世の中の人がみんな面白いものをあきらめているわけじゃない。アフターコロナを生きる演劇人の失望と希望
菜月チョビが、翻訳家の小田島創志さんと本多劇場の筒井未来さんと共に、様々なテーマについて意見を交わす特別企画。後編のテーマは、アフターコロナの演劇界についてだ。
2020年、新型コロナウイルスによるパンデミックで世界中の演劇が危機に立たされた。不要不急の大号令のもと、劇場の灯が消えたあの日から4年の歳月が過ぎ、演劇も日常を取り戻しつつある。
だが、その実情に目を向けていくと、コロナによって受けた打撃は今も癒えず、傷口が開いたまま演劇人は走り続けている。アフターコロナの演劇界に希望はあるのか。三者それぞれの立場からリアルな声を聞いた。
劇作家だけでなく、海外作品を紹介できる翻訳家の育成も重要
――コロナによって劇場が完全に封鎖になってから4年の月日が流れました。最後は、アフターコロナの演劇界についてみなさんでお話しいただけたら。
菜月 まだお客さんは完全には戻っていないですね。どうですか。
筒井 どこの劇場を見ても人は戻っていないですよね。配信技術が飛躍的に伸びたことによって、配信で満足されている層もあるとは思いますけど、やっぱりそれ以前にお金の問題が大きくて。
菜月 ますます厳しくなっていますからね。
筒井 悲しいけど、演劇は生活必需品ではないので、これだけ経済が厳しいと、どうしても後回しにされがち。チケット代の高騰が話題になっていますが、この金額も私たちからすると致し方ないんです。いろんな物価が上がってしまって、これ以上どこをどう削っても下げられないというところで踏ん張ってはいるものの、お客さんからしたら高いですよね。
菜月 そう思います。なかなか気軽に来てとは言えない金額になっている。
筒井 この間、ある国の、日本で言うところの文化庁みたいなところの方とお話ししたときに、なんで日本政府は全然演劇にお金を出さないんだって言われちゃって。それはもう私も言いたいですって(笑)。
菜月 言いたいですよね(笑)。
筒井 日本にも面白い演劇がたくさんあるから、本当は海外の方にも来ていただきたいですけど、自費になっちゃうから来られないと言われて終わり。私たちのような民間の劇場にも、もうちょっと公的な支援を誰か考えてくれないかなというのは切実に感じています。
菜月 シルク・ドゥ・ソレイユがカナダの誇りとして世界中から認められたのも、ちゃんとカナダがお金を使って大きくしたからというのがあると思うんですね。特に今は円安で自分たちのお金だけで海外公演を打つのは相当難しい。どうにかもっと日本の演劇を――それもスタイリッシュなものからバカみたいなものまで、海外の人に知ってもらう機会をつくれたらいいんですけど。
小田島 日本って若手の演劇翻訳者があんまりいないんですよ。劇作家を育てることも重要ですけど、海外の作品から学ぶには、海外の作品を翻訳して日本に紹介する人材が不可欠。ただ、その人材を育てるノウハウや文化、制度がまだまだ足りないのが現状で。文化庁の海外研修制度のような制度がもっと拡充してほしいなという思いはありますね。
菜月 海外の作品って大きいものから順に輸入されてくるという感じじゃないですか。
小田島 そうですね。ローレンス・オリヴィエ賞を獲ったものから入ってくるみたいな。
菜月 立派な作品ばかり来るから、海外=立派というイメージができて、日本のお客さんも緊張するというか、敷居が高く感じちゃうのかなって。そうじゃなくて、下北沢でやっていそうな、原石みたいな作品を見つけてくれる若いセンスの人がいたら、海外作品ももっと面白くなりそうな気がします。
小田島 日本とアメリカやイギリスの違いで言うと、イギリスやアメリカでは戯曲がたくさん出版されているんですよ。向こうのナショナルシアターには戯曲の売店があって、ナショナルシアターで上演された作品以外の戯曲も手に入れることができる。もちろんそれをAmazonなどから買うこともできるんですけど、やっぱりそれだけで面白いかどうかはわからないんですよね。
菜月 上演されたものを観てみないとわからないですよね。
小田島 そうなんです。だから、できるだけ海外に行って、現地の舞台を生で観ることが大事。そういう環境が整うとうれしいですね。でないと、どうしても上演されるラインナップの幅が広がらない。今だと、一度ある作家の作品が上演されると、その作家の他の作品が続けざまに上演されるというのが、あるあるだと思うので。
