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“山本譲二メタル化計画”の仕掛け人・清水 心。「本気で面白がろう、楽しもうみたいな」

どうせなら“大バカ”くらいまで行ってみたいですね(笑)

「今度、山本譲二が独立するんだけど一緒に仕事をしない?」

――まずジョージプロモーションに入る前はどんなお仕事をなさっていたのか伺いたいんですが…。
清水 マジですか(笑)、そんなところから? …えーっと福岡でバスの運転手をやっていました。
――学校を出てすぐのお仕事でしたか?
清水 いえ、高校を卒業した後は、洋服が好きでしたので丸井で2年間勤めました。そこで丸井に入っていたVAN(ヴァンヂャケット)から「こっちに来ない?」って声を掛けてもらって会社を移って、そこで10年働きました。そうしたところで福岡に新店舗を出すので異動しろと命じられまして福岡に移りました。そこでやはり10年くらい勤めたところで東京へ戻るよう言われたんですが、その頃には福岡での生活がとても楽しくなっていたので戻らずに辞めてしまって、西鉄バスで働くようになりました。
――お生まれは?
清水 横浜です。
――福岡には全く縁はなかった?
清水 はい、何もなかったんです。初めのうちは福岡の人の気質に馴染めないところもあって苦手でしたし。地元では“すかしてる”って言うんですけど、都会から移った人間は気取っていると捉えるような感覚ですね、それがあって…。でも、僕はそんな気取るような人間ではないので、しばらくするとその辺りをわかってもらえたようで一気に周りの人との距離が近くなっていろいろな人から自宅に呼ばれるようになりました。そういう生活が本当に楽しくて、そのままずっと福岡で暮らしてもいいというくらいの気持ちでいたんですが…
――ところが…?
清水 僕の高校の同級生に安斎くんというのがいまして、現在は三山ひろしさんのチーフマネージャーをしているんですけど、彼がジョージプロモーション創立時の社長だったんです。それで高校の時から仲が良かったものですから僕に「今度、山本譲二が独立するんだけど一緒に仕事をしない?」って連絡してきたんです。僕はずっと福岡で暮らすつもりでしたけど、安斎くんが誘ってくれるんだったら…という気持ちが強くて転職を決めました。その頃僕は30代の半ばで、そのくらいの年齢の人間が引っ張ってもらえるなんて余程のことがなければないだろうとも思いましたし、山本譲二という歌手よりも安斎くんの存在の方が大きかったというのが正直なところです。
――芸能関係の仕事経験がない30代半ばの清水さんを、安斎さんはなぜ誘ったんでしょう?
清水 どうなんでしょう? そこは僕も聞いていないのでわかりません。ただ彼は野球部、僕はボート部で部活は違ったんですけど、ボート部の器具を使ってトレーニングすることなんかがあって、その辺りから親しくなって2年、3年は同じクラスだったこともあって、まぁ、仲良くなりました。それで卒業後も丸井やVANに服を買いに来てくれることもあったりして、付き合いが続いていたんです。今でも当時の仲間とはLINEで繋がっていたりして、ありがたいことに友だちに恵まれたんですね。それで、その中の一人が特に気が合ったのかなぁ…、安斎くんだったんですね。
――それにしても永住しようと思うくらい魅力的だった土地を離れる決断をさせたわけですから、安斎さんの存在は相当に大きなものでしたね。
清水 高校時代からとても真面目な人でしたから信頼できたんですよね。

