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仕事のこと1.成人式

明日、11日(月・祝)は成人の日。

成人の日に先駆けて、厚真町では本日、2021年の成人式が執り行われた。女の子たちは振り袖や袴に身を包み、男子たちのスーツ姿も様になっている。

式次第も滞りなく進み、幼少期を振り返るスライドショーや、お世話になった学校の先生から届いたメッセージ動画の上映、出席できなかった仲間をリモートでつないだトークタイムなど、終始、華やかな笑顔に包まれる良い式典だった。


私が厚真町と出会ったのは、2012年の4月。

町内の小学生を対象に、体験活動を主軸とした放課後の居場所づくりを目指す事業【厚真町放課後子ども教室】が始まった。ここで体験プログラムを提供する仕事が、前職のNPOに委託され、私が担当者として厚真町へ行くこととなった。

当時、厚真町という名前しか知らなかった私は、事業を主催する教育委員会の面々さえも"初めまして"の状態だった。知り合いもなく、土地勘もなく、いつもキョロキョロあたりを見回していた覚えがある。

放課後子ども教室は、厚真町としても新規事業。しかも、活動の企画・運営を一部、アウトソーシングし週4回実施する。試行期間を2年とし、その後の継続については、この2年の様子を見て判断、という流れであるとの説明は事前にいただいていた。

新規事業。業務委託。試行期間2年。

実のところ、厚真に来る前年に転職したばかりで、主体的に現場をつくるというキャリアは乏しかった当時の私。今、目の前で求められてるモノゴトを整理して、組み立てて、やってみる。これしかない、これしかないと自分に言い聞かせて、ドキドキ(=不安)7:ワクワク(=面白い)3くらいの割合で走り出した春だった。


2012年5月のGWが明け、厚真町放課後子ども教室がスタートした。

現場に出て、初めて厚真の子どもたちに対面。怒涛の日々の始まりである。

1年目のことを振り返り、漢字1字で表してください、といわれたら私は間違いなく【戦】の文字を挙げよう。

『試される大地、北海道』

90年代に制定された北海道のキャッチコピーを借りるなら、

『試される厚真、子ども教室』ですもの。

毎日、毎日、子どもたちに「お前たちは信頼に値すべき者であるか否か」と問われている気がした。暗中模索、試行錯誤、一喜一憂。30数年の人生で、今のところ、いちばん頑張ったと思える日々を過ごしたのは、2012年だと思う。


大変だったなぁ、とは思う。でも、辛かったなぁ、とは思っていない。

それもまた、子どもたちの存在によるもので、今も私たちの現場づくりの根となり、芯を支えてくれている。

「なんで俺たちが1年生の頃とかに始めてくれなかったんだろう?だって、俺たちが子ども教室で遊べるの、1年だけじゃん?もっと早く子ども教室始めてほしかったなー!」

「中学生になったら、放課後子ども教室部、つくる!」

そう事あるごとに言ってくれた6年生。下の学年をまとめて、プログラムの準備から片付けまで、スタッフのように動いてくれた。

毎回、よし、今日も遊ぶぞ!という気持ちとともに「ただいまー!」と帰ってきてくれる姿。どれだけ励みになったことか。怒涛の日々にくじけず、めげず走ってこれたことか。

歴代卒業生の中でも、やっぱり最初の1~2年目の子どもたちは特別な思いがあり、ただただ感謝しかない(卒業式の日、卒業してしまうのが寂しすぎて、学校の玄関前で保護者より号泣し、「泣きすぎだから!」と笑われる)

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そんな1年目を支えてくれた当時の6年生が、今日、成人式を迎えた。

8年前、小学校の卒業を間近に控えた子どもたちと「みんなが卒業して、中学生、高校生になって。成人式とか見れるのかなー?一緒にお酒が飲めるね、なんて日が来るのかなー?」と、話していた自分に教えてあげたい。

二十歳の彼らを見届ける日まで、子ども教室は続いてきたよ。みんなの晴れ姿、すごく素敵だよ。


進学や就職で厚真を離れる子。

地元で頑張っている子。

巣立っていく子もいれば、羽を休めに戻ってきたり、ひとまわり大きくなって帰ってくる子もいる。それぞれの道で良いと思う。

どんな道を進んでも、みんなうちの子、厚真の子。

『出身は厚真町』を胸を張って言える人であってほしい。

笑顔のときも、悩んでしんどいときも、いろんなことがこれからたくさん待ってるけれど、自分のやりたいこと・自分がやらなきゃいけないこと・自分に出来ることを問いながら、どんなときでも生き抜く選択をしていってほしいと願う。

みんなのおかげで私たちの今がある。ありがとう。いつでも私たちはみんなのことを応援しているよ。がんばれー!!

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