三度の飯よりスーパー好き
※写真は参考です。けして本編とは関係ありません。
僕は福井で生まれ(福井というと「九頭龍」)、兵庫県伊丹市(ご存知「清酒発祥の地」)、大阪府高槻市(サントリー「山崎」のお膝元)、福井に戻り、それから神戸(灘五郷。「菊正宗」「福寿」もあるけど、僕は「櫻正宗」派)と小学生まで転々としていた。
僕が神戸に引っ越してきたのは小学校2年生の時だ。
引っ越してきて、1週間後の土曜日、慣れない生活の中、夕食後家族ででかけた。歩いて10分ほどの甲南本通商店街だった。
その日は祭りだったらしく、なぜかサンバの仮装行列があり、カラオケ大会があり、ヨーヨー釣りがあり、金魚すくいもあった。
僕は幼心に「なんて楽しいところに引っ越してきたのだろう」と感激したことを覚えている。
甲南本通商店街は神戸の海手から山の手まで当時は800メートルくらいの商店街だった。本通りをメインに脇道までアーケードがありパン屋、肉屋、魚屋、八百屋、乾物屋などそうそうたるそろい踏みで、僕は一人で買い物にいくことも楽しかった。土曜日には薄暗いアーケードの中にある肉屋で、注文したら目の前で揚げてくれる1個40円のコロッケを買いに行くのも楽しかった。
そんな、甲南本通商店街は今はもうない。
1995年、阪神大震災に襲われた僕の地元、甲南本通商店街もアーケードはつぶれ、本通りのメイン以外の小路地の商店街は軒並みつぶれた(物理的にそして、経済的にも)そして、火災も発生した。
甲南本通商店街が復活し始めたのは、1997~1998年になってからだ。
一つのスーパーが産声を上げた。
因みに神戸では「生協」いわゆる「co-pu」が非常に強い。他の地域についてはあまり知らないが・・・・。
あめは「あめちゃん」と「ちゃん」づけなのに対して、生協は「コープさん」と、「さん」づけだ。それくらい「生協」に対して信頼が高い。
もちろん、甲南本通商店街にも「生協」はあった。震災後もさすが大手、いち早く復活した(もちろん、震災後すぐに開けてくれて僕たちの生活を支えてくれたのは言うまでもない)。
「KONAN食彩館」
それは、一言で言うと、「スーパーマーケットであってスーパーマーケット」ではない。
新甲南協同組合は、KONAN食彩館という屋号で親しまれています。
多元化方式によるセルフスーパーですので、各コーナーが専門家による鮮度管理・商品づくりでお客様に喜ばれています。
今後もいろいろなイベント・特売セールを行い、地域一番店になれる様、常に前進あるのみでガンバっていきたいと思います。(神戸小売市場連合会より)
そうです。多元化方式による、セルフスーパーなんです。
要するに、甲南本通商店街にかつてあった各店舗が協力してスーパーマーケットを作ってくれたのです。
いうなれば、「甲南本通商店街のドリームチーム」なのです。
僕の同級生にも、八百屋の孫や天ぷら屋(関西でいう天婦羅です)の息子などいました。その各商店が一致団結してスーパーマーケットを作ってくれたのです。
地元民としてこれほど心強く、かつ、元気づけたいスーパーマーケットがあるのでしょうか。いやない(反語)。
大手のスーパーマーケットのように大量に仕入れて大量にはくことなど、できません。もちろん、特売などでがんばって安くしてくれる日もあります。
けして全般的に安いわけではないのです。
それでも、KONAN食彩館で買うのは安心なんです。
大手のスーパーに比べて多少高くても「本当にいいものを僕たちの食卓に少しでも安価に届けてくれている」という安心なんですよね。
そして、KONAN食彩館で買うということが、僕を育ててくれた街に対する感謝であり、そして地域に少しでも貢献したいという気持ちなんです。
僕が愛するスーパーマーケットというと「KONAN食彩館」なんです。
さて、タイトルに戻ります。
僕はスーパーマーケットをうろつくことが大好きです。
三度の飯より大好きです。
それは、定点観測。
日々の市場の動向をみる。
そして、あくなき探究。
僕はただの食いしん坊なのです。