メタルのギターを聴くと「あぁっ…!!」って感動してしまう

――転職する先はいわゆる演歌歌手の個人事務所というかなり特殊な環境だったわけですが抵抗はありませんでしたか?
清水 ずっと音楽が好きでしたしジャンルによって毛嫌いするような感覚もなかったので、それはありませんでした。もしかすると安斎くんが僕に声を掛けた理由の一つは、そこにあったかも知れません。昭和46年生まれなんですけど、子供の頃はテレビでいくつもの歌番組が放送されていて、積極的に探しに行かなくても次々に新曲に触れられる時代だったんですよね、それもアイドルからニューミュージック、歌謡曲、演歌と様々なものが同じ番組内で扱われていて。ですから日本の音楽はいろいろ聴いてましたし、父がやはり音楽が好きで洋楽のレコードをたくさん持っていたこともあって洋楽もよく聴いてました。tvk(テレビ神奈川)で洋楽のPVを流す番組があって、そういうのもよく観てましたね。
――“山本譲二メタル化計画”ではヘヴィメタルがクローズアップされましたが、それは清水さんが一番好きなジャンルだったからですか?
清水 いや、僕はヘヴィメタルも好きですけど、ジャンル問わずいろいろな音楽が好きなんです。ただ、ギターを弾くようになったら、技術的に一番高いと思えてリスペクトするアーティストが多かったのがヘヴィメタルかも知れません。ジャズのテクニックも素晴らしいんですけど、僕個人の感覚ではやっぱりメタルのギターを聴くと「あぁっ…!!」って感動してしまうことが多かったんです。

Shin Shimizu

歌謡界というのが本当に自分が行っていい場所なのか

――ご自分がミュージシャンになろうと思ったことは?
清水 とんでもない! 丸井や西鉄時代にバンドを組んでギターを弾いてはいましたけど、そんなに上手くありませんでしたから、自分で演奏するより、上手い人の演奏を聴く方が好きでしたね。
――では最も好きなアーティストとなると?
清水 うわぁ、難しいですねぇ…。最もっていうのが厳しいですよね。ヴァン・ヘイレン、レッド・ツェッペリン、クイーンあたりだとは思うんですけど。僕の場合は特に初めてヴァン・ヘイレンを聴いた時の衝撃が大きかったですね。凄いことは間違いなくわかるんですけどレコードを聴いているだけではどうやって演奏しているんだか想像もつかなくて。僕は彼らが大スターになった後で聴いてますけど、デビューの時に聴いたギター・キッズたちが受けた驚きとか感動というのは凄まじかっただろうと思いますね。しかもエドワード・ヴァン・ヘイレンは、超絶テクニックを駆使しながら笑顔で本当に楽しそうで、もう次元が違うって感じでしたから。

――話を伺っていると強いロック愛を感じますが、清水さんはロックが全ての人ではないんですよね?
清水 そうですね、ロックは全体の3分の1くらいでしょうか。残りは歌謡曲であったりジャズであったり、その他であったり。実際ジャンルで分けるのって便宜的なものであって厳密なものではないですものね。
――そういう感覚の人だから譲二さんの活動にもすんなりと適応できたんでしょうね。
清水 そうかも知れません。まず安斎くんに誘われたところで僕は山本譲二の2枚組のアルバムを買って聴きました。歌謡界というのが本当に自分が行っていい場所なのかどうか見極めたいと思って。正直言ってピンとこない曲もありましたけど、いいなと感じるものもあって、魅力もあったし発見もあったんです。それで入社を決めました。

どんどんやっていいんですね!

