宇津宮明星の独リ言その2 〜わたくしとdewey delta 前編〜
わたくしがdeweyに携わり一年が経とうとしている。
最初にdeweyを見たのはいつだったか。
2014年ごろから知り合いがdeweyの名を出すことがたまにあったので名前だけは存じていたが、謁見したのはとある友人がLiveをするというので見に行ったところ対バン相手として出演していたのが最初だったような気がする。その時にはレンダのハコ氏、メテオールのヒロック氏、そしてまだdeweyに加入していないハッチャキ氏がいたことを記憶している。
そしてそのLiveタイトルは“反安静療法”だった。
その後、ひかりのうまにて開催された東京電極にて再びdeweyを謁見した。
この時も、何の縁か、まだ加入していないハッチャキ氏がいた。
ハッチャキ氏とはわたくしが18歳くらいの頃に車ネタから知り合った。ご存知の方も多いと思うが、ハッチャキ氏は海外製のクラシックカーを多く所持しており、日本車に限定するが車が好きであったわたくしの興味を引いた。後に音楽関係にも共通点があり、紆余曲折を経て現在に至る。
そしてdeweyのお二人とわたくしが初めて言葉を交わしたのは、dewey deltaが試験的に始動したチャキテク!の時だった気がする。
その時わたくしは加藤ヒロユキ氏率いるHAというバンドの手伝いで会場にいた。
あまりその時の記憶はないが、ハッチャキ氏の放漫・横暴な態度と比べるとdeweyのお二人はとても腰の低い人たちだなあという印象はあった。
しかし人間というものには裏のツラがあり、その更に裏は表ではない。
物腰が柔らかくとても紳士的なお二人の裏の裏はあるのだろうか。
漠然と思っていたところ、ハッチャキ氏からお声がかかった。それが2019年12月の話だ。
わたくしはその話に喜んで、ハッチャキ氏から指定された都内の居酒屋へ向かった。
しかし店舗の場所がわからず、外で右往左往しているとハッチャキ氏が現れ店舗まで案内された。店員に指示された席を見るとそこにはtaira氏が先に座っていた。
スーツのジャケットを腕に抱え、黒いベストに白いシャツ、黒パンツの出立ちで、わたくしの苦手とする“エリート”を体現していて、当時はとてもその姿に威圧感を覚えた。
taira氏がこちらに気づいて立ち上がり挨拶をする。釣られてこちらも会釈を返す。そしてエフオピ氏を待った。
その間、何を話していたか覚えていない。緊張のあまり黙っていたかもしれないし、壊れた玩具のように喋り倒していたかもしれない。
到着したエフオピ氏は烏龍茶、taira氏とわたくしは問答無用でアルコール、この日は電車で来ていたハッチャキ氏も珍しくアルコールを(度数は低かったが)頼んだ。
既にグッズの展開を提案していたことは覚えている。MacBookを持ち込み、それこそSetter Litirの歌詞カードの原案となったものを、サンプルとしてお三方へ見せたのが最初であった。
(photo by 弓削ヒズミ)
MacBookを取り出す際に机の角に激しくぶつけたこと、エフオピ氏がお茶目な失敗をしたことははっきりと覚えている。全員で笑った。このことは後でツイッターにでも書こうかと思う。
そしていつものように年は暮れ、そして、いつもとは違う年明けが、新型コロナウイルス感染症の足音と共に、粛々と迫っていた。
続く