アメリカかぶれのオイラとしては と パワーエンデューロ と ノリック

みんな忘れてるだろうけど、と書き出しの文句をひとつに決めたのは、中尾省吾さんのまねだ。中尾省吾さん、通称てっぺー。モトパワーのパワーエンデューロでMCをやってる人。といえば ああ、あのひと!とわかる人もいるだろうか。

MCだけじゃない。カメラマンでライターでエディターでプロデューサーでコーディネイターでタクシードライバー。多才な人。今もバイクレースの写真を撮ってるし、最近だと二人展という展示会を行っている。年に4回発行のSOBマガジンも作っている。変わったところでは、グアムでタウン誌づくりをしてたとも聞いた。

二人写真展 The RIDERsⅢ
https://event21.co.jp/ibekatu/user/0011591.htm
針テラスで今度の日曜日までやってるね。回覧無料だそうだ。幼さの残るノリックの笑顔があるな。近くの人、この週末はぜひここへ。

※この記事は2021年4月に書かれた記事です。二人展は終了しました。

中尾さんのステマ
http://nakaoshogo.com/
https://twitter.com/SobTeppey

パワーエンデューロって何?という人はこちら
http://motopower.jp/

モトパワーという横浜のバイク屋が1984年から主催してる8時間エンデューロで、夏の暑い時期にやる。
開始当時は今よりずっと鈴鹿8耐が熱かった時代で、エンデューロもブームだったから、オンロードの鈴鹿に対してオフロードの8耐として位置づけられていた。イベントの集客人数はダンチだから、相手(鈴鹿)はこっちを知らなかったかもしれないが。

店のお客さんがスタッフで続けてきたが、近年は店主も客も高齢化が進んで人手不足。毎年マーシャルを集めるのに苦労してるので、興味ある人はお手伝いできるか聞いてみるといい。
ツイッターアカウントはこちら。
https://twitter.com/powerenduro

ただ、イベントアカにありがちなことだが、めったにアカウント開かない可能性もあるんで返事は気長に待ったほうがいいかもしれん。

パワーエンデューロは、宮城の川崎でやってた時代もあるが、モトパーク森やF2小湊、SUGOなどあちこち移り、近年はチーズナッツパークが続いてる。
F2小湊は閉鎖されているが、それ以外は走れる(SUGOは条件付き)。コースがわかるようにしておく。

モータースポーツランド川崎
https://offgames.net/course/detail/22

モトパーク森
https://www.tif.ne.jp/riders/course/disp.html?id=4

F2小湊(こみなと)
https://offgames.net/course/detail/43

SUGO
https://www.sportsland-sugo.co.jp/

チーズナッツパーク
http://c-n-p.jp

モトパワーが実店舗を閉めたときにレースも一度終了したが、JNCCが8時間エンデューロを継承すると発表してから うちの看板勝手に使うのか? 聞いてねえぞ? とスッタモンダがあって、翌年にレース再開。昨年はコロナで中止になったが、今年は開催されそうな雰囲気だ。期待してる。

そういえばJNCCのほうの耐久は2年ほど開催されたが、コースの荒れがひどかったからか、思ったより手間がかかったからか、いつのまにか無くなっちまったな。あれはあれで楽しかったんだが、もう再開されないんだろうか?

中尾さんは以前、ライディングスポーツというバイク雑誌で1万円コラムを書いていた。見開き2ページを4分割して毎月4人がコラムを書く。1/2ページの原稿料がちょうど1万円だから1万円コラム。
そう説明してたのも中尾さんじゃなかったか。記事の中で自分の取り分暴露。(笑)

書いてる人はほぼ決まってたと思うんだが、俺は中尾さんしかはっきり覚えてない。あと土志田彰さんとかも書いてたかなあ?もしかして八代俊二さんあたりもいたかもしれない。

なんで中尾さんだけしっかり覚えてるかといえば、よくもまあこんなどうしようもないネタを思いつくなって内容を毎月載せてた(褒めてる)のと、その合間にぐっとくるエピソードが入ってて、今で言うギャップ萌え要素たっぷりでおもろかったんや。

他の人のは役に立つ内容にしようってスケベ心が感じられたが、中尾さんのにはそれがなかった。だってよ、歯ブラシを箱買いして毎日くわえて生活してます、それはダイエットのためです、くわえてるとこんな生活になります、体重落ちました。とかさ。そんなん誰得なんだって話。これがほんとに立派な雑誌に掲載されてたんだから笑う。ライスポはサイクルサウンズと比べると全日本とか世界戦寄りでハイソ系だったから、なおさらだ。

かと思えば阿部典史選手の保護者として渡米したときのエピソードとか嚙ませてくるんだ。

阿部選手はポケバイ、ミニバイクから頭角を現して地方選手権を経て全日本へ行く。そのころ、一流になるためにはダートトラックの経験がいいだろうと、お父上が米国に武者修行に出すんだ。知ってる人が多いと思うが、阿部選手のお父さんはオートレーサーだからね、蛇の道は蛇だったんだろう。
その時、未成年だった阿部選手に中尾さんは同行して生活の面倒を見た。バイク業界に顔が利いて、英語ペラペラで、アメリカンにも負けないオシの強さを持ってて、面倒見のいい性格。こんなに適任だった人はいないと思う。そして中尾さんは、その時のいろんなエピソードをコラムでおしゃべりしてくれた。

ここから先は

1,298字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?