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海外旅行中にクレジットカードが限度額に達した話@キーウエスト

基本的に一人で旅をすることが多いが
時には二人以上で旅をすることもある。

人口1000人に満たない山間の村出身の友人が
一度世界を見てみたいとのことだったので
めずらしく二人旅をすることになったときの話。

当時はインターネットはまだピーガー音を立てながら
接続する時代だった。ISDNとか若者は知らないだろ。
だから情報収集はもっぱら書籍からとなる。

お互い書籍を読み漁り、合意を形成したのは
「ソウル発世界一周航空券による2週間の旅」だった。

ソウル発となるのは、ソウルの旅行代理店が
日本では販売されていないような航空券を出していたからだ。
シンガポール航空使用という縛りがあって、
完全に世界一周はできないのだけれど、
10万円程度だったような気がする。

シンガポール航空の路線網を利用したもので、
1.ソウル→サンフランシスコ
2.ニューヨーク→アムステルダムorフランクフルト
3.ヨーロッパのシンガポール航空就航都市→シンガポール
4.シンガポール→ソウル
という4区間の航空券で構成される。

もちろん日本からソウルまでの往復航空券や、
アメリカ大陸横断は別途手配する必要がある。
私と友人は書籍を片手に旅程を決め、
航空券の手配が終わるとホテルの手配をした。

ホテルの情報も書籍からである。
インターネットはないも同然の時代なのだ。
当時はJHCという会社が海外ホテルの情報を冊子にまとめ
円建てのクーポンとして販売していた。

冊子の中からホテルを選び、JHCに連絡をする。
JHCにホテル代金を支払い、後は現地に行くだけでいい。
英語の苦手な私たちが日本語で予約を完結できる
語学弱者救済のホテル予約システムだった。

一方で、泊まりたい都市のホテルが一軒たりとも
JHCの冊子に掲載されていないという場合もあった。
そのとき頼りにしたのはヒルトンホテルである。

ヒルトンは世界各地に展開してるチェーンホテルだ。
そして、日本語デスクを用意している。
JHCの冊子にはないアメリカの小さめの都市に宿泊したければ
ヒルトンの日本語デスクに連絡してホテルを予約、
支払いは現地、という流れで完了できる。

航空券全般は私が二人分を予約購入、
ホテル全般は友人が予約購入という分担作業で
最後に計算して等分しようということで合意。

いざ出陣。
日本→ソウル→サンフランシスコ→ラスベガスと、
各都市で観光をすませ、ラスベガスからは
フロリダ州オーランドまで一気に大陸横断。
アメリカの国内線は今はなきアメリカウエスト航空。
日本の旅行代理店で事前に予約購入済み。

オーランドからはレンタカーでフロリダを南下。
時速60kmの割にはなんかスピード感があるよな、
さすがアメリカ、とかなんとか二人で盛り上がっていたけど、
それが時速60マイルの速度であったと気づいたのは後の話。

フロリダ州の最南端はフロリダキーズ Florida Keysと呼ばれる
小さな島々が200kmほど連なり橋でつながっている。
その最南端の中の最南端、200kmの一本道の突き当りには
キーウエストと呼ばれるリゾート地がある。

キーウエストでは1泊の予定。せっかくのリゾート地である。
奮発してヒルトンを予約していた。
チェックインプリーズ。
レセプションのアメリカ兄貴が私たちの予約を確認し、
私のクレジットカードで支払い手続きを済ませようとするが。

「このカード、もう限度額に達しているみたいだYO
きっと使いすぎたんだYO HAHAHA」
アメリカンジョークは今日も冴えている。That's so cool!
いや、ジョークではなさそうだ。HAHAHAと笑えない。

私も友人も若かった。
私はクレジットカードはその1枚しか持っていなかったし、
友人はクレジットカードは借金地獄の入口という信念があり
ニコニコ現金払いを貫く主義であった。

今でこそ私は複数枚のクレジットカードを所持しているし、
その与信枠はカード1枚300万円とかで不必要なまでに高額だ。
だが当時の与信枠は30万円とかそのあたりだったと思う。
二人分の航空券を購入しているうちに、
知らず知らず限度額の30万円に近づいてしまっていたのだ。

また、私は無知だった。
与信枠が30万円なら、毎月30万円まで使えると思っていた。
1月に25万円分カードで支払いをしたのなら、
2月はまたゼロからカウントして30万円分使えると思っていた。

厳しい現実を思い知らされたフロリダ州キーウエスト。
ヒルトンのロビーで友人と緊急会議を開催。
手持ちの現金を使用して宿泊できないこともないが、
そうすると残りのアメリカ旅行に支障がでそうだ。

手持ちの日本円をどこかで両替して
USドルを手にすることはできるが、
今後のヨーロッパ旅行に支障がでそうだ。

クレジットカードは使用不可能。
手持ちの現金は限りがある。
そして今後も世界一周旅行は続く。

ヒルトン滞在、キャンセル決定。
キーウエストの観光案内所で
一番安いホテルを教えてくれと懇願し、
民家の離れみたいな狭い部屋に泊まった顛末。

その後もマイアミとニューヨークを観光したのだが、
レストランに行く資金の余裕は残されていなかった。
幸いホテルは事前払いで朝食付きで予約していたため、
一日分の栄養をなるべく朝食時に摂取しようと
尊敬する赤阪尊子女史のごとく我々は朝から食い倒れた。

識者の皆さんはお気づきでしょう。
カード会社に連絡をすれば、一時的に限度額を上げられると。
どうしてカード会社に連絡をしなかったのだと。

それは運悪く年末年始でカード会社が休みのタイミングだったからだ。
1999年12月31日、ニューヨークの人々はタイムズスクエアに集まり
新年のカウントダウンをし、2000年1月1日を迎えた。
空から舞い散る紙吹雪の中、私たちはそこにいたのだ。

2000年問題というのがあり飛行機が飛ぶのかどうかわからなかったが
社会的に大きな混乱はなく、1月2日ニューヨーク発のシンガポール航空便は
無事に飛び立ち、翌3日朝にはアムステルダムに到着した。

アムステルダムで日本のカード会社まで国際電話をかける。
日本語が通じる安心感。そしてクレジットカードという
経済的セーフティーネットが復活する安心感。
蜘蛛の糸が天からするすると下りてきて
資金の枯渇に怯える地獄から私たちは救われた。

友人は世界を見たいと言っていた。
2週間の世界一周で見えた世界は
地獄の沙汰も金次第という現実世界だった。


ま、海外旅行の際には資金に余裕をもっておけという話です。
ニューヨークで泊まったホテル「Algonquin」の
朝食のクロワッサンは大変おいしかったので、
ハンドプレスしてからポケットに次々と押し込み
勝手ながら私たちの非常食とさせていただきました。








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