
モモ&坂本サトル インタビュー(中編):モモ20周年ライブ「MUSIC DINNER」セットリスト、三沢市でライブを行うこだわり、ライブの裏側について
2024年3月30日、デビュー20周年ライブ「MUSIC DINNER」を行った青森県三沢市在住のシンガーソングライター、モモ。
そのライブのプロデュースを担当した青森市在住のシンガーソングライター、坂本サトル。ライブ翌日の3月31日に、2人にインタビューを行った。
3部構成となったインタビューの「中編」では、ライブのセットリストについて、三沢市でライブを開催するこだわり、そして出演メンバーも総出で行った機材の搬入・搬出、舞台制作についてなど、ライブの裏側についてお届けする。
(前編はこちら)
全部まかせることで、「新しいモモ」を引き出してくれるのを楽しんだ

ー ライブに関しては、セットリストなど、サトルさんとモモさんふたりで意見を出し合って進めていったんですか?
モモ セットリストはサトルさんにおまかせしました。
ー そうなんですか! どうして?
モモ え、自然にそうなったかな…。サトルさんから「こんなんでどう?」ってセットリストがきて、私からは「この曲とこの曲の順番を逆にしたい」ぐらいしか言ってないです。
サトル 2月中に、何の曲をやるかバンドメンバーに出さなきゃいけなかったからね。
今回 OFFICE mode key が制作を担当して、俺としては、モモちゃんには何もしないで、お姫様状態で本番を迎えてもらうってくらいの気持ちだったの。
モモちゃんはお店も営業してるし、なるべくライブの雑務をやらせないようにしたかったんだよね。ただ、お手伝いしてくれる現地スタッフの手配とか俺はわかんなくて、そこら辺含めて結局モモちゃんにやってもらった部分もあったんだけどね。
だけどなるべくモモちゃんの負担を減らしてライブに集中してもらうっていうのは、制作サイドとして考えていたこと。先回りして全部やって、これどう?って提案するっていう。
モモ セットリストも、自分のこだわりのところだけを言って、あとはサトルさんが出したそのまま。
サトル モモちゃんも、「人にまかせる」って決めたんだよね。
たぶんだけど、まかせたらどうなるんだろう?っていう、興味もあったと思うんだよ。
モモ うん、そう。以前の私はこだわりが強すぎて、誰の意見も聞かない人だったんだけど、2015年にアルバム『Wonderblue World』(注:坂本サトルがプロデュースし既存の曲をリアレンジしたベストアルバム)を作ったときから、そういう思考をがらっと変えたのね。ソロになって、徐々に変えていってはいたんだけどその時にがらっと変えた。
『Wonderblue World』制作のときに、サトルさんにプロデュースをお願いしたわけですけど、サトルさんはボーカリストでもあるから、歌の録りも含めて安心して全てをまかせることができた。そういう信頼関係があったから、今回も全部おまかせして。
私がセットリストを組むと、あの内容にはならないです。
例えば、「オオカミの唄」とかああいう激しめの歌が、あんなに前半にはこないんですよ、私だったらね。でもそれがまた緊張感になったり、ここでくるのか!っていう面白さがあって。
ライブにゲスト出演してくれたライスボールの実土里ちゃんが、ステージで「モモさんって何人もいるみたい」って言ってくれたけど、そういうコロコロ変わる歌の表現の仕方とかも、私だったら、前半はおとなしめにして後半に向けて激しくなるっていう、なだらかに変化していく考え方でセットリストを作るんです。
でも今回のセットリストは、全体的に波のような緩急がすごくあった。最初からあんなに大きな波がくるような構成は、普段はあまりやらないから、新鮮だな、やってみようかなって。
今回のライブは、生まれ変わるじゃないけど、「新しい私」みたいな、「ここからまたスタートします!」という決意表明も含んでいたので、そういう新鮮な自分に出会いたいっていうのもあったから、ああいうセットリストにチャレンジしました。
ー 20年の過去の振り返りというよりは、第三者にプロデュースされることで、「新しいモモ」を引き出してもらうような?
