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「私なんか」がよぎった時によむノート

私自身、よく出てくる思考の一つに「わたし(なんか)が発信する意味とは…?」がある。

存在価値が揺らぐほど深刻ではない、けれどもほんのり自己否定の香り…
そんな時にいつも思い出す話があってね

そもそも自分とピッタリ同じ場所に立てる人間は、この世界にいないという話です。


同じ場所に立つことはできても、時間は必ずズレるから!ゆえに、全く同じ場所からの景色を、同時刻に見られる人はいないことになる。


自分がなにかをやりたい、発信したいと思う時って、それを受けとりたい人が同時に発生してると言われてる。(セットで生まれる)

それは対消滅する運命だから、放っておけば望みは叶うのだけど(原理上)いかんせんアレやコレやと考えだすのが人間たち(^−^)

まだその段階ではない!だの、もっとこうなったら!知識をつけたら!!しまいには私より凄い人がいるし、なんてことを思い始める。

……それは、そうだろうよ。
一生経ったって、自分より凄い人は存在しているよ。

そもそもみんなが完成品を求めているわけでもない。
過程が見たい人からしたらそこに需要はないわけで、【視点の話】が腑に落ちると「私なんか」って思考は本質からズレてることに気付くと思う。


一人ひとりの視点の大切さについて解説しているYouTubeをどうぞ↓

(15:35分頃から本題:視点の話)


みんな立っている場所(緯度と経度)が違うのだから、見える景色が違って当たり前。意見が合わなくて当たり前。

地球になにしに来てるかって、色々な視点ごっこをしに来ているんだよー!

それぞれの視点から物事を見て、それをシェアし合うのが存在している意味なんだ。



たった一者の私(I)が、この三次元世界を観測するために座標を持って現れた

全く同じ座標に立てるものは誰もいない

それが個の重要性であり、世界にいるすべての「わたし」は、それぞれかけがえのない存在


視点を上げると(ソースの視点に立つと)お互いがどこに立っているかが分かる。
全体像が見える。

「ああ、だからそういう意見なのね!」と認め合える。敵がいなくなる、という意味でまさに無敵な状態になれる。

それってすごく優しい世界だよね♡


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