――清水さんがジョージプロモーションに入られた頃には演歌・歌謡曲の斜陽化が始まっていたわけですが、初期はどのような気持ちで仕事に臨んでいらっしゃいました?
清水 初めの頃はわからないことが多かったので、まずは一生懸命でしたね。それが1年、2年と仕事をしていると、制作環境も新曲を発売して以降の活動の仕方もあまり変化しないんだということがわかって、これは想像していたのと違っていたものですから驚きました。
――ルーティン化とかマンネリズムというようなもの?
清水 いや、そう言っていいものだとは思わないんです、何かそうすることで守っているもの、大事にしていることもあると思うので。ただ「自分だったら、ここでこうするよなぁ…」なんて実際の流れとは別のことを考えるなんてことも少なくはなかったですね。
――実際の流れとは別の、ここでこうしたら?というアイディアを採り入れたら演歌・歌謡曲はどうなるだろう?ということには大いに興味があります。それをすると演歌・歌謡曲ではなくなってしまうという意見もありますが。
清水 僕としては試みが全て良い結果につながるなんてことはもちろん考えませんけど、10のうち1つでも好反応を生めたら、そこから何か新しいものが誕生する可能性があるんじゃないかと思えて、そっちの方がドキドキするし楽しいと感じるんですよね。演歌歌手だと思っていた森 進一さんが「冬のリヴィエラ」(松本 隆(詞)・大瀧詠一(曲)というニューミュージック界の大御所コンビによる作品)を歌うのを初めて聴いた時の驚きみたいな。山本の「みちのくひとり旅」も発売当時は“ニュー演歌”と呼ばれていたそうで、恐らくああいう造りだったり音の使い方だったりっていうのは新しかったんだと思うんですよね。そして、そうしたものが受け入れられたわけですから、もっとそういう冒険とか挑戦みたいなことがあってもいいんじゃないかと感じることも多いですね。USENの音楽情報サイトencoreで山本と音楽プロデューサーの益弘泰男さんが対談された中で益弘さんが「高層ビルのフロアのような環境と演歌は似合わない。演歌には生活感がないと駄目なんだ」とおっしゃってましたが、今の時代って生活感のある場所を探す方が難しいような気もして、そうなるとやっぱり昔ながらの演歌・歌謡曲をそのままの形でこの時代に普及させるというのはかなり厳しい課題なんじゃないかとも思います。
――その厳しい課題をどうやってクリアするか考えなければならない人の一人が清水さんだと思いますが…。
清水 いや、それほどの力が僕にあるとは思えませんけど、ただ、歌も音楽も好きだし、山本譲二という人が持っているものや可能性は大事にしたいしリスペクトする気持ちもありますから、そこは考えていきたいし、考えていくつもりです。昔ながらの演歌・歌謡曲では今の時代に受け入れられるのが難しいと思うように、山本が昔ながらの演歌歌手のイメージで捉えられていては新しいファンの獲得は期待できないし、それは山本にとってとても残念なことだと思いますから。
――そこがメタル化計画の端緒だったんでしょうか?
清水 そうだったらカッコいいんですけど、実際はコロナ禍なんです。ステージ活動ができなくなって多くの歌手の方がYouTubeでの配信を始めましたけど、山本はそういうことをするタイプではなくて、でも何かしなければと考える中でマネージャーとしてこれくらいならやってもいいかなと思って始めたのがXだったんです。山本本人はガラケー使いですから自分でXを見ることもできないので、何か好反応があった時に僕であったりご家族であったりがそれを伝えると喜んで「こういうのはどんどんやればいい」って言うもんですから、どんどんやっていいんですね!って勝手に拡大解釈したことで(笑)その後の展開が生まれました。メタルの入口はX上で有名な方が吉 幾三さんの歌を聴いたことについてポストされていて、それに僕がリポストしたことだったと思うんですが、そこでの反応が想った以上に大きかったことで何かやれそうだなっていう手応えのようなものを感じたんです。それでメタリカが6年ぶりにアルバムをリリースするという時に「発売おめでとうございます」みたいなポストをしたら、なんで山本譲二が?っていうことで湧きまして、山本はその頃メタルのことなんて全く意識してないんですが、僕やテイチクの一部スタッフの間では面白がる材料になっていたんです。それである時に記念写真を撮ろうとすると山本が指ハートを作ることにどうも違和感があったものですから、テイチクで山本のアーティスト担当をしている高田千聡さんに話してもらってメロイックサインに変えたんです。そうしたらそれを面白がる人がたくさんいて…。
――その頃、清水さんには現状につながるような予感があったんでしょうか?
清水 いえ、全くありません。高田さんたちと面白がっていただけで(笑)。X界隈が盛り上がるのが楽しかったんですよね。そこで思いがけずメタル界の方々とのつながりも生まれましたし。

山本譲二のイメージをどこまで変えられるだろうか?

