鳥羽一郎、木村竜蔵、木村徹二 「テツはこのままでいい。今一番大事にすべきは勢い」
※ 木村竜蔵さんは鳥羽一郎さんの長男、木村徹二さんは次男です。
※ トップおよび☆印の写真 撮影:齊藤哲也
僕たちが子供の頃から親しんできた演歌を活性化させてアップデートしていきたい
演歌をうたったらいいのになぁ
――鳥羽さんは徹二さんの活動について、リリースされる毎に曲を聴かれたり、状況を把握したりされていらっしゃるんでしょうか?
鳥羽 あまりしていませんね。カバー・アルバム(『ザ・カバー ~昭和演歌名曲選~』)なんかも聴きましたけど、リリースからしばらく経ってからでした。「二代目」も出来てすぐには聴きませんでしたし。まぁ、こんなものかな…という感想ですけど、私がデビューした時よりはよっぽどよくできていたと思います。ちょうど30歳でのソロ・デビューですけど演歌をうたうにはいい年頃のような気がします。
――徹二さんがのちに演歌をうたうようになることは予想されていましたか?
鳥羽 予想ではなく願望としてありましたね。演歌をうたったらいいのになぁという。演歌のコブシというものは誰かに教わったって練習したって、なかなか身に付くようなものじゃないんだけれど、持って生まれてきたものがあるようでしたから。竜徹日記(竜蔵と徹二のユニット)の歌を聴いてもコブシが入っているような曲がありましたしね。だから演歌でソロ・デビューするという話を聞いても驚きはしませんでした。
デモテープの中の演歌歌手
――徹二さんはまず竜徹日記でアーティスト活動を開始されましたが、当時から竜蔵さんが「弟は演歌もいける」とおっしゃっていました。いずれは演歌をうたうということはご自身のお考えの中にあったんでしょうか?
徹二 兄にはいずれは自分が作った歌で僕をソロ・デビューさせたいっていう考えはあったようですけど、僕自身にはいずれは一人で…なんて気持ちはありませんでした。演歌は好きで聴いていましたし、歌うのも苦手ではないと思っていましたけど、父や山川(豊。鳥羽一郎の実弟)さんの歌を主に聴いていたので、そこに肩を並べられるなんて考えてもいませんでしたから。でも兄からすると、しっかり歌えてるから演歌もやった方がいいっていうことで、その方向に進むことになりました。
鳥羽 本人は演歌をうたうとは考えてなかったって言いますけど、兄貴がこれまでに私や他の歌手の方に作った作品のデモテープではテツ(徹二)がうたってたんですよ。それが私には参考になってましたから、歌えてないということはなかった。
徹二 デモテープの中の演歌歌手でした(笑)。6年くらい前からでしょうか、兄が演歌を作り始めた時から「ちょっとコレ歌ってくれない?」なんて頼まれるようになって。
竜蔵 1、2回聴かせるともう歌えるようになるので、そういう、音楽の吸収力とでも言うんでしょうか、そんなものがあるので僕としては重宝したというか助かっていたんです。
横から父を観たという記憶
――徹二さんの場合、同年代の演歌系歌手は他にもいますが、竜蔵さんと同じくらいの世代で演歌を作っている人はあまりいませんよね? 父親が鳥羽さんであったことが一番の要因だと思いますが、竜蔵さんはなぜ演歌を作れるようになったと思われますか?
竜蔵 よく聴いていたからということに尽きると思います。弟はそれで歌えるようになり、自分は曲が書けるようになったという。ただ、大きかったのは7、8年前に当時の父の担当ディレクターの方が、作詞コンテストの大賞受賞作品に曲を付けてみないか?って依頼してくださったことですね。それをきっかけに何点か詞を預けていただいて曲を付けてお返しするようになったことから現在に至るという感じです。
――ご兄弟は子供の頃からお父さんのステージを生で観るような機会は多かったんでしょうか?
徹二 多かったですね。父があまり家にいなかったので寂しい想いをしているだろうと母が気を遣って、僕たちが物心ついた頃から、出掛けられる範囲内で公演などがあるとできるだけ連れて行ってくれていました。客席ではなくてステージの袖から観ることが多かったんですけど、正面ではなく横から父を観たという記憶が鮮明に残っています。
――ご自分の父親がスター歌手であったということは、ご自身にどのような影響を与えたと思われますか?