モモ うん、そう! やっぱり、以前までの歌だけやっていた私とは全然違うから。
どこに出しても恥ずかしくないステージを三沢で見せる
サトル 自主レーベルになると、ブッキングから何から何まで全部自分でやらなきゃいけなくなるじゃない。それにかなり忙殺されるのよ。スタッフとの打ち合わせがどうとか、舞台どうすんのとか。
例えば、ああいう会館のステージの床って、借りたまんまの状態だとただの木の板なわけで、そのままでやると、学芸会みたいな地元のアマチュア感がすごい出るんだよ。だからステージに黒いパンチを貼る(注:パンチカーペットを敷く)んだけど、お店やりながらのモモちゃんだとそこまで考えが回らないだろうし、考えたとしても手配が大変だしね。だからそういうのは全部、俺がやるんだと。「どこに出しても恥ずかしくないクオリティのステージを三沢で作るぞ、見せるぞ」と。
もちろんいろいろ大変なとこはあったよ。お金のこととかもね。いろんな人に頼みまくって、いろんなものを無料で借りてきたからね(笑)。
でも「モモちゃんの大事なライブなんだ」って言うと、みんなが「いいよ、いいよ」って快く引き受けてくれた。愛されてるよね。
ー 実際に出来上がったステージセットを見て、いかがでしたか?
モモ バンドメンバーのみんながステージにパンチ貼っている写真や動画がLINEでじゃんじゃん送られてきてね(笑)。そういうのを見て、楽しそうだなーって。みんなで一緒にステージを作ってくれているの。だから本番でも、「これがみんなが敷いたやつだ!」とか思いながら、そういうひとつひとつの手作り感がとても嬉しくて。手作りって言っても、ゆるい感じじゃなくて、ちゃんとピシっとしてるじゃない? クオリティは守りつつ、自分たちで作るっていうところが、すごい愛だなって思って。
だから私がみんなにご飯を作っていたときも、そういうことに対して、自分のできることで恩返ししたいっていう気持ちもあった。
本当にみんなで作ったステージだったの。感謝!#モモ20周年 pic.twitter.com/SzJSIJEVsi
— モモ (@momo0801) April 5, 2024
サトル 静はいるけど、基本、坂本サトルバンドって男ばっかりじゃない。そうすると、モモちゃんみたいな子って、みんなかわいがるわけだよね。モモちゃんのためだったらやるか、みたいな。それでみんなでわいわい盛り上がってやった。
慎也(鈴木慎也、Drums)はふだん、内装の現場仕事してるからね。すごいんだよ、あいつ! 段取りもいいし手際もいい。 普通は3時間かかるって言われてたのを俺たち1時間でやったんだから!そういう事もうちのメンバーはみんな面白がってやってくれる。
ー バラシ(撤収作業)の現場を見せていただいきましたが、出演者が総出となって作業をしている姿に驚きました。
サトル 普通は出演者はやらないよね。スタッフとかバイト君がやる。でも出来ることは自分たちでやって、そのアルバイトを雇うお金を違うところに回すという考え方だったから。まぁ…よくつき合ってくれるよね。達哉さんも、俺のプロジェクトのときは積み込みとかも手伝ってくれるからね。ただ今回は達哉さんはほんとに凄まじいスケジュールのなか参加してくれたんだけど、ちょっと具合悪くなっちゃっててね。極度の疲労で。で、昨日は静に達哉さんをホテルに連れて帰ってもらって、片付けは俺と山口君(山口克彦、guitar)、慎也、マットで。みんな嫌がらずにやってくれるんだよね。

慎也、サトル、マット

観客として来ていた
多田慎也も撤収に参加

スタッフ総出で階段で機材を運ぶ
ー そういうことも理解して仕事を引き受けてくれてるんですね。
サトル ありがたいよね。
三沢市に住んでいるのはモモちゃんの強み。ここでライブをするのが一番いい
ー 先ほどサトルさんは、「どこに出しても恥ずかしくないクオリティのステージを三沢で見せる」とおっしゃっていましたが、モモさんはサトルさんのそういう思いに対して共感した部分もあったんですか?
