◆折り合いをつけること
生きていくうえで人から見れば些細な出来事でも、
諦めることを重ねていくのは、大きな絶望に繋がる。
特に、自分の半径5m以内くらいの物事や人に対して諦めることは、
人生に見切りを付けてしまっているようで、
この種類のやるせなさは、諦めたことがあるひとにしかきっとわからない。
ぼくは、そういう諦めや虚しさに何度も殴られたことがある。
だから同じ種類のそれを見かけると、どうしても自分と重ねてしまう。
最初はきっとなんとかしようと思った心の軋みも、
それでもなんとかならなくて、これ以上自分が傷つかないように諦めることを選ぶしかなかった弱さも、
「これはこういうもの」と決断した優しさも、
そしてこれらを埋めることができるものは結局どこにもないことも知っている。
半径5m以内くらいの大切なものの代替なんてそう簡単には見つからない。
代わりがきかないからこそ、諦めたことに対する絶望はとても大きい。
まれにゼロにリセットして一から構築できる強者もいるけれど、だいたいの人間はそんなに強くできてない、自分も含めて。
やっぱり、諦めたくなくてなんとか考えて、もしかして、と思って、あぁやっぱりダメなんだと何回目かわからない虚無感に襲われて、
その繰り返しで、その境界線上でなんとか生きている。
なんとか折り合いをつける人生を生きてる。
この話に結論はないけれど、たんぽぽが綿毛になる瞬間が見たいなと思った。
絶望のなかにそういう気持ちもあるんです。
季節が変わるのを今年も迎えようと思う気持ちが。
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