徹二 父親が芸能人であることで大変なこともあったんじゃないかなんて訊かれることもあるんですが、兄はどうかわかりませんけど僕に関しては全くそういうことはなくて、むしろ誇らしかったですね。影響についてもいい影響しかなかったと思います。
竜蔵 僕も同じですね。マイナスなことは何もありません。それに家でも外でも態度や振る舞いが同じでしたから、父が歌手であることは小さい頃から認識していましたけど、僕にとっては歌手である前に父親でしたので、芸能人の息子であるということからの特別な意識はなかったと思います。
閃きから生まれたタイトル
――竜蔵さんが主に作家として、徹二さんが歌手として今、希望を抱いて活動できているのは、それぞれにとって鳥羽さんが大きくて輝かしいお手本として存在されているからでしょうね。ところで徹二さんは「二代目」を初めて聴かれた時、どんな印象を持たれましたか?
徹二 最初に感じたのはわかりやすくていいなということでした。兄が僕のデビューに向けて何度も作り直してくれている過程を見ていましたから、どういう形に仕上がるんだろうと、とても気になっていたんですが、よくここまでシンプルにまとめてくれたなと思いました。
――鳥羽さんと徹二さんの関係を知る者なら「二代目」というタイトルには何らかの意図があるはずと考えると思うんですが、そこにはどのような思惑があったんでしょう?
竜蔵 意図したというよりも閃きから生まれたタイトルだったんです。もちろん僕と徹二が父の二代目としての対象であることもありますが、世間には二代目とされる方が企業や商店や漁業・農業などいろいろな分野にいますから、多くの共感を得ることができるんじゃないかと思えたところから制作が進んでいきました。考えてみたら二代目がテーマとなれば初代や三代目の方も関心を持ってくれそうだし、作品が広がりやすいんじゃないかということもありましたね。
――さすがプロデューサーですね。
竜蔵 いや、まだ「さすが」なんて言われるようなものではないですけど(笑)。
“品の良さ”“洗練された印象”
――ところでいわゆる演歌には“庶民的”“泥臭い”“人間臭い”といったような生活感が色濃く感じられるものが多いような気がしますが、徹二さんの歌には品の良さ、洗練された印象が漂っていて、新しい時代の演歌歌手が現れたように思いました。
竜蔵 今の若い男性演歌歌手って、きれいで品が良い王子様系が主流のような感じがあるので、僕としては父のような男っぽいイメージを打ち出した方が個性になるんじゃないかと思って狙ってみたつもりだったんですが…。
徹二 兄が男っぽさを意識したのに“品の良さ”“洗練された印象”が感じられたということは、それが木村徹二という人間なんだということでしょうね。“品が良い”とか“洗練されている”なんて言っていただけるのはありがたいことでもありますけど、演歌をうたうとなるとそのまま喜んでいていいこととも思えなくて、でも、これは考えて作ったのではなくて、恐らく時代背景とか家庭環境といった生まれ育ちによって出来たものでしょうから、多少の修正はできても消し去ることは不可能だと思うんです。だから僕はこれをどうしたら聴いてくださる方に魅力だと感じていただけるようになるかを研究しながら磨いていくしかないんだと思います。
小さくまとめるようなことはしない方がいい
――家庭環境はもちろんですが、時代背景というものが大きくものを言っているような気がします。第一次産業の従事者が減少を続ける中で生まれ育った現在30歳の人が土の匂いや潮の香りをさせるのは難しいことでしょうから。却ってそういうものがない方が今どきの歌なんではないかとも思いますし。鳥羽さんは徹二さんの歌をお聴きになって、こうすればいいのにと思ったことや実際に言われたようなことはありますか?
鳥羽 ありません。感じることはいろいろありますよ、粗削りですから。だけど、それが良さでもあるから、ああしろこうしといろいろ言って小さくまとめるようなことはしない方がいいと思うんです。まだ走り出したばかりの新人ですから、今一番大事にするべきなのは勢いじゃないかと。自分だってデビューした頃はテツ以上に勢いだけでしたし。だからテツは今はこのままでいいと思ってます。あとは真剣に一生懸命うたいながら世間や歌謡界の波に揉まれて20年、30年もすれば、私が言いたかったことは自分で気付くようになると思います。それこそが本当に身に付くものなんじゃないのかな。
だからこそ怖いと思います
――では、角度を変えて、子育てについて伺いたいと思うんですが。
鳥羽 さっきテツが言っていたようにほとんど家にいなかったので子育てはしていません。子供たちを育ててくれたことについては女房に感謝するばかりです。
――とおっしゃられましても、竜蔵さん、徹二さんの言葉を聞くとお父さんから教わったこと、学んだものは少なくないようです。
鳥羽 学んだとすれば、私がけっこうハチャメチャな所のある人間なんで、そういう風ではいけないなんていうのは親を見て知ったかもしれません。
竜蔵 そんな反面教師みたいに感じたことはないんですけど、学ぶべき点、見習うべき所に上手く焦点を当ててくれたのは母だった気がします。子供たちの前で喧嘩はしない、お互いの悪口を言わないと決めて守ってきたと、僕たちが大人になってから聞いたことがありますし。
――鳥羽さんに怒られたことは?
