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大学というシェルター

大学というところは、ある人にとっては冷たく突き放した公共の場であるし、ある人にとっては温かく黙って手を差し伸べてくれるシェルターのようなところだなと心が満たされる話があった。

親との関係性が悪く、家出をしたその学生はネットカフェを利用して寝泊まりをしていた。アルバイトの稼ぎは学費、衣食住の生活費に充てられていた。大学生活に支障が出始め、就職活動においてもインターンシップでの不法な就業経験をさせられ犯罪に巻き込まれそうになったりと、次から次にネガティブな出来事が襲いかかってきた。半年前からは友人の実家に少額を支払い住まわせてもらっていた。私のところにやっとやって来た。

学生が一番望んでいることは、親から離れて生きていくことだ。一生懸命に自身の将来を見定めようとするが、できない。心が傷ついていた。

後日きたチャットには、大学を退学し、生活のためにお金を稼ぐことを考えていると書いてあった。自分のやりたい夢と他大学に編入したいためであると書いてあった。この気持ちに揺るぎはないと書いてあった。

電話でのコーチングが行われた。友人の家には自分が一人になれる部屋がなく、家から遠く離れた公園からの電話であった。寒かっただろう。寒いから屋内へ入るよう勧めた。

その日は親子関係についてコーチングがなされた。相当きつかったのだろう。泣きじゃくっていた。

私はデンジャラスなコーチングをしてしまったのではないかと悩んだ。決めつけた発言をしていたのではないかと・・・・私は気分が塞いだ。
「今日話してくれたことのうち、一番簡単なものから行動してみて、すると周りが動き出すからね。」とせめてもの私自身に言い聞かせるように学生にチャットを送った。

そして私の授業に出席をするように約束した。

学生は約束した私の授業を欠席した。

学生から電話があった。

葉っぱの中心に葉っぱが咲いた

大学を卒業すること、シェアハウスを見つけて住むことをしたいと話してくれた。

何が決め手になったかを訊いた。

すると、私との電話の後に、家人に『今年中に出て行ってほしい』と言われ、絶望を味わい、もうどうにでもなれと思ったこと、それから、
大学というところは訳の分からないことを分かるようにするところ』と言った私の言葉が決め手だったらしい。これは私が17,8年前に東大の玄田有史先生の「『ニート※』という言葉」という本を出版された時の講演会で聴いた言葉だ。

あの寒空の電話以来、この学生は間もなく退学し、揺らがない気持ちを体現すると思っていた。学生はまったく逆の事を言った。

友人の家を出て、シェアハウスを探すこと、冬物のコートは自宅に戻らずに、安価なものを買ったと言った。就活のために以前紹介したOBと連絡を取り、相談をしていると言っていた。よし、私からも彼に今日、頼んでおこう・・・。

大学には、ひとりになれる場所があり、事情を聴いてくれる大人はいる。
よく知っている場所であり、雨風がしのげる。命を守ることができる。
できれば学内のどこかに隠れて夜を明かすことはできないだろうか・・・。昔は地方の大学構内の図書館は24時間開いていたことを聞いたことがある。これも条件付きであったのだろうけれど。

私は職場である大学に自分の母校のような愛しさと尊さを感じた。そして、この学生は得がたいエンゲージメントを充足させる貴重な経験をこれから更に味わっていくのだろうと思った。

※ニート(Not in Education, Employment, or Training)イギリスが最初に提唱した

mihoko


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