宇津宮明星の独リ言その3 〜わたくしとdewey delta 後編〜

とにかく無性に頑張りたがる性格なのだ。最初はグッズのデザインから始めた。

最初に作ったのは確かアクリルキーホルダーだったような気がする。初期デザインはあまり好評ではなくボツになったが、何故かメンバーの要求により後にデザインを一新して復刻した。それをtaira氏が自らのキーホルダーの仲間に入れてくれていることをわたくしは知っている。

グッズ考案と同時進行だったのがロゴ作成だ。決まったロゴがひとつでもあればグッズが作りやすい。
MacBookとスケッチブックとiPadを往復し、当時はまだ慣れないillustratorであーでもないこーでもないとこねくり回していた。
目標5つ。
年明け(確か1/16)にリハーサルにお呼ばれし、これはいい機会と思いまだこの当時は余所々々しくわたくしと微妙な距離を測りながら接していたdeweyのお二人へ、リハーサルの休憩中のタイミングでロゴデザインの試案をお見せした。

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その時、ハッチャキ氏がtaira氏に言った。
「deweyっていうのは、絶対に小文字なんだよね?」
知らなかった。それなら最初からそう言ってくれ。
これで二つぐらいボツになる。
エフオピ氏とtaira氏がロゴ試案を見つめ、別のロゴを重ねてとか、色を変えてとか、散々悩んだ挙句、
「三つ巴、いいですね。」
エフオピ氏の放った一言で、ロゴは決定した。

そしてウェブショップの開設。
最初は別のウェブサイト作成サービスと想定して作成していたが、作成の途中報告で同一サービスだったことが判明、後に統合し、ウェブサイトの管理も併せて任されるようになった。

3/14の西荻窪FLATでのLive終了後を皮切りに、新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい始めエフオピ氏やtaira氏には在宅勤務や外出禁止が発令され、気軽に打ち上げやLive等ができなくなった。
これは困った。
しかし周囲が配信をやたらとやっているのでzoomでの飲み会を配信してみるのはどうかととりあえず提案した。
とはいえ、好きに話をしてくださいとほったらかしにすると機材がどうたらとか、次回のLiveがとか、新曲がとか、あまりお客様がわからない、お客様に漏れてはいけない情報がウッカリ流れてしまうかもしれない。初めての試みだし。
という心配もあり、進行表のようなもの↓を用意したこともあった。

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こういったことは全員が揃わないとできないため最近はやらなくなってしまったが、また機会があればやりたいと思うし、どうせならzoomじゃない、直接対面で揃った時にも配信をやりたいと思う。

5月にはレコーディングもした。ドラムはLuise、回転プロトコル、それとあともう一曲くらいやってた気がする。
この頃は6月に迫っていた“呼吸するシークェンス vol.3”を、有人開催するのか、無観客配信なのか、人数制限開催なのか、それとも中止か延期なのか、をなかなか決められておらず、とてもピリピリしていたのを記憶している。
club Queで新型コロナウイルス感染症のクラスターが発生したともなればこの時世、インターネットによってライブハウスから出演者から出演者の家族まで袋叩きに遭うことは火を見るより明らかであった。マネージャーとしてそれだけは絶対に避けたい、出演者もライブハウスも絶対に守りたいという思いが強く、この件では主催のハッチャキ氏とは度々衝突し、エフオピ氏とtaira氏には迷惑をかけたと思って反省している。

このLiveは無観客有料配信という形で遂行し無事終了できたが、それ以降はやはりライブハウス側もバンド側もクラスター発生のことを思うと億劫だったのか、声がかかることもなかったし、こちらから積極的に行動することもなかった。

その間、dewey deltaとしてはアルバム作成に精を出した。
わたくしはデザイン諸々全て引き受けて、メンバーにはほぼ音楽にのみ集中してもらった。
taira氏が作業構成図を作成し、それによれば当初の予定は11月末リリースの予定だった。それも、アルバム作成作業中に間に合わないと嘆きながら。(6/29時点)

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それが蓋を開けてみると1ヶ月も余裕があった。これも外出自粛とメンバーの作業の速さの賜物だと思う。
そうして無事に先月、アルバム「Setter Litir」がリリースされた。
アルバムリリースパーティの「第七プロトコル」もよろしくお願いします。

ちなみにアルバムタイトルはcinq to cinque→setter letter→Setter Litirと決まっていった。

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しかしわたくしは未だにこの計算式が理解できていない。taira氏、これはどういうことなのでしょうか…。


それはさておき、2020年は新型コロナウイルス感染症の騒動でLiveも少なく、周囲も困惑しながら右往左往する中で時間の感覚も狂っていて、こうして書き出しても何をしていたか細かくは記憶できていない。

本当は、2020年は京都、名古屋、東京のツアーをやろうなどと画策していたこともあった。当のお三方はそれを考えていたことも忘れていることだろう。


そして一年が経とうとしている今、わたくしは未だ彼らの裏の裏を覗き見れていない。

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