わたしのこと6.涙の理由
スポーツの中では、バレーボールとフィギュアスケートが好きだ。
バレーボールは自分でもプレイするし、試合を見るのも好き。
フィギュアスケートは、全然詳しくない。スケートさえ滑れない。でも、小学生時代にフィギュアを題材にしたマンガでハマり、それ以来、テレビで放送されていると、つい目をとめてしまう。
ジャンプの瞬間は見ているだけで体に力が入ってしまうし、リンクの端から端まで続くステップに惚れ惚れする。あんなにグルグルまわって、止まった時、立ち眩みとかしないのかな?と素朴に思ったりする。
世では2022北京オリンピック。日々、熱戦が繰り広げられている。
大会7日目。フィギュアスケート男子、羽生結弦選手は4位に終わった。
ショートプログラムで8位。フリーで巻き返しをはかる。
メダルは逃したが、4位まで順位を上げた。
動画サイトで演技を見て、ネットやテレビのニュースインタビューで語られた言葉を見聞きし、なぜか私はずっと泣いている。
なんで泣いているのか、なんの涙なのか、よくわからない。このままでは、涙と鼻水で眠れないに一票。だから、考えてみた。それと同時に、書いてみることにした。頭の中を整理するために。
北京オリンピックの舞台に立つまでに「正しい努力をしてこれたと思う」と、真っ直ぐに語れるほど、高い目標に挑んできたのだろう。
やるべきことはやってきた、あとは準備してきたものをぶつける、それだけだったんだと思う。
しかし、ミスというよりは、アクシデントに近い出来事に阻まれる。
苦しい、悔しい、報われない。
非常におこがましいのは承知の上だけれど、緊張とか不安とか、自分の内側にあるものでミスをして負けた方が、気持ちは救われたんじゃないかと思ってしまう。
わざとに落とし穴が掘られていたわけではない。本当に誰が悪いわけでもなく、たまたま不運にも、最悪のタイミングに出くわしてしまった。その気持ちのやり場は、どこへいけばいいんだろう?
過ぎた時間は戻らない。終わってしまったなー、の今は何も考えられないかもしれないけれど。
その一方で、「これ以上ないくらい頑張ったと思います。うまくいかなかったことしかないですけど、でも、一生懸命頑張りました」という言葉もあり、終わってしまったなー、の先にやりきった、出し切った自分をどうか労わってほしい。
日本テレビの取材で荒川静香さんが「もうそろそろ自分を褒めてもいいと思うよ」と声をかけていて、その言葉が羽生選手に届くといいな、と心から思った。
涙の理由を自分の言葉で探してみたら、ちょっとわかった気がする。
不可抗力な出来事に、どうにも変わらない現実。
努力の積み重ねに対して、うまくいかなかった、報われなかった思い。
孤高な孤独を知るライバルであり、仲間の存在。
形は違うけど、自分の内側にあるものにほんの少しひっかかって、揺れたんだ。
大会のエキシビジョンにメダリストに加えて、羽生選手も選出されたとのこと。いつもの強気でセクシーで、カッコいい演技と笑顔でキメてほしい。来週の日曜日はテレビの前で応援するぞ。