徹二 夜遅くに兄とゲームをして騒いだりしていると「うるせぇ!」って怒鳴られたようなことはありますけど、本気で怒られたという記憶はありません。そして、だからこそ怖いと思います。普段からよく怒られていれば慣れることもあるでしょうけど、それがありませんから。
竜蔵 叱るのは母の役目でしたね。僕や徹二が学校で何かして呼び出されたりすると、母が僕たちに小言を言ったり叱ったりして、父はそれを聞いたあとで「まぁ、俺も昔はよくやったもんだから」なんて収めてくれたりして。
鳥羽 テツが生まれる前は竜蔵を怒るようなこともあったんですよ。でもあとで女房に「キツすぎる」なんて注意されたりして、私も少しずつ勉強したんです。この子たちと私が子供の頃では時代が違いますから、昭和の親父みたいなスパルタ教育をこの子らにしてたら警察呼ばれかねないですからね(笑)。
鳥羽一郎の魅力
――昭和というと、その時代には鶴田浩二さんや高倉 健さんが演じたような男っぽさが人気を得て、鳥羽さんのファンの方はそれに通じる男性像を求めているようにも感じますが…。
竜蔵 確かにそれはあったでしょうが、僕が現在の父に感じるのは、強さとか潔さとかで表される男っぽさだけではなく、優しさとか包容力も備えた男性像ですね。そういうのが鳥羽一郎の魅力としてある気がします。
――こんなに素直に自分の父親を褒められる息子さんっていいですね。
徹二 父が、家の中の空気を生む柱になっていて、家族が仲良く暮らしてこられている根底に、その考え方や人柄のようなものがあるのは間違いないですからね。
――鳥羽さんにはいわゆる兄貴肌とか親分肌と言われるような資質が備わっているように感じます。
鳥羽 そういうものはあったかも知れませんね。みんなでわいわいやっているようなのが好きなんですよ。
その生き方で僕たちに教えてくれていた
徹二 日常の決まり事を守ることとか生活態度のことなどを教えるのは8~9割が母親の役割でしたけど、家庭というその土台を造って支えていたのは間違いなく父ですね。僕たちはそういう環境の中で不自由なく健康に生活してこられました。
竜蔵 いわゆる物事や人間関係の上での筋道というものの大切さ、義理とか倫理といったようなものについて、父は口では言いませんけど、その生き方で僕たちに教えてくれていたと思います。
――自らの姿によって人の道を教えるというのは最高の教育の形ではないかと思います。本当に理想的な環境で育ちましたね。
徹二 そう思います。ただ残念ながら僕や兄にそういう父の姿を真似ることはできても同じようにすることは無理だと思います。それは父が生まれ持った性格があってこそ可能だったと思うので。
「夢の花道」
――確かに人それぞれに性格や才能の違いがありますが、鳥羽さんとお二人の息子さんは音楽・歌の分野で生きるための素養に恵まれていたという点で共通しています。そして鳥羽さんが「兄弟船」で新鮮な衝撃を与えたように、徹二さん・竜蔵さんも「二代目」や「夢の花道」で時代に向けて新たな風を起こしています。
竜蔵 「二代目」だけでなく「夢の花道」についても、そんな風に言っていただけるのは嬉しいですね。2枚目のCDを出す時には必ず収録しようということで取っておいたのが「夢の花道」でしたから。徹二も僕も周りのスタッフもみんな気に入って、「二代目」に負けないくらいの自信を持って送り出せる曲だと思っていましたし。
――見事に等身大の、今どきの青年が描かれていて、時代と足並みを揃えた歌だと感じることができます。“演歌”の枠に組み込まれると「古い」という既成概念を抱かれがちですが、そんなものを乗り越えてしまう作品力を感じます。
鳥羽 麻こよみ先生が、一つも難しい言葉を使わずに、本当にいい詞を書いてくれましたね。だから竜蔵もああいう曲を書けたんですよ。やっぱり曲は詞に左右されますからね。「二代目」もそうですけど「夢の花道」についても私は面白い歌が出来たと思ってます。
「お父さんもああいうビデオ作らなきゃ」
――「夢の花道」はMVも在り来たりな感じがなくていいですね。
鳥羽 あれはね、二人の妹が「お父さんもああいうビデオ作らなきゃ」って言ったくらい評判がいいんですよ。竜蔵が、撮って編集してってことができたもんだから、それなら自分たちでやりましょうということで作ってね。
――そうでしたか。通常のレールに乗らなかったからあのような新鮮なものが出来上がったんですね。
竜蔵 自分たちの考え方や感覚を活かせたので任せてもらえてよかったですね。「二代目」のカップリングの「つむじ風」のビデオも僕が作ったんですけど、それなりに評価していただけたお蔭で「夢の花道」も依頼してもらえました。
――何よりも今の感覚で作られている点が魅力だと思いました。
竜蔵 ちょっと生意気に聞こえるかも知れませんけど、実は弟が大学生の頃から、いつか力を付けて自分のプロデュースで徹二を売り出したいと思っていたんです。それで少しずつ演歌も書かせてもらって徐々に評価していただけるようになってきたので「今だ!」と思えるタイミングで具体的なプロデュースに取り掛かったんです。
本当の意味での大人の域に入ったところで
――徹二さんには大学生の時に一度デビューの誘いがあったそうですが、その時はなぜ断られたんでしょう?
