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【松本人志問題】まっちゃんは誰のものなのか~大物になることの罪とコストと罰とリスク

松本人志の性加害疑惑は、2023年12月の文春の報道によれば、刑事事件になったわけでも、損害賠償請求をしたわけでもなさそうだ。


つまり松本は今のところ犯罪者でも被告でも被疑者でもない。

そこで本稿では、松本の消費の仕方について考えてみたい。タイトルは「まっちゃんは誰のものなのか」だ。

松本は、明石家さんまやビートたけし、タモリ、とんねるずなどと同じように大物お笑い芸人として消費されている。つまり松本は、桑田佳祐や役所広司、綾瀬はるか、木村拓哉のようには消費されていないのである。

消費者は明らかに、松本の消費の仕方と桑田の消費の仕方を区別している。
下品に笑いたいときは松本を消費して、精神を清めたいときは桑田を消費する。
しかし松本も桑田も同じ芸能界という組織に所属して、千万人単位の聴衆を喜ばせ、大金を獲得するという点でまったく同じである。
そのため松本もさんまもたけしもタモリもとんねるずも桑田も役所も綾瀬も木村も芸能人と呼ばれる。

今回の松本問題の原因は、1)芸能人に求められる倫理が一つになり、2)松本にも桑田にも等しく適用されること、なのではないか。

下品なお笑い芸人に用意された下品用の倫理を適用すれば、今回の松本問題は軽微で済んだ。
そして実際、かつては、消費者も芸能界も下品用の倫理を持っていて、例えばたけしが暴力事件を起こしても、さんまが不倫を何度実施しようとも、温かいまなざしで見守っていた。
では、今回の松本は、下品用倫理が通用しなくなったことの被害者なのかというと、もちろんそのようなことはない。

松本はコメンテーターとして発言するようになり、下品芸人からの脱皮を図った。

つまり松本は、下品芸能人グループから上品芸能人グループに移行したのである。
犯罪者ではない松本が、まるで犯罪者のようにマスコミと消費者から非難されているのは、上品芸能人グループに移行したからだ。

まっちゃんが下品芸能人にとどまり、下品なお笑いを求める消費者だけのものであったなら、下品な消費者たちは今回の疑惑を「松本ならやりかねない」で済ませていただろう。

しかし大阪万博の支援者に任命されたことからもわかるとおり、松本はもう国民のものだ。
そして国民のなかには上品を求める人も下品を求める人もいる。
だから上品を求める消費者から「潔白である証拠」か「制裁を受けること」のどちらかを求められるのはやむをえない。

女性と文春が理想とする落としどころは、松本が性加害を事実と認め、松本が芸能界から追い出され、吉本興業に制裁が加わることなのだろう。つまり松本の書類送検にすることや、賠償金を取ろうとまでは考えていないようだ。

性被害を訴える女性が存在する以上、松本と吉本興業には大規模な説明の機会が求められる。
「女性にも非がある」といったセカンドレイプが起きることはあってはならない。
しかし当該出来事が2015年に発生したとされ、それが8年後の2023年に問題化したことは、松本・吉本側に多少有利な要素である。
つまり、「先月、被害を受けました」といった事態と比べると、今回の松本性加害疑惑は、疑惑ハラスメント疑惑がゼロではない。
女性が受けた被害と松本の加害が事実であれば、女性が受けた苦しみと同等以上の罰を松本が受けることは、法律や倫理の問題を置いておいたとしても、フェアであるといえる。

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