「よく知ってますコア層は総じてパジェロが活躍していた20年以上前からほとんど情報がアップデートされていない」

というポストを見かけて、耳が痛くなった私です。
というのも、南米に移ってからというもの、(私にとっては)パリダカがパリダカでなくなってしまったからです。

ル・カップの頃からなんとなくその気はあったのですが・・・



ちなみに、タイトルに使わせてもらった「 」は、こちらのポストから頂きました。


そして先日、同好の士?を見つけました。






夢はなくなりましたよねえ。プロ化が進み過ぎて庶民の手の届くものではなくなりました、パリダカ。
いえ、もともと庶民には高根の花ではあったんですが。


そして、メオーニの死によって進んだ二輪部門の排気量制限。

(下記サイトより引用)
相次ぐ死亡事故を重く見たダカール運営は、2006年から二輪部門の最高時速を150km/hに制限した。



当時のラリーシーン(2輪)は過半数がKTMでした。


でも私は「それ以前」の、いろんなバイクが集まっていた頃のラリーが好きでした。
なにしろ「走るものであればなんでもOK」から始まってるんですからね。





2輪部門では第4回大会に日本人初参加、賀曽利隆氏と風間深志氏。
顛末について賀曽利氏が記録なさっています。





この時代のパリダカは、今から見るとどこか牧歌的な感があり、シンパシーを感じます。それは単に私が古い人間だから・・・というだけでなく、「もしかしたら自分の愛車で走れるかもしれない」可能性を秘めていたからだと思っています。


だからといって「昔は簡単」だったわけでは、決してありません。
ほら、ずっとシーンをご覧になってきた方もこう仰ってます。

ダカールを語る上で『今回はとにかく過酷で大変だった』というワードが毎回のように出てくるのですが、いまが大変で昔が大変でなかったという話ではないです。

(下ポストより引用)

ただ、過酷さや大変さが変化していて、いまはとてつもなく競技レベルが高くなり、ルートが厳しくなっているというのは事実です。


(上ポストより引用)



そんな、とんでもなく高度なレースに挑戦なさっている方々に心よりエールを送ります。(もうすぐゴールです!)

リアルタイムで結果を見たい方は、下ポストで紹介くださっているサイトやアプリから、ぜひ!




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