モモ うん。そういう思いは、三沢に来たときからずっとあるよ。だってこっちに帰ってきたら、やっぱり絶対「あ、音楽やめて帰ってきたんだ」「売れなかったから帰ってきたんだ」とかそういう目で見られる。でも私は、「ここにいながら音楽をやる」って決めていたから。そういう思いは、ずうっと、ずうっとあるよね。
でも、ひとりぼっちだと実現が難しかったけど、こうやって仲間がいて、引っ張ってくれる人がいたりすると、一気にそれが実現できる!っていう感じ。
サトル モモちゃんには、そのポテンシャルが元々ちゃんとあるからね。
モモ だから全然、音楽のクオリティだったり、そういうことは諦めていなくて。むしろ、まだまだかな。
ー 青森市ではなくて、三沢市でホールコンサートをやるっていうのもこだわりだったんですか?
モモ まぁ、それは地元だからっていうのもあって。あそこの公会堂の規模とか知っているからっていうのもあるし。そんなに強いこだわりではなかったかな。
サトル え、そうなの?もしあれが青森市内で、あの規模でライブやるんだったら、お客さんあそこまで入らなかったと思う。
モモ そうそう、そういう不安はあった。じゃあやっぱり三沢かな…みたいな感じだった。
サトル 俺は絶対に三沢でやるって思ってたよ。モモちゃんが三沢に住んでるのって、すごい強みだから。制作の立場から言っても、三沢でやるのが一番お客さんが集まるだろうとも思う。ちゃんとストーリーがあるからね。
ストーリーってとても大事なんですよ。なぜそこでやるのか?っていう理由がすごく大切で。ストーリーにみんな共感するから、じゃあ、俺も手伝うよっていう人たちが現れたり、リハーサルスタジオを提供する人が現れたりする。
いまモモちゃんは生まれ故郷の三沢に住んでて、お祖母ちゃん、お母さんがやっていたお店を継いでる。近所の人たちも、モモちゃんが小学生の頃、ピンク色のランドセルしょって全身ピンク色の洋服を着て変わった子だね(笑)って言われていた頃から知っている人たちがいっぱいいる。本当の地元でしょ。そういうところでやるのが一番いい。必然性がある。特に周年ライブは。
ー なるほど。単純に、青森市のような都市部で開催する方がやりやすいのかと思っていました。
サトル 東京とか県外の人から見たら、同じ青森県内じゃんって思うかもしれないけど、青森県の人にとっては、三沢市に住んでいる人が青森市でライブをやるっていうと、全然、地元感がないのよ。
俺だって、なんで毎年JIGGER’S SONのライブを仙台でやるかっていうと、そこがJIGGER’S SONの結成の地で、スタートの場所だから。これもストーリーなんですよ。年に一度のライブの会場を、ただ大きい街だから人が集まるんじゃないかと思ってなんとなく選んでも、なんでそこでやるの?って思われるともうダメなんだよね。理由というか必然なんだっていう説明が必要。
モモちゃんも、青森市でライブやったとしても「地元でライブやってる!」って感じしないでしょ?
