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好きこそ物の上手なれ
私は小さい頃、随分と祖父に可愛がってもらった。
子供が二人とも男で、初孫として生まれたのが私だったから「そりゃそうだ」と自分でも納得がいく。
食事の時は横に座り、休日にはお寺巡りに連れて行かれ、いろんなことを教えてもらった。
・・・と言いたいのだが、実のところ祖父に教えてもらったことはほとんど覚えていない。
唯一覚えているのが、祖父の口癖だった
「好きこそ物の上手なれ」
ということわざだ。
祖父は私のことを可愛がってはくれたものの、決して甘やかしはしなかった。
一緒に出かけたって、バスに乗れたら良い方でその多くが徒歩だった。小学校低学年ぐらいの子供が徒歩で何キロも歩くなんて、当時でさえ驚かれたものだ。
さらに夕食後は必ず本を朗読させられた。それも昔話や童話といった物語ではなく、ちゃんと「漢字」も入り混じった立派な書籍を(無論ふりがななどついていない)。
当然ながら小学校低学年で習うような漢字のほうが少ない。すぐにわからない漢字に出会い、意味を知らない言葉に出会い、朗読の声は止まる。
すると、祖父はいつもこう言った。
「字引(辞書)を引きなさい。」
祖父の傍らには常に国語辞典と漢和辞典が置かれていて、私は「字引を引け」と言われるたびにしぶしぶ辞書を取って読み方を調べた。
今の時代、インターネットで調べれば漢字の読み方も意味もすぐにわかるから、もしかしたら辞書の引き方さえ知らない人もいるかもしれない。だがハッキリ言って当時の私には「辞書を引く」という行為そのものが相当に難しいことだった。
それでも祖父は、漢字の読み方も意味も決して教えてくれなかった。私が自分の力で調べ、見つけ、理解するまでじっと待っていた。
そうやってやっとのことで1ページほどを読み終え「今日はここまで」となったときに、祖父は「よく頑張った」の代わりにいつも冒頭のことわざを私に言い聞かせたのだ。
好きこそ物の上手なれ、と。
当時はことわざの意味をあまり理解していなかった。それにそもそも、毎日の朗読を自分から喜んでやっていたわけではなかったから「好きなこと」でもなかった(決して嫌いなことでもなかったが)。
その朗読は私の学年が上がるにつれいつしか自然消滅し、私は部活に明け暮れるようになり、高校2年生になる前の春休み、祖父は他界した。
私が祖父の口癖を思い出したのはそのさらにずっとずっとあとのことだ。
2015年にあるブログ(今は閉鎖してしまった)を運営し始め、文章を書くことが楽しくて楽しくて仕方なかったときに、ある日突然思い出したのだ。
そして、生まれて初めて祖父の言葉を理解し、私のことを理解した。
あぁ、私は言葉が好きだ。文字が好きだ。文章が好きだ。
好きだからこそ、もっと表現したい。
好きだからこそ、もっとうまくなりたい。
これが「好きこそ物の上手なれ」ってことなんだ!
今、私はいろんな場所で言葉を紡いでいる。
言葉がうまく降りてこないときもある。心に言葉が追いつかずもどかしい思いをすることもたくさんある。
それでも私は言葉が好きだ。表現することが好きだ。
きっと祖父は、私の「好き」を見抜いていたのだろう。だからこそ厳しく育ててくれたのだろう。
ありがとう、おじいちゃん。
私はこれからも、大好きな言葉とともに、生きていくよ。
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