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kiyofico
人々よ。
国家の行為に関して、国家の機関であったがゆえに個人が個人責任をおうという法理は、古今東西に例をみないという弁護団の主張。
検事側が侵略思想とみなす「八紘一宇」は、太平洋戦争前の日米諒解案で「ユニバーサル・ブラザーフッド」(世界同胞主義)と訳され、同じく「皇道」は「治者と被治者が一心になること」、つまりは「皇道とデモクラシーと、二つの思想の間に本質的な差」はない。
清瀬弁護人の論が真っ当に思えるが。
東京裁判は結局は政治的戦争責任の追及を目的とする。そして、政治的責任は共同謀議、戦争の遂行、戦争法規違反の三つを犯罪カテゴリーにすれば、十分であり、他の細かい訴因も包含され得る、と判決はいう。
起訴状伝達が天皇誕生日の天長節、判決朗読開始が日本の建国を祝う紀元節、A級戦犯処刑が皇太子誕生日。
何かの意図があったのだろうか。