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茶店を巡る冒険と浅草・千束ワンダーランド その3. 信じられないだろ、そこ堀だったんだぜ

浅草に限らず、東京、いや昔、大江戸八百八町と呼ばれたエリアには、たくさんの堀があった。だから、埋め立てた堀や暗渠は珍しくない。

とはいえ、大抵はそういう堀や川の痕跡は細長いのが相場。これだけだだっ広いのは珍しいなと思う。


信じられないことにこの広場は堀の跡なのだ

江戸という街がいかにいけたはずれの規模であったか。
もちろん今も大都市なわけだけど、17世紀の段階でも大きかったのだとじわじわとわからせてくれる過去の痕跡。


この看板を見るまで広場が堀の跡だとは気が付かなかった。

山谷堀だった場所があの広場。
その下流、隅田川に注ぐところに今戸橋はかかっていたらしい。

今は隅田公園の一部だ。

関東大震災や東京大空襲など災禍を経験したこの地域らしく、公園にはその記憶が残されているのだが、同時に平和な時期には賑わった場所だったということもこの看板は伝えている。

かつて山谷堀がつながっていた隅田川を言問橋からさらに遡ったところは、池波正太郎『剣客商売』の秋山小兵が住んだ場所。川を下った吾妻橋を渡った本所は『鬼平犯科帳』の鬼の平蔵こと長谷川平蔵が若かりし頃に通ったあたりである。

そういう設定があるので、この界隈にはちょっとした憧れがある。


待乳山の寺に上がるための極小のケーブルカー、早朝に登っているのは檀家さんだろうか?

浅草寺があり、待乳山聖天があり、吉原も近いこの界隈は、江戸の庶民にとっては、この界隈はテーマパークみたいなものだったのかも。なんてことを思ったりする。

吉原は客にとっては花街。そこで働く女性たちにとって苦街だったそうだが、その辺は今も昔もテーマパークの光と影みたいなものがあったということなのかもしれない。

何にせよ、江戸と東京の地続き感を感じられるという意味で、この界隈は面白い。

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