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騙さない狐が狸に化ける組織開発
総じて“口下手”と言われる日本人には、「口車に乗せられて…」「口がうまいなぁ…」と、プレゼンテーション力の高さを否定的に捉える一方、「目は口ほどにモノを言う」「阿吽の呼吸」など非言語コミュニケーションを大切にする文化があるように思われます。ところが、明治維新による西洋文化の流入によって、この文化は否定されてきました。つまり、異なる文化的背景を持った人と交流するためには、言語によって、論理的に意志を伝えるほかないのだと言う考え方が広まったということです。歴史学的に見れば、西洋が産業革命によって世界の中心となったことに呼応してのことだと言えそうです。
しかし、東西冷戦の終結とともに世界の中心は西洋から離れています。例えば、ASEAN、BRICS、そしてグローバルサウスなど、地理的まとまりから地政学的なまとまりへと、世界の動向を左右するキャスティングボードが移ってきていることからも伺えるでしょう。
このような大きな流れは、日常的に外国人と接する機会のない人にも、少なからず影響を与えているように思われます。すなわち、思考の基軸が明確であった時代は、それに従うことが強要され、反発は許されませんでした。しかし従来の基軸が崩れた時、すなわち新しい基軸を模索している過渡期にあっては、あらゆる思考が容認されていきます。具体的には、ジェネレーション・ギャップやジェンダー・ギャップ、あるいは多様性などとして顕在化しているでしょう。確かに枕草子にも「最近の若い者は…」と嘆いている様子が描かれているようですが、嘆いていること自体、それを受け入れてはいないことの証とも言えるでしょう。だから、プレゼンテーション力というものが、今のビジネスパーソンには求められているのかもしれません。
例えば民主主義の世界では、少数意見の尊重に代表されるように、多様な意見を容認していきます。しかし、何かを行うためには、行うべきことを1つに決めなければなりません。そこで、このような社会では、反対意見を説き伏せるディベートが求められるようになります。一方、権威主義の世界では、前提となる思考が固定されているため、自身の発案が、如何にその思考と紐付けられているか、換言すれば、自身の思考を固定化された思考の中で意味付ける能力が求められることになります。
そしてビジネスの世界では、これら双方を巧みに操ることが求められます。それは、本質的に、物事の捉え方や真偽は個々人がどう思うかであって、相対的なものであり、永遠不変の真理は求めないという姿勢が前提になっているからであるように思えます。例えば会議では、多様性を担保しながら話を進めつつも、自身の思惑(やりたいこと、売りたいもの)へと誘導しようとしていませんか。
しかし、このような言語中心のプレゼンテーションは、論理的に説得することはできても、感情的な納得を得ることは難しいでしょう。そこで昨今は、脳科学の知見に基づいた非言語コミュニケーション・スキルの習得がもてはやされているように見受けられます。実際、相手の生理に訴えかけるスキルは効果的であり、カウンセリングの現場でも多用されています。そして、初歩的なテクニックだけで劇的な変化を起こせることは、研修を実施していても実感しています。
しかし、権威主義者に民主主義の論理に基づくプレゼンテーションを行っても、互いに満足する結果に至ることはないでしょう。確かに、脳科学的非言語コミュニケーションによるプレゼンテーションを行えば、聴いてはもらえるかもしれませんが、合意には至らないと思います。ましてや、損得といった合理だけで合意内容を解釈していると、思わぬ事態に遭遇することも否定できません。なぜなら、合理という器には盛られないものが、確かにあるからです。
プレゼンテーション力を高める際には、言語的論理性と脳科学的非言語コミュニケーション・スキルに目がいきがちですが、本質的な感情を見極める力も、また同時に備えるべきではないでしょうか。
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![岡島克佳](https://assets.st-note.com/poc-image/manual/preset_user_image/production/i04f97ff72d86.jpg?width=600&crop=1:1,smart)