Residuals

プラトンは、人が想起し得る事物そのものの純粋を「イデア」と呼びました。そのイデアに対して究極に漸近的な可能体が唄う歌は何だろうか。
そんなことを考えた2015年当時に作成したdewey 1stフルアルバム「提唱録 壹」での初出から、足掛け5年を迎える曲です。

『論理哲学論考』の中で、ウィトゲンシュタインは以下の命題を用いて世界を定義しました。

1  世界は成立している事実の総体である。
1.1  世界は事実の総体であり、ものの総体ではない。
1.11  世界はすべての事実によって、そしてそれが事実のすべてであることによって、規定されている。
1.12  なぜなら、事実の総体は、何が成立しているのかを定めると同時に、何が成立していないのかをも定めるからである。

この命題と、あまりにも有名な末尾の警句「我々は、語り得ぬものについては沈黙しなければならない」に心囚われた中二病者は枚挙にいとまがないでしょう。
私も暗黒の青春時代にこの本を読み、かっこいい!ロック!と興奮し、気が付けば数十年、同じようなことをこねくり回しています。
この、あまりに精妙な思索に対する、私の稚拙な解釈と妄想を、冒頭の夢想によってふと2015年に結んだものが、楽曲Residualsです。

前作「提唱録 弐」の特設ページに記載した元々のモチーフを以下に転載します。

世界の最前に表出しているものは常に生起された出来事との残差であり、
その残差は瞬く間に「差分」として蕩尽されていきます。

残差達 (Residuals)は、決して邂逅し得ない差分達 (Differences)の寧静を願いながら、世界へ表出しようとする自らを壮行します。
その有様をイメージしました。

「世界の最前」とはイデアのことであり、上述のモチーフは、決してたどり着き得ないイデアを目指そうとする、分の悪いレースに挑む可能体を擬人化したものです。

エマニュエル・レヴィナスは『全体性と無限』の中で、主体とは他者との関係性においてのみその意味性を規定されるものであり、他者から常に遅れて生起されるもの、と記しました。

ウィトゲンシュタインの「世界」とレヴィナスの「他者」、そしてプラトンから受け継がれる「イデア」は、おそらく同義と捉えることもできるでしょう。その意味において、理想の自らを規定する世界を渇望しながら、世界を辿ろうとすること。結果として、それは人の在り様そのものと言い換えられるかもしれません。

つまるところ、この楽曲は人間の歌なのでした。


(※)本記事中に登場する書籍・概念・用語等に関する記載はすべて著者の独断・憶断に寄るものであり、その内容に一切の正確性を担保しません。

(taira)



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