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多様性のある意見を求めるなら、それを受け止める器が必要という話

こんにちわ、Kimmyです。最近ようやく、学校での授業で、一人ひとりが自分の意見を発言し、様々な意見があることを認識しつつ議論をするという教育が始まったようで、遅ればせながら、とても素晴らしいことだと思っています。かつて学校の授業では、先生が一方的に教え、生徒や学生はそれを知識として記憶する事が多く、生徒や学生が自分で考え、多様性のある意見を議論することはとても少なかったからです。議論をすることによって、新たな気づきやアイデアも生まれてきます。数学のように答えが一つである場合は別にして、それぞれの生徒が新たな発想ができるようになる教育が必要だと思っています。例えば、書物を読んで作者の意図を説明するような場で、先生の言う答えが一つだけで、試験では一つの決まった答えをするようにと言われると、私は「この先生は作者に直接聞いたのかしら?」と思っていました。異なる解釈を発言すると、「アマノジャクだ」だとまともに聞いてもらえなかった記憶が残っています。もしかすると、何年か後には、学者から別の解釈がでてくることも考えられるのにです。このような教育は、生徒を一定の固定概念に固めようとする教育で、今の世の中のように、自由な発想が求められ、正解が一つではない時代においては、子供の成長を阻むことになり兼ねないとも考えています。

企業の中でも、社員が自由な発想をするようにと、様々な提案をする場が設けられたりしていますが、その発表の場で、提案を受けた経営層が感情的になり、全面的に提案を否定する場を何度か目撃しました。自由な発想や意見を求めるなら、最低でも、その意見を柔軟に受け止めることが大前提なのにです。私自身、仕事の場で、自分の意見を言ったところ、感情的に、「そんなことをいうヤツは、クビだ!!」と何度か、何人かの上司に言われたことがあります(苦笑)。これでは、いつも「自分の意見を持って、発言するように」という、いかにも物分かりが良さそうな雰囲気を出していることと矛盾します。例え、最終的には異なる決定となっても、それは仕方がないことと諦めますが、頭から高圧的に否定されると誰でも凹んでしまい、それ以上自分の意見を発言することを躊躇うようになってしまいます。

若い人達に、自分で良く考え、自分の意見を持ち、それを発言するよう推奨することは素晴らしいことではありますが、それ以上に、上の立場の人たちが、彼らの意見を柔軟に受け止められるようになることが不可欠なのです。ところが実際には、自分の過去の成功体験や価値観から離れられず、新たな提案をされると自分を否定されたかのように誤解してしまい、感情的になる人がいるのが現実です。又、感情的に否定はしなくても、役職者が若者の提案が単に面倒だという理由で潰してしまうという話もとても良く聞きます。

上の立場になれば、当然、重要な決定を求められ、責任がある立場になります。ですから、安易に何でも取り入れることは難しいのは事実ですが、少なくとも一生懸命に考えて提案してきた部下の意見を尊重し、例えそれがすぐに採用できなくても、その理由をきちんと説明し、貴重な意見として柔軟にかつ冷静に受け止めるだけの器の大きさが求められると考えます。ましてや、感情的になったり、自分の立場を利用して部下に強制的に従わせることはあってはならないことでしょう。今の時代こそ、過去の価値観にとらわれず、失敗を恐れず、新たなことに挑戦する熱意こそ何よりも大切にすべきだと思うからです。間違っても、妙なプライドや単に面倒だという理由で、せっかくの熱意を壊して欲しくないと切に願っています。

2021年10月15日
Kimmy Ikuko Iwamoto
Office Kimmy代表
https://www.officekimmy.com/

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