――しかし“どんどんやればいい”と言われたからといっても限度というものがあると思います(笑)。それを清水さんはメタルTシャツまで作ってしまって…。
清水 意識としては(笑)挑戦だったんです。まだそれが何を運んでくるかなんて予想もできませんでしたけど、せっかくメタル界の方々やその道のファンが山本の存在を意識してくれるようになっていたので、演歌の枠に収まってしまっているような山本譲二のイメージをどこまで変えられるだろうか?という。
――演歌歌手として扱われることの多い歌い手の中には実際のところ、そこには収まり切らない音楽性の持ち主がたくさんいて、譲二さんもその一人だと思います。ですから清水さんが始めたことは結果的に譲二さんが備えている音楽性を今まで以上に引き出すことにつながったと言えると思います。
清水 ヒット曲を生み出すという僕たちの一番の目的についてはまだまだというのが実情ですが、一つの現象は起こせたのかも知れないという気はしていて、先日もラジオで福山雅治さんがメタル化計画が面白いなんて話してくださって、その効果だと思うんですが、またTシャツが売れたりなんてことがありました。こういう今まで山本の周りにはなかったことが起きている事実は、何か今後へのヒントとか手掛かりになるような気がします。
――それを元に譲二さんと清水さんが今後どんな活動をして行かれるか、とても興味のあるところです。
清水 実際のところはそんなに凄いことにはならないと思うんですが、例えば今回のようなことで演歌・歌謡曲とかメタルとかの間の見えない垣根みたいなものが低くなって、いろいろな歌や音楽を偏見や先入観なしに聴いてみよう、知ってみようというような流れができたら理想的ですね。
――“メタル化計画”が推進された事実によって、清水さんがその流れを創ったり引っ張ったりできる人材の一人であるという可能性が生まれた気がしますが…。
清水 いや、そんなことはないと思うんですけど、ただ今回「言論の自由」(作詞・作曲:IKZO / 編曲:KIRZ(HATTALLICA))という曲を作る過程でさせていただいた経験は僕にとって本当に大きなものでしたし、これは今後に活かしたい、活かさないといけないものなんじゃないかという風には思ってます。

クビになるわけにはいきませんから(笑)

――「言論の自由」の制作ではどのような役割をされたんでしょう?
清水 詞曲については吉さん(IKZO)にお任せしましたが、編曲は全部こちらでやらせていただきました。ある程度わかった人間が入らないとメタルファンに納得してもらえるものが作れないと思ったので。生意気に聞こえるかも知れませんけど“本物”にしたかったんです。そのためには時間とか労力とか意識とかいろいろ費やしたものがありますけど、それだけ一生懸命できたのでとても楽しかったですね。演奏してくれたHATTALLICAのメンバーや長谷川太一くん(“山本譲二メタル化計画第2弾「みちのく忘れ雪」ギター弾いてみたコンテスト”グランプリ受賞者)もすごく面白がってくれて、みんなが一つのチームになれたように感じましたし。
――“本物”にしたかったという人の“本気”を感じます。
清水 開き直りではないですけど、山本やメーカーのディレクター主導ではなく、僕がほとんど勝手に始めてしまった企画であって、こちらとしては「本人が気に入ってくれればいいんでしょ?」っていうくらいの割り切りを持って進めましたから。
――それは清水さんが、どうすれば譲二さんが気に入るかをわかっていたからですよね?
清水 確かにそれはあるでしょうね。勝手にやらせてもらったとは言っても、山本は大事な存在であって看板に傷をつけるようなことは僕だってできませんから。この業界に入って2、3年なんていうところではなかったことですよね。山本のことをよくわかって、吉さんともある程度のコミュニケーションが取れるようになっていたから可能になったことですから。
――大事な看板にとんでもない冒険をさせるわけですから、どこから非難が飛んでくるかわからないということもあったと思います。
清水 それは考えました。なので例えば“ギター・コンテスト”(雑誌『ヤング・ギター』協力のもとに開催された「みちのく忘れ雪」ギター弾いてみたコンテスト)を開く前には作曲の弦 哲也先生のところへ了承をいただきに行きました。僕としては冷や汗もので「先生に書いていただいた曲のイントロにメタルのギターを入れるコンテストを開きたいんですが…」ってお話ししたら「面白いねぇ、いいよいいよ!」って言ってくださって。さすが偉大な方というのは懐が深いなぁと思いました。あと、Tシャツを差し上げたら喜んでくださいました(笑)。
――見方によっては山本譲二という大御所歌手にとんでもないことをさせた無茶な企画に映ったかも知れませんが、プロデューサーとしての清水さんの中には相応の準備と覚悟があったということですね。
清水 それは僕もクビになるわけにはいきませんから(笑)。
――でも、そのリスクも考える必要がありそうな突飛なことであったのは間違いなく、清水さんのような人だからこそできた、例えばメーカー主導ではあり得なかった企画だと思います。
清水 実際、水面下ではいろいろありました。「言論の自由」をリリースすることについて言えば、山本にメタルをやらせることもそうですし、歌の内容も過激と言えば過激ですから。でも、最終的には山本がやると決断してくれまして。

