厚真で暮らすこと10.ボーナストラック
今週末、厚真町では令和4年度の成人式が執り行われる予定だ。晴れの舞台、どうか中止になることなく開催されることを願うばかりである。
昨年、出会ったときは小学校6年生だった子どもたちが、成人を迎えた。12歳が二十歳か、感慨深いわぁ、としみじみしていたのだけれど。
ん?このしみじみ感をこれから毎年、味わうのか……!?と気づいた時の、何とも言えない静かな衝撃。
小学校を卒業したら、子ども教室も卒業。もちろん、町内にいれば、顔を合わせることはあるけれど、週1回、会う機会があったことを思えば、接触頻度は激減する。
子どもたちの成長は嬉しい。小学校生活は6年間と決まっているから仕方がない。でも、やっぱり、ちょっと寂しいなぁ……と思う自分もいる。
と、これまでは、卒業を見送る寂しい気持ちばかりが残っていたけれど、それがここ1~2年、中学・高校を経て、社会人や大学生になった卒業生たちと、再び付き合う機会が訪れている。
子ども教室の活動にスタッフとして手伝いに来てくれたり、一緒にご飯を食べに行ったり、お酒を飲めるようにもなった。
あぁ、10年経つと、子ども教室にもボーナストラックが付くんだな。
最後の曲が終わっても、沈黙したまま、再生時間が残っていて、しばらくすると、急に音が鳴り始めるボーナストラック。本編と地続きでありながら、遊び心を忘れない、あの感じ。
おそらく、子どもたちにとって、私たちの存在は、親ではないし、先生っていうのともちょっと違う、どう敬称したらよいかわからないけど、やたら視界に入る大人なんだろうと思う。
今の現役放課後っ子(小学生)は、小学校に入学した時から、すでに子ども教室があるので、ある程度の形が見えていることもあり、子どもたち、また保護者の方から、子ども教室のスタッフ=先生と呼ばれることもしばしばある。
これに関しては、いや、ほんと、滅相もない。いずい。
一方、子ども教室を始めた当初は、ゼロスタートなので、当然のことながら、ひな形がない。毎日、トライ&エラー。ぶつかり稽古。試練。
特に1~2年目で出会った子どもたちは、失敗を重ねる我々の姿を見ているので、スタッフは"スタッフ"であって、こいつらは決して"先生"と呼ぶ者ではない、という認識が強いだろう。
今も昔も、しっかり"友だち"扱いされている。
今以上に対等にケンカしてたし、子どもたちがしでかすことも、よりアグレッシブだったもんなー。「こいつら、必死だな」と思われてただろうなー。まぁ、実際、必死だったからなー。
子どもたちは、厚真に来て出来た"友だち"だ。
それは出会ったときから変わらない。視線の高さはちょっと変わったかな、と思うくらい。昔はこっちがしゃがんでちょうどいい感じだったけれど、今はフツーに肩を並べている。
それがとても自然で、フラットに友だちとして付き合っている。
(↑ before...)
(↑ after!!)
小学生の子どもたちと過ごす日々も、とても面白かった。
卒業して、一旦、さよならしたけれど、時を経て、ボーナストラックみたいに、また愉快な時間を過ごすことが出来るようになるなんて。
想像していなかった景色を見ている不思議。サプライズ。
子ども教室の、その先に触れている。
きっと、次に私が見つめるミッション、ヒントはここにあるんじゃないかって気がする。
まだ、どんな形になるか、そもそも形はあるのか、全然わからないけど、ね。でも、希望的観測のもとにあるのは間違いない。
友だちって、いいもんだ。
時間は有限。すぐサボって時間を浪費する癖が出てこないように、注意を怠ってはならない。
現役はもちろん、卒業しても、うちの子。我が友、すべてに愛をもって、新たな1年を過ごすことを、ここに宣言いたします。
(現役も)
(卒業生も)
はてさて、どんな1年になることやら。Creepy Nutsが歌うように『伸びしろしかないわ!』って言うの憧れ。精進します。