高校受験の思ひ出~のんのん回顧録~
母校が少子化によって廃校となったのんのんです(;・∀・)
のんのんの地元でも中学受験が主戦場となってきている印象です。
塾の進学実績にも母校が載らなくなったので中学受験がメインだよなwって思っていたらまさかの廃校になっていてビックリしています。
高校受験はネタの宝庫で思い出深いので、レクイエムとして体験を綴って行こうと思います。
のんのんの中学校は400名を超えるマンモス校でした(・∀・)
今でもマンモス校って表現を使うのか謎で怖いですw
中学1年の時の順位が380位付近でクソザコ状態でした。
のんのんの中学は私立だろ?
私立で下位ならそんなにクソザコじゃないだろ!
って諸兄がいたら過大評価ですw
のんのんが通っていた中学は公立なので私立とは違い、学力ベースではまごうことなきクソザコ状態です((((;゚Д゚))))
そんなのんのんも社会と理科は好きでその二科目は徐々に点数が上がっていき中学3年のときは280位付近まで順位を上げていました。
まぁそんな学力だったので、親からは工業高校に行って家業を継ぐんやって言われていました。
きっかけは高校見学で母校に行って一目惚れ(女の子じゃないですよw)したのんのんは部活引退後にどうしても母校に行きたくて戦略を立てました。
夏休み期間に
社会・理科⇒得意なのでカンストを目指すw
国語・数学⇒嫌いじゃないので基礎からやり直しカンストを目指すw
英語⇒英語は嫌いだし時間がないから捨てるw
のクレージーな戦略を立てて1日8時間以上の勉強を開始しました。
夏休み期間中に人が変わったように勉強をしたのんのんは夏休み明けのテストで30位後半に躍り出ました。
その後、二学期の中間テストもほぼ同順位をキープしまぐれでないことを証明しました(・∀・)
模試もB評価が出て無謀な受験でない位になりました。
ここまで結果を出したのに両親としては、確実に合格できる県立の工業高校に行って欲しいらしく、進学先は揉めに揉めました(´・ω・`)
両親としては、落ちたらどうすんだ?
今の成績なら確実に工業高校に合格出来るし、在学中に成績優秀なら大手企業に推薦も貰える!!
絶対そっちのほうがいいじゃないか?
って主張です。
今の自分なら両親の意見はもっともで今の無位無官よりも工業高校ルートの方がマシな人生だと思いますが、反抗期全盛期ののんのんは猛烈に反抗した!!
結果が出てないなら両親の言い分も理解できるが、こっちは目に見える成績で結果を出してるし模試の結果でも無謀じゃないなら挑戦させてくれてもいいじゃないか?って主張です。
お互い一歩も譲らず平行線に・・・(;´Д`)
そんな状態の中、のんのんは奇策を思いついた!!
推薦入試での受験ですw
正直、のんのんの戦略は実質4教科で受験に挑むようなものでリスキーです(;・∀・)
一つも落とせない身としては推薦入試でダメでも一般入試があるので2回チャレンジが出来るし推薦入試枠を取ったなら両親も認めると思い推薦入試に立候補しました!
この立候補が前代未聞で荒れるとは思ってもみなかったんです(;´Д`)
当時ののんのんの中学で推薦入試の枠を得るには過去の合格者のテストの順位と総得点を参考に推薦枠を決めているようでした。
のんのんの母校の推薦枠残り1枠で事件が起こった!!
のんのん:順位と総得点は足りているが英語がクソザコ
あべ・れーじ:5教科万遍なく得点出来るが順位と総得点が少し足りない
のどっちに枠を与えるかで大論争になったらしい・・・
実質4教科でのんのんの母校の順位と総得点が足りた例が前代未聞で物議を醸すw
順位と総得点が足りてるなら枠を与えてやれよ派
入学した後に英語がネックで留年したらどうすんだ派
250位以上順位を上げた努力は認めてやれよ派
入学からずっとほぼ同じ順位をキープしたのは努力じゃないか派
のんのん派とあべ・れーじ派で大揉めに((((;゚Д゚))))
令和の今の時代ならあべ・れーじに決まっていたと思います。
しかし、昭和の気合と根性が色濃く残る平成!!
しかも!!
ドラゴン桜がリアルタイムでやっていた当時の時代背景も味方したw
落ちこぼれのジャイアントキリングがのんのんに追い風になったように思えます。
クソザコから高得点域まで持って行った実績を高評価した数学の先生が大演説を展開!!
クソザコ状態から国語・数学をここまで伸ばせたなら英語も可能だろ?
って趣旨を熱く語ってのんのんに枠を与える方向で固まったらしいです。
懸念の英語については、高校入学後も赤点は一度も取らずに卒業したので推薦の義務は果たしたと・・・思う!!
受験の参考にはならないので、ネタとして楽しんで頂ければ良かったと思うのんのんでした(・∀・)