幸せが持つ破壊力。「伝える」ではなく「伝わる」もの。
私には伝えたいことがたくさんある。
だから、こんな風に文章を書いている。
でも、本当に伝えたいことは「伝える」という行為なんて関係ないのかな、と思ったり。
結婚式のときの写真
先日、たまたま自分の結婚式のときの写真を見返すことがあった。
なにかきっかけがあったわけじゃない。本当にたまたま、iPhoneのカメラロールをスクロールしていたら出てきたのだ。
普段ほとんど写真も撮らず、撮られもしない私だけど、結婚式の写真だけは300枚近くもある。
弟をはじめ、親戚やプランナーさんまでもが撮ってくれたものだ。
最初はなんということもなく「懐かしいなぁ」ぐらいの感覚で見ていた。
ところが、そのうちあることに気づいたのだ。
写真に写っている誰もが、圧倒的に幸せそうだということに。
その日、もしかしたら悩みを抱えていた人もいたかもしれない。
本当は仕事に追われていて、私たちの結婚式どころではなかった人もいたかもしれない。
もっと言えば、いやいやながら結婚式に参列した人だっていたかもしれない。
それでも、写真に写る人々の顔は笑顔だった。
幸せが写真から溢れ出していた。
圧倒的な幸せ。
私は写真を見ながらそうつぶやいた。それぐらい圧倒的だったのだ。
幸せが持つ破壊力
誤解していただきたくないのだが、今の私が幸せでないわけではまったくない。
幸せである。とても幸せだし、満たされている。
でも、今回見た結婚式の写真には圧倒された。
もっと言うと幸せが持つ破壊力の凄まじさを感じた。
たとえば今、「あんまり幸せじゃないなあ」と思っている人がいたとする。
その人に対して「私こんなに幸せ!」なんてアピールしても相手は辛いだけだし、むしろ追い詰められてしまうだろう。
反対に「幸せなんて心の持ち方ひとつだよ」と正論をアドバイスしたって、相手の心には届かないはず。
じゃあどうすればいいのか?
そんなときは、ただ私が幸せであればいいのだろうと思ったのだ。
ただし、「普通に幸せ」ではなく「圧倒的に幸せ」であること。
圧倒的な幸せは、伝えようとしなくても波動のように相手に伝わり、相手をも幸せにする。
それはそう、結婚式のあの日のように。
逆に言えば、どれだけ言葉を尽くしても、相手を幸せにすることはもちろん、幸せそのものを伝えることもできないんだろうな、と。
「伝える」ではなく「伝わる」
思いは伝わる。
私はそう思っているし、これまで言葉を使って思いを伝えようとしてきた。
だけど、今回の件を経て少し考えが変化した。
本当に伝えたいことは、たとえ私が伝えようと思わなくても、ちゃんと相手に伝わるのだ。
だとすれば私は、自分の思いを信じて、自分らしく、幸せであり続ければいいだけなのだ。
これは言葉で言うのは簡単だけど、そんなにやすやすとできるものでもない。
それでも、「伝えよう」という思いばかり先立ってしまったときの戒めにはなる。
「伝える」ではなく「伝わる」。忘れないようにしたい。