット氏


私も同じ思いです。
なのですべてを ↓ のような形で残したいですが、申し訳ないのでやりません。
読みたい方はフラット氏のポストをタップして、目を凝らしてお読みください。



あるいは、BTMにバックナンバーが残っていたりするでしょうか?
問い合わせの上ご購入されれば、詳細を読めると思います。



※BTM(BIG TANK MAGAZINE)をご存じない方のために少し書いておきます。ご存じの方はここを飛ばしてください。


BTMは北海道在住の春木久史氏が主宰する冊子で、創刊はたしか90年代だったよなあ?と思い出してたんですが、検索したら出てきたのでご紹介。

A4版 フルカラー 68ページの専門誌です。(2014年8月号までは32~40ページ仕様)

1998年7月創刊 月刊のエンデューロ・ラリー、長距離ライディング専門の情報誌です。お求めはオンラインショップからの直接購入か、全国130店舗のリテイルショップにて。

オンラインショップはこちら
http://btmshop.cart.fc2.com/?ca=all&sort=5

ビッグタンク編集室 発行人 春木久史
〒064-0944 札幌市中央区円山西町7-7-9

PHONE.011-621-8977 FAX.011-621-8999
Eメール bigtank66@gmial.com

(上サイトより引用)

問い合わせ先もありますので、これで注文できますね!




「A4版 フルカラー 68ページ」とありますが、当初はモノクロームで20ページ強だった記憶です。それで400~500円くらいじゃなかったでしょうか。(転勤のたびに処分してしまったので私の手元にはありません。)

「エンデューロ・ラリー、長距離ライディング専門の情報誌」なのでBIGTANKと名付けた、と発行当初に読んだ記憶があります。

オンラインでポチることも可能ですが、お近くに「全国130店舗のリテイルショップ」があるなら、手に取って記事を確認してから購入することも可能でしょう。

高知だとてんちょー氏がリテイルショップをなさってましたが、少し前に閉店なさったので在庫はどうされたかなあ。





ここから話を戻します。


(下記サイトより引用)

日本人とエルズベルグロデオ

2010年、田中太一がエルズベルグロデオの本戦に日本人として初参戦、予選で失敗して5列目スタート。圧倒的に不利な状況から13位での完走は、世界を震撼させる。エルズベルグの事務局、ならびにKTMの記憶にしっかり田中の姿が焼き付く。日本からは、当時オフロードwebメディアで日本最大のdirtnpホッパー氏が同行。

2011年に7位、2012年に5位(河津浩二も参戦、DNF)。この年、誰もジャーナリストが付いてこなかった現実に、田中は激怒。2013年から、僕稲垣が同行して7位(3人目の水上泰佑が参戦、DNF)。2014年、最後の参戦を発表するもののDNF。2015年には田中の意思を引き継いで矢野和都が参戦するもののやはりDNF。

で、5人目の挑戦者として2018年の今年、石戸谷蓮がチャレンジする。


この年、誰もジャーナリストが付いてこなかった現実に、田中は激怒。


私が記憶してたのはこれ ↑ ですね。
あと、田中選手のブログかインタビュー記事あたりをネットで読んだ記憶もあります。(うろ覚えですが)


第1回目の挑戦には、
「日本からは、当時オフロードwebメディアで日本最大のdirtnpホッパー氏が同行。」
とあるので、ダートヌポーツでレポートが読めたはずです。

※ダートヌポーツはダートスポーツではありません



https://tomosukesano.jugem.jp/?eid=256  のサイトよりいただいた写真です。


あの当時のネットは今ほど普及していませんでした。しかし、ネットの速報性とダイレクト感に、紙メディアが急速に色あせてきた時代です。
通信料が定額やら低額になり、パソコン通信時代に比べたらアクセス数もうなぎ上りだったはず。それなりの人が吉報に触れたと思います。



上の記事によると、その後の2回にメディア同行がなかったんですね。
(でもBTMでレポートは読めた、と。)

春木氏は世界各地にツテをお持ちなので、現地カメラマンから写真を買い、聞き取りをして記事を書く・・・・なんてお手の物だったと思います。
トシ西山氏以降の日本人が初めてISDEへ行ったときも、春木氏がいろいろお手伝いなさったと雑誌に書いてありましたし。


しかしBTMは、フラット氏が「コアなおっさんしか知らない」と仰るように、あくまでもマイナー専門誌。

発行部数は知りませんが、本屋に並ぶダースポはじめ、他オートバイ雑誌に比べたら、微力の印象があります。
「コアなオフロードフリーク」への影響力は絶大でしたが、一般的なオートバイファンの目に留まるポジションではありませんでした。

田中選手が激怒なさったというのは、「ダートスポーツやらガルルやら、メジャーどころでオフロード雑誌と謳っておきながら取材に来ない」という点だったのかもしれませんね。
(ただ、あの頃の雑誌はすでに往時の勢いはなくて・・・・)


しかし。
今の私たちの感覚からすれば「え?取材に行かなかったの?!」と驚きますけど、あの当時の「日本におけるエルズベルグの認知度」を思い出すに、

経費と日数をかけて取材に行っても読者を獲得できそうになかった

というのが雑誌の本音ではないでしょうか?


ここらへんは、あなたの周囲の年配者に聞いてみたらいいと思います。当時の空気感を覚えている方は、まだ多いはずです。


参戦するほうもそうですが、海外取材はコストが掛かります。
やりたいこととできることが合致しないのは、どんな仕事も変わらないと思います。たとえ趣味の雑誌だとしても。


とはいえ、こうした経緯があったからこそ、「5人目の挑戦者、石戸谷蓮」(下記サイトより)氏は、最初からメディアの随行を得られました。

石戸谷氏だけではありません。たとえば今年参戦の藤原氏、吉良氏、大神氏、大山氏らは、当然のように取材を受けられました。先人(田中選手)のおかげです。

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