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『タウシュベツ日誌 第7号』制作プロジェクト@READYFOR 始まりました

プロジェクト開始と目標達成のお知らせ

お知らせしていましたとおり、8月1日18時から『タウシュベツ日誌 第7号』制作に向けたクラウドファンディングプロジェクトがスタートしました。

プラットフォームには、これまでと同様にREADYFORを活用しています。

目標金額として、印刷費の一部に充てる15万円を掲げて開始。それを開始からわずか2時間足らずで達成することができました。

本作で通算8作目となる『タウシュベツ日誌』シリーズには、長く支えて下さっているリピーターの方も多く、たくさんのご支援をいただくことができてありがたいかぎりです。

クラウドファンディングでは、支援者の方に支援金額に応じてリターンをご用意しています。今回は4月と7月にそれぞれ郵便局から発売された「タウシュベツ川橋梁オリジナル切手」をはじめ、『タウシュベツ日誌』シリーズのバックナンバーなど、限定アイテムを中心に取り揃えました。

「タウシュベツ川橋梁オリジナル切手」も用意しています

目標金額を達成したことで、本プロジェクトは次の段階へと進みます。
これから9月にかけて、収録写真のセレクトからレイアウト、入稿作業を行い、10月中旬には支援者の皆さまのお手元に完成した本をお届けします。

クラウドファンディングプロジェクトにおいて、資金調達は重要なポイントであるのと同時に、はじめの一歩です。プロジェクト完了に向けて、ありがたいことにまずはスタートを切ることができたというのが現段階。本を作り上げて、発送を終えるまで気を抜かずに進めていきたいと思います。

資金の使い途

50ページからスタートしたシリーズ。近作は100ページ超になっています。

これまでに刊行した『タウシュベツ日誌』シリーズは、毎号ともクラウドファンディングで制作費を募って制作しています。

クラウドファンディングでご支援いただいた資金から、手数料や送料、その他リターン制作費にかかる分を差し引いた金額を印刷費に充てています。

印刷費用は部数が増えるほど単価を下げることができるので、支援者の数が多くなるほど、ページ数を増やしたり装丁にオプションを付けたりすることができるようになります。

皆さまからいただくご支援のおかげで、昨年は題字の揮毫を北海道十勝在住の書家・八重柏冬雷さんに依頼することもできました。

八重柏冬雷氏の揮毫による題字は『タウシュベツ日誌 第5号』から採用

他にも、前作では遊び紙を加えてみたり、シリーズでは初めてカバーをかけたりと、実験的な試みにも踏み出すことができています。

トレーシングペーパーの遊び紙を使ってみました
表紙と同じ写真を使ったカバー。発色が良い感じです。

本シリーズは、タウシュベツ川橋梁の最後の姿を記録し、後世に残すことを目的にしています。

被写体のタウシュベツ川橋梁が後世に残すべきものであることは間違いないと考えています。一方で、後世に残すべき形で写真集をまとめるのは中々難しいものですが、こちらも皆さまからのご支援を元に一歩一歩進めていきたいと思っています。

これまでの記録の希少性について

2020年から刊行を続けてきた中で、まずタウシュベツ川橋梁自体がだんだんと形を変えてきました。ほんの数年前の写真であっても、もう二度と見ることのできない姿を収めた記録になっています。

まだ壁が残っている時の様子

タウシュベツ川橋梁は水没と出現とを繰り返すことから、「幻の橋」とも呼ばれます。しかし、完全に水没した時期を記録した写真や映像はこれまでほとんどありませんでした。

水没時期を含めてタウシュベツ川橋梁が「幻の橋」である所以を、余すことなくこの『タウシュベツ日誌』シリーズで記録していきたいと考えています。

冬を前に完全に水に沈んだタウシュベツ川橋梁

また、タウシュベツ川橋梁を語る上で周辺の景観との関わりを無視することはできません。

水面にアーチが映り込むタウシュベツ川橋梁と、それを取り囲む雪景色の森。この状況の珍しさや貴重さは、後にタウシュベツ川橋梁が今よりも知られるようになった頃に、その価値が評価されるはずです。

初冬になっても沈まないタウシュベツ川橋梁の雪景色

他にも、橋の壁が崩れた直後の様子などタイムリーな情報を記録できるのは、半年に一度のペースで刊行を続ける『タウシュベツ日誌』ならではだと考えています。

壁が崩落した様子をまとめました

ご支援のお願いです

あらためまして、クラウドファンディングでのご支援のお願いです。

タウシュベツ川橋梁は、北海道でもまだ知る人が少なく、訪れる人はさらに少ないアーチ橋です。近年徐々に知名度を上げつつあるとはいえ、本当に多くの人たちが知るようになる頃には崩落していることでしょう。

どれほど素晴らしい橋がここにあったのか。
後に、過去形で語られるようになった頃に、タウシュベツ川橋梁は真価が認められるはずだと、僕は2005年から長らく撮り続けてきて確信しています。

後世のその時のために残す記録写真集『タウシュベツ日誌』制作にぜひお力添えをよろしくお願いします。


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岩崎 量示|Ryoji Iwasaki
いただいたサポートは、引き続きタウシュベツ川橋梁を記録していくために活用させていただきます。