眩暈
あれはなんだったっけかな?
僕は頭の中に一瞬降りかかった影を、その影の先っぽを捕まえようとしていた。
隣ではヒナコがうつ伏せになって眠っていた。
細く白い肩甲骨。ショートカット。揃えた前髪。あけたばかりのピアス。
僕は、あの影のことが気になって、ヒナコを起こさないようにそろりとベッドから降りた。
遠慮がちに下着を履き煙草に火をつけた。
煙草には記憶を逆流する作用がある、と僕は信じている。
目を瞑り、煙草を深く吸い込む。そして、ゆっくりと煙を吐き出す。
自分の深淵に深く、とにかく深く潜り込んでいく。
イメージ
(なんの?)
あの日
(どの日?)
あそこ
(どこ?)
新緑。新緑の合間からみえる清々しいほど蒼い空。木漏れ日。時間は昼。音。川のせせらぎ。冷たい。川に足をつけているんだ。
誰?
僕は猛烈な吐き気に襲われて、トイレに駆け込んだ。
トイレから出るとヒナコはシーツをまとってベッドに、起き上がっていた?
「大丈夫?」
「問題ない」
僕はそう言うと、冷蔵庫からビールを取り出し、プルトップをあけ、胃の中に流し込んだ。
ヒナコは心配そうに僕を眺めていた。
そのヒナコの様子に、妙にイラついていることが認識できていた。
僕は煙草に火をつけ少しでも落ち着こうとしていた。
加速する。
吐き気を押さえ込むように僕はビールを胃の中に流し込んだ。
イライラが押さえ込めない。
僕は急いで服をまとい始めた。
「どこいくの?」
「帰る」
「かえるって…どこに…」
「わかんない」
僕はそう言うと、煙草と財布を持って部屋を後にした。
外は4月。少し肌寒い。
こめかみの痛みがひどくなる。
(帰るってどこに…)
記憶?
違う、僕はあんなところに行っていない。
誰?
家族とかヒナコ以外の女性と旅行なんて行っていない。ヒナコといった旅行もディズニーランドだけだ。
あれはもっと自然に囲まれた感じだった…
何か、映画やドラマ?
違う、体感している。僕がそこにいたんだ。
吐き気はとまらないし、こめかみの痛みもひどくなる。
僕は煙草を吸いながら歩き続け、煙草がなくなっても歩き続けた。
夜桜が無惨にも美しい。
家に帰ったのは朝の5時前だった。
ひなこは僕が出て行った時とおなじままベッドに座っていた。
頭痛。軽い眩暈。
僕は荷物をまとめてヒナコの部屋を後にした。
「これが、僕とヒナコの別れた話。彼女は何も悪くない。ただ、僕は後悔していない。もちろん、ヒナコには悪いとは思っている。けど、僕はどうしても彼女と別れなければならないと思ったんだ。」
そう言って僕は目の前の蝋燭を吹き消した。
「次は誰が話をするんだい?」
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