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仕事のこと2."子どもたちのために"

「地域の子どもたちのために、協力をお願いします」

これって、子どもの活動をしていると、口説き文句として使ってしまいがちなのだけれど。

言っててときどき、ふと思う。

『"地域の子どものため"って言われたら、断れないなぁ』って思わせることはないだろうか、と。


これまで厚真で【放課後子ども教室】という事業の名のもと、農作業のプログラムやリアルお店屋さん体験など、地域の人たちの協力を得て思いを形にしてきた。

「子どもたちに、地元・厚真のイイトコロを体験的に学ぶ機会を届けたい」

「厚真の人や産業、自然、文化などの資源に触れる機会を、地域の人たちと一緒につくりたい」

「地域に根差した体験・経験の積み重ねが、将来の子どもたちを支える糧になるから」

これは私の仕事に対する情熱であり、こだわりであり、信念。

だから、協力してほしい相手には、熱量をもってお願いすることが出来る。

結果、活動を終えた子どもたちは、とても良い顔をして帰っていく。両者にとって有益な関係性のことを、win-winの関係というが、地域とのかかわりを持つことは、子どもたちにとって間違いなくwinなのだ。

さて、一方の協力する側にとってはいかがなものか。

地域貢献として協力してくださる大人の皆々様に、winの要素をどれだけ感じてもらえるか、そこまで考えるのが私の責任である。

ところで、その責任、近頃もちゃんと果たせているのかしら?みんなの優しさに甘えているところはないかしら?

自分で問うておきながら、あぁ、耳が痛い。


社会教育からまちづくりに関わる仕事がしたい、と選んだ今の生業(なりわい)だ。厚真に来てからは特に、子どもがまちづくりに関わる仕組みをつくりたいと考えてきた。一貫して私のこだわりは、『子ども』✕『まちづくり』なのである。


地域における"子ども”の役割ってなんだろう?

「子どもは地域の宝」「地域社会で子どもを大切に育てよう」と昔から言われているのはなぜなのか?

子育て支援、子育て環境の充実が、まちづくりの施策に謳(うた)われる理由は?


もし、厚真から子どもがいなくなったら、どんな世界になる?

私の場合・・・失業。というより廃業かもしれない。

子どもと直接かかわる仕事はもちろん、まちの中に大小、様々な歪(ひずみ)が生まれるのは想像に難くない。


『地域と子ども』にこだわるくせに、ここの訴求がいまひとつなことに気づいた今日この頃。一番大切なところを、相手の想像力に頼りきっていることに気づき、反省する今日この頃、です。


私の周りの人たちはみんな優しい。

だから、私が何かお願いごとをしても「いいよ」と快く引き受けてくれることがたくさんある。たとえ、「いいよ(ちょっと面倒くさいけど)」だったとしても、決してその裏側を感じさせない配慮がある。

本当に、本当にありがたいことなのだけれど、これから自分がやっていきたいことをイメージしたとき、個人の思いとしてだけではなく、このまちに暮らす人々にとって、子どもを大切に育てることはとても重要なのだ、と伝えられるようになりたいと思う。

胸を張って「子どもたちのために、地域のために、協力をお願いします」といえる、そんな大人になるべく、さぁ動き出そう。


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