発信する側も楽しいと思って作ったり歌ったりした方がいいよね?

――譲二さんの決断には、これまでの実績による清水さんへの信頼と、例えば今回の計画の第1弾だったTシャツの発売に当たって当初は清水さんが自腹を切って作っていたという“本気度”への評価もあったと思います。
清水 歌の世界ってエンタテインメントじゃないですか? ですからもちろんお客さんに楽しんでもらいたいですけど、発信する側も楽しいと思って作ったり歌ったりした方がいいよね?って言うか、それが本来なんじゃないの?っていう気持ちがあって。自分としてはなんだかXをきっかけに面白いことが起こりそうな気がしてきたので、それなら本気で面白がろう、楽しもうみたいな感じになったんですね、中途半端では人を楽しませられないと。
――昭和の頃にはヒット曲誕生の陰には必ず“バカ”と言われるような人物の活躍があったと聞きました。それは“バカ”と言われるくらい惜しむことなく歌をヒットさせるために力を注げた人たちがいたということでしたが、清水さんにもその言葉が当てはまるような気がします。
清水 “バカ”ってある意味では最高の誉め言葉じゃないですか? そんな風に言っていただけたら本当に嬉しいですね。
――今回の“メタル化計画”の根底にあるのは、清水さんの山本譲二さんをどうやって打ち出そうかという意識と、自身が歌や音楽を大好きで、その気持ちで流れを作れたり人とつながったりできたら面白いじゃないかという感覚だと思いますが、そこでは効率とか収益性よりも楽しさ、楽しむことが優先されていて、それが多くの人を巻き込んで盛り上がれた要因だと思います。清水さんの“音楽バカ”としての活躍にはこれからも期待したくなります。
清水 ありがとうございます。でもさっきも言いましたけど今回の企画が山本のデビュー50周年記念曲である「妻よありがとう」をヒットさせることにどれほどの効果を上げられているかといったら全然足りてないんです。楽しい、面白いは大事だけれど、ビジネスの世界はそれだけでは成立しないわけで、僕としては“バカ”な部分を忘れないで大事にしながら、きちんと結果に結び付けられるようなやり方を探していきたいと思います。それが、言うのは簡単でも実現するのが難しいことはわかってますけど、それでも探し続けてしまうのが“バカ”と言われるところだと思うのでどうせなら“大バカ”くらいまで行ってみたいですね(笑)。
――譲二さんと清水さんのこれからを大いに楽しみにさせていただきます。ありがとうございました!

山本譲二 official X https://twitter.com/georgepromotion

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