「瀧本幹也 写真前夜」(著:瀧本幹也)を読んでみた。
こんにちは
イデアレコードの左川です。
広告や映画業界での活躍もさることながら、個人的に作品自体もすごく好きだった瀧本幹也さんの本ということで早速読んでみた。
これまで作品自体しか知らなかったのだが、カメラマンのアシスタントとして地道に技術を磨いた期間があり、その時期があったからこそ、今があるということ。センスだけでは自分が撮りたいものが撮れない世界で技術を鍛えられた事実。師匠に師事する期間が長いと、師匠の複製になってしまうことの危惧もあり、どのようにして自分の世界を創り上げていくのかを問われながらそれを乗り越えたこと。広告/写真という非常にシビアな業界の第一線で活躍し続ける彼の軸が本書からは垣間見える。
この手のものは「空手の型」によく例えられる。自分のスタイルを確立していくにあたってまずは基本が出来ていないと前提条件を満たすことができないし、応用することもできない。まずは「空手の型」を徹底的に身体に覚えさせたうえで、はじめて自己流を創っていくことが可能となる。現像やマニュアル撮影、撮影の段取り、選定など、それらの基本(型)は写真の「技術」というのものに集約されるはず。
だが昨今instagramなどによってこれらの「技術」を通ることなく、センスだけで写真家として歩み始めた人も出現し始めている。これらの状況を瀧本さんがどのように見ているのか…というのは気になるところである。