徹二 デビューできるほどのものが自分にあるとは思えませんでしたし、自分が前に出て歌いたいなんていう気持ちもありませんでしたから。
――確かに以前インタビューした時にも、竜蔵さんに誘われて竜徹日記の活動を始められて、お兄さんの役に立つことができればそれが嬉しいと言われていました。
徹二 そうなんです。喋るのだって得意ではなくて、兄と活動し始めてしばらく経ってからステージを観に来たや母や妹に「あんなに喋る姿を初めて見た」って言われたくらいだったんです。徐々に人前に立って歌うことにも話すことにも抵抗がなくなってきて、年齢的にも本当の意味での大人の域に入ったところでデビューできたのは正解だったんじゃないかと自分では思っています。
――竜蔵さんも徹二さんの在学中のデビューには反対されたそうですが、そこから数年を経た昨年「今だ!」と思われた竜蔵さんのアンテナ、感覚は徹二さんにとってとても頼りになるもののようですね。
徹二 そうですね、生まれた時から常に3年先を生きて、その分早く遊びとか勉強とか世の中のことを経験して教えてきてくれたので全幅の信頼を置いています。
徹二にはのびのびと歌っていってほしい
――そして竜蔵さんは徹二さんをプロデュースして売り出せることを、とても楽しんでいるように感じます。
竜蔵 楽しいですね。僕自身22歳でデビューして活動しましたけど、周りの人たちの言うことが違うんじゃないかと思っても意見できなかったり、僕の考えは採用してもらえなかったりなんていうこともあって想うような結果を出せずにソロ歌手としての活動を終えました。あとになると、あのとき自分が考えていたことは正しかったと思うことが何度もあったので、竜徹日記から徐々に自分のやりたいことを形にするようにしながら今にたどり着きました。徹二には僕が抱いたような疑問や矛盾を感じることなくのびのびと歌っていってほしいし、そうできる環境を整えていくのも僕の役目だと思っています。そして同時に僕たちが子供の頃から親しんできた演歌を、できれば活性化させてアップデートしていきたいですね。
――いいですねぇ。演歌が流行歌であるためにアップデートは不可欠です。是非! ところでアップデートに関して言えば、鳥羽さんも典型的な演歌の代表のようなイメージを持たれてもいますが、近年は明らかに世相やご自身の年代に応じた作品を歌っていらっしゃいます。そんな中で9月には「哀傷歌」を発売されました。
そろそろしみじみとした恋や愛の歌を
鳥羽 これは、いわゆるラブソングですね。過去にもラブソングはあったんだけど、やっぱり私のイメージと違ってたんでしょうね、カップリングで収録されてあまり陽の目を見ることもありませんでした。でも、年齢的なものもあるのかな、そろそろしみじみとした恋や愛の歌をメインで出してもいいんじゃないかということになって今回リリースしました。
――まさに大人だから歌える大人の愛の歌ですね。秋に相応しい、おっしゃる通りしみじみとした曲調は、人生の秋をも想わせますが、この歌の主人公たちは冬で終わるのではなく共に春を迎える予感を抱かせます。大人が聴くと静かに希望や意欲が湧いてくる歌ではないかと思いました。
鳥羽 そんな風に褒めてもらうと歌う甲斐があります(笑)。
――自分より鳥羽さんの歌を評価している方、好きな方はたくさんいらっしゃいます。その方たちのためにも、そして息子さんたちや後輩歌手のためにも、良い歌をうたい続けていってください。そして、竜蔵さん、徹二さんはお父さんと一緒に新たな流行歌のシーンをけん引していってください。
徹二 期待に応えられるよう頑張ります。ありがとうございました!
――こちらこそ、ありがとうございました。
木村徹二 Twitter https://twitter.com/kimura_tetsuji?lang=ja
竜徹日記 Twitter https://twitter.com/ryutetsu_nikki