モモ うん、そう。
ー 三沢市公会堂では、デビュー直前の20年前も、10周年のときもライブをやったそうですね。
モモ そうです。三沢市公会堂は思い入れも深いですね。青森市でやることも全然いいと思うけど、あんな大きな規模ではできないかな。
サトル 場所は三沢市公会堂一択だったよね。そしてまた空いてんのよ(笑)、安いしね。搬入搬出の経路がかなりキツくて大変だったけど。
まあとにかくステージのクオリティにはこだわったよね。多分、三沢の人はあの会場であのクオリティのライブってあんまり見たことなかったと思う。びっくりしたんじゃないかな。
モモ 三沢の人、どのくらいいたのかな…。10周年のライブの時は三沢の人だらけだったんだけど。今回は遠方からもたくさんお客さんが来てくれて、顔が知らない人もたくさんいるっていう。
サトル 10周年ライブのときは、モモちゃんが全部手売りでチケット売ったから。チケット買ってくれた250人の顔をほとんどわかってたんだって。
モモ そうね。割と把握していた。10周年のときは協賛もつけたから、会社の人が社員の分まとめて何枚買った、とかもあったけど。でも今回は全部、個人個人が買ってくれたから。
サトル 今回のライブは、プレイガイドでの販売がマストって考えたんだよね。配券(※プレイガイドに預けるチケット)は何枚でもよかったんだけど。ローソンチケットでも売ってますっていうことが重要。結局ローソンチケットでの販売が予想以上に伸びてびっくりしたけど。
モモ 最初はちょっと不安でしたけどね。誰が来るんだろうって(笑)。
やっぱりさ、自分は活動を続けているつもりでも、コロナ禍で音楽をお休みしていた時期もあったし。
以前はね、1年に1回必ず三沢で、100人くらいの規模のところでワンマンライブをやっていたの。だけど、コロナ禍とかいろいろあって、ライブもお休みして、その間にお客さんもがらっと変わって。デビュー当時のファンも、それぞれの事情があって、みんないろんなことに一生懸命になっていると、やっぱり続けてないと忘れられちゃうこともあるんだなって。
だから最初は、ライブをやることはとってもわくわくしたけど、チケットが売れるかどうかは正直不安で。宣伝活動いっぱいしなきゃって、新聞に取材してもらったり、ラジオにいっぱい出演させてもらいました。
ここからのモモちゃんが、本当に面白くなっていくと思う
ー そのおかげもあってか、チケットはライブ一週間前にソールドアウトしましたね。
今日の「アフターライブランチ」にいらっしゃっていたお客さんがお話していましたが、「ミリオンレディオ」でモモさんを知った方がいらっしゃったり、昨年6月に青森市で行われたイベント「HOMETOWN MUSIC LIFE」でモモさんの歌を知ったというライスボールやリンゴミュージックのファンの方がいらっしゃったりと、モモさんのこの10年間の活動が新しいファンの獲得につながっていったんじゃないかと思いました。
サトル みんな、俺さえもそうなんだけど、モモちゃんのフルサイズのライブって観たことなかったと思うんだよね。ラジオからファンになった人は、ラジオのモモちゃんしか知らないし、「HOMETOWN MUSIC LIFE」にしても、その他のイベント出演の時も数曲しか歌ってなかったしね。どんなにすげぇって思ったとしても、せいぜい4、5曲なわけで。だから、本当のモモちゃんを誰も知らないまま、ふわふわした取り巻きがいるっていう状況になってたと思うんだよね。
その一方で、「こんな人いたんだ」って注目もされ始めてて。すごいベテランなんだけど新人みたいな感じ?急に現れたこの人、デビュー20年とか言ってるけど、みたいな(笑)。
モモ そうなの。だって20年とはいってるけど、今回のライブでもデビュー当時の私を知らない人がほとんどだった思うし。今日のアフターライブランチでは、デビュー当時からの私を知っている方が2人だけいらっしゃって、当時のお話をしてくれたけど、みんな何のこと言っているかわからなかったと思う(笑)
サトル あ、その昔からのファンの人が今回のライブを観て、全部良かったって感想を言ってくれてね。あ、ちゃんと今のモモちゃんも受け入れてくれたんだなと思って。嬉しかったなあ。
俺は、今回のライブがモモちゃんにとってのスタートだったと思うんだよね。いろんなものから解き放たれて「モモはこんなステージがやれます!」って、みんなにも見せつけたわけでね。
ここからモモちゃんが、本当に面白くなっていくんだと思う。新曲のリリースも決まったしね。
(後編に続きます)
■モモ『Wonderblue World』