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時間を共有するだけが本当にいいのか?【3】
なんとなく流れで、自分でみんなが集まる場所を作ることになった、なってしまったのだ。そうなった流れは下記の記事で。
会話を回すということ
ルームを開けるということは思っていたより大変でした。
毎日のスケジュールを作る。当時はリピートの設定が出来ないので毎日入れていました。改行なんてできないからほかのアプリで文章をつくったり、「明日もやってるから来てね!」と声をかける事やアプリの使い方の質問をされたら「解決できるように聞いておくね!」と。まあ結構お節介でないと出来ない作業です。
何より一番私にとってストレスに感じたことが「回す」ということでした。
私は前回の記事で書いたように、少し相手の気持ちがわかってしまうのです。
来てくれた人に失礼になっていないか。
来てくれた人が楽しんでくれているか。
来てくれた人全員に平等に交流しているか。
自分がバレーボールをしていたら、ボールを回してもらいたい。
そこにいるのに全く会話を振られなかったらちょっと寂しい。
だったら、私がボールを投げてあげたいと思いました。
幼少期に受けたいじめは、身体に傷を負うものではなく「無視」でした。
だから、一人になっている人をそのままにしておくことが、昔自分がされたことをそのまま自分がやってしまうような気がしてしまうのです。
しかし、想像以上に疲弊しました。
気にしすぎて眠れない日も続きました。
そして気にして眠れないと言えずに、全く問題が無いように振舞いました。何もなかったように気を使い続けました。
私が疲弊した理由
当時のClubhouseは、
・ビジネスルームと呼ばれる「達人のセミナールーム」
・演奏や音楽を流す「音楽ルーム」
・No.1を決めたりする「エンタメルーム」
・有名人の話が聴ける「お忍びルーム」
・誰もが開ける最も多かったのが「雑談ルーム」
などのルームが開催されていました。
ルームはスタート(開く)させたら、必ずエンドルーム(部屋を閉じる)ということが生じるのですが、いつ終わっていいのかわからず、だらだらと長時間そこに身を投じることになるケースが多かったように思います。
これが疲弊の一番の原因でした。
私たちはゴールがあるから全力投球できます。
ドラマは、終わりがあるから最後まで見たい。
学校は、卒業があるからその時間を楽しめるのです。
コロナ禍の「誰かとのつながり」を求めていたからこそ当時は長く開けるのが普通のようになっていて、「そろそろ終わる?」を切り出すことがとても心苦しかったのです。
3ヶ月の雑談スタイルのルームを続けた後、私は思い切って「テーマトーク」へ舵を切ります。
「明日から、一つテーマを設けて、それに対して話をしない?あと1時間半で終えよう。」
この前知り合った人たちにこの言葉を伝えることはとても勇気がいりました。なんて思われるだろうとか、これで関係性が悪くなってしまわないか。そんなことを考えながら伝えました。
想いは同じ。
「テーマがあったほうが話しやすいね。」
「そーだよね、長く続けるなら時間もある程度決めた方がいいよね?」
「そのほうが参加したい人も増えるかも!」
そんなことから毎回テーマを決めたスタイルの雑談をすることになりました。
「モデレーターの役割って?」
「ルームの作り方、どうしてる?」
これは当時のルームの雑談タイトルです。
答えは出ないけど、誰もが意見を持つような内容をテーマに雑談をすることになったのは6月下旬のことでした。
この頃、ルーム名の頭に「クラブハウスの歩き方」とつけるようになりました。
名付けの話などはまた次の機会に。
読んでくださった皆さま、ありがとうございました。