菜月 そうなんですよね。他の作家を発掘するコストをかけられないから、すでに評価を得た作家に集中しちゃう。おっしゃる通り、海外に行って作品を紹介する人の数が増えたら、もっと私たちにもいろんな出会いがあるんだろうなと思います。
コロナを乗り越えた先がこれでいいのかという思いはある
小田島 ちなみにコロナに話を戻すんですけど、鹿殺しさんはコロナのとき、どうされていたんですか。
菜月 2020年の春に1回目の緊急事態宣言が出て。そのときに全劇団員とこれからのことを話し合いました。ここからどうなるかはわからない。だから、今辞めたい人は辞めていいということを伝えて。実際そこで辞めたり活動を休止したりする人が何人もいました。そこから、それでも続けようという人たちと一緒に“再起動”宣言をして、11月に『ザ・ショルダーパッズ』という男性の衣装が肩パッド2枚のみというお芝居をやって。もともと鹿殺しが伝統的にやっていたものではあったんですけど、これもとにかく衣装も予算も極限まで減らすための手段だったんです。
小田島 今この状況を「コロナ禍をくぐり抜けた」と表現していいのかはまだわかりませんが、でも少なくともあの苦しい時期を乗り越えて今も活動している団体さんや劇場を見ていると、よく残ってくれたという思いでいっぱいですね。もちろんこれからまだまだ大変だと思うんですけど。
菜月 コロナのときに、多くの演劇のつくり手たちが、演劇は生活必需品じゃないという現実をダイレクトに感じて、傷つき自信も失った。はたして自分たちのやっていることは家族の理解も得てまで続けることなのか。みんなを不幸にしてまで演劇を続けるのってどうなのか、という問いに直面して。そのリスクを全部背負って演劇を続けるには、それに足るだけの、「やっぱり必要なんだ」と思えるものをつくるしかないよなっていうところに行き着きましたね、私の場合は。
――それに足るもの、ですか。
菜月 私にとって、演劇は娯楽じゃないんです。演劇は、人生のどこかのタイミングで「これがないと生きていけなかった」と思えるもの。つくってるみんなもお金が大変で、来てくださるお客さんもお金が大変で。なのに、どうして演劇をやるのかということに今もずっと心は痛み続けています。だから、せめて自分の人生に必要かどうかということを判断基準にしたい。そうじゃないと、もう頑張れないなっていうぐらい苦しいですね、今は。
筒井 私は何が悲しいかと言うと、コロナでみんないろいろ辛い思いして、公演が中止になってお金が続かなくなったり、劇場も客席を一席空けにしたり、いろいろと対策を打って、どうにかこうにか必死に乗り越えてきた結果が今この現状ということなんです。歯を食いしばった先に待っていたものがこれでいいのかとはやっぱり考えてしまいますよね。
菜月 コロナでたくさんのものが削ぎ落とされた結果、今すごく演劇は二極化している気がするんですね。推し活需要の波に乗ってお客さんでパンパンになっているところと、コロナのダメージから立ち直れず集客に苦戦しているところと。しかもその差はどんどん開く一方な気がしていて。逆に言うと、これからの私たちはお金を出してでも生で観ないとダメだと思ってもらえるだけの価値を提供できないと生き残っていけないんだろうなという危機感はあります。
――ある意味、それぞれの団体の提供価値がシビアに問われる時代になったと言えます。
菜月 すごく厳しい戦いになりますけど、お客さんも苦しいからこそ本質をちゃんとご覧になっている気がします。生活に余裕がないからと言って世の中の人がみんな面白いものをあきらめているわけではないし、手っ取り早くわかるものだけを求めているわけでもない。今、SNSを通じて若い人の間で昭和の歌や作品がすごく流行っているらしくて。世代は違っても本物を楽しむ感覚は消えていない。そういうものを面白がってくれる人は、大多数ではないかもしれないけれど、ちゃんとどこかにいるということが私の希望になっています。だから大事なのは、そういう人たちと出会える場を演出していくこと。私と同じマイノリティだけど、何かを求める情熱は消えていないという人たちといつか出会えるその日のために、私自身の情熱を消さないように演劇を続けていきたいです。
(文:横川良明)