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試されない挑戦で“あるべき姿”を見つける組織開発
ただ好きであれば、知識は吸収され定着していきます。これが勉強の本来のあるべき姿なのでしょう。
勉強は好きでしょうか?
「勉強が好きか」とティーンエイジャーに聞けば、おそらく大半が「嫌い」と答えるのではないでしょうか。しかし、年齢が上がるほど、「好き」と答える人が増えていくように思われます。実際、どこの文化サークルも、老人で賑わっています。
勉強は、その目的に納得できれば「好き」になると言われています。しかし、勉強の成果が試験結果に直結すること、そして試験結果が自分の人生を左右することは、誰でも理解しています。それでも、勉強を好きになることはないのではないでしょうか。
つまらなくなる学び
確かに、単なる学びは面白いものです。事実、クイズ番組が常に一定のニーズを持つことからもそれは伺えるでしょう。しかし、学校の勉強も、同じように知らないことを知る機会なのに、同じように面白いとは思えません。
ここで、よく言われることが、暗記への抵抗感です。覚えなければならないという状況が、勉強へのやる気を失わせているという指摘には、一定の納得感があるでしょう。その瞬間に「へぇ~」と思うことは楽しいものですが、それを記憶し続けるためには、単に知る以外の努力を必要とします。
そして努力とは、辛くて嫌なものです。だから「勉強=暗記」となって、やる気が無くなるのでしょう。そして、「こんなことを知って、何の役に立つのだ」と、抵抗を示すことさえするかもしれません。
時間的制約を受ける学び
さらに、覚えたことは、必ず忘れます。しかし、覚えた端から忘れるようでは、テストに対応できません。だからその暗記が、決まった日までに継続し、かつ、完了していることが求められます。そこで、「もっと簡単に暗記できないか」と考えたり(暗記法を模索したり)、「考えてもわからないから、何かを暗記すれば済むようにならないか」などと矛盾した思考さえ生んでいったりするのではないでしょうか。
つまり、このような時間的な制約が、勉強を遠ざけているようにも見受けられます。
ただ好きで調べていけば、ドンドンと新しい知識が吸収されます。そして、好きで色々な本に出会えば、重複した記述に何度も出会うので、自然と覚えてしまうでしょう。おそらく、これが本来のあるべき姿なのでしょう。つまり、何かの役に立つとか、暗記法とか、論理的思考で勉強を捉えると、やる気がなくなっていくように思われます。
ビジネスでの評価
ところで、暗記しているものが多ければ多いほど、その人は「優秀」と評価されるでしょう。そして、誰もが「優秀」に近づこうとします。だからそのプロセスを、「成長」とみなしているのではないでしょうか。しかし、このような思考は、本来のあるべき姿(”好き”の探求)からは、かけ離れているように思われます。
実際、ビジネスの現場では、仕事の量的負荷が成長実感に貢献しないと言われています。成長実感を得るためには、量的負荷ではなく、質的負荷を高めることが必要だということです。暗記の量的評価では、成長したとは思えないということでしょう。
また、関係負荷(理不尽さなど)が高まると、成長実感が下がるとも言われています。ただし、質的負荷と関係負荷がリンクしている(一方が上がると他方も上がる)ため、質的負荷だけを高めることは困難です。例えば、英語だけできても、数学ができなければ、より偏差値の高い高校へは進学できません。またビジネスであれば、「Excelが使えなければ、企画書は書かせられない」などの相関がはびこっている場合も少なくありません。
学びの構造と成長実感
成長実感は、ビジネスでは重要なファクターとして考えられています。例えば、入社前の社会的経験が、入社後の成長に寄与することが知られています。だから面接で、『ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)』を聞くのでしょう。しかし、入社前の社会的経験が多いほど、早期退職となる可能性も高くなるというジレンマに陥っていますが…。
また、入社前の社会的経験が少ない者は、入社後、やたらと同期に目がいく傾向があるそうです。そして、「自分が取り残さている」という感覚に襲われる可能性が高まるそうです。しかし、同期に目がいかなければ、一定の成長がみられるとも指摘されています。
これらの現象は、おそらく、成長を自分自身の出来事と捉えられるかどうかによって起こるように思われます。すなわち成長とは、「昨日できなかったことが、今日、できるようになった」ことであるとみなすことができれば、成長実感を得るのでしょう。しかし、「アイツと同じようにできるようになった」ことを成長と捉えると、それは難しいかもしれません。
成長が学びの延長線上にあるとするなら、自らの欲求に従った“勉強”にこそ、成長の礎があるのではないでしょうか。
自分基準を取り戻す
ファーストリテイリングの柳井氏は、常に現状を通過点とし、体制は成長に引っ張られる形で自ずとついてくると考えられているように見受けられます。実際、急激な変化を繰り返すより、安定的な組織を構築すべきと考えた玉塚氏(ロッテホールディングスCEO)は、一旦、柳井氏から後継者に指名されたものの、早々にファーストリテイリングを離れることになりました。
現状に鑑みれば、ことは柳井氏の見立て通りに進んだと言えます。しかし、だからといってそれが“正解”だったとみなすべきではないし、それを問うことに意味はないでしょう。なぜなら、これは、ただ“あるべき姿”をどのように見るかの違いだからです。
アイロニーとは根拠を疑うこと。ユーモアとは見方を変えること。そこに生まれるのが、同じ笑いであっても、その構造は異なります。どちらが“正解”なのではなく、ただ“あるべき姿”に向かっていることだけが大切であり、それが“成長”なのだと思います。
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![岡島克佳](https://assets.st-note.com/poc-image/manual/preset_user_image/production/i04f97ff72d86.jpg?width=600&crop=1:1,smart)