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2024年10月8日(火) 1日中ほとんど雨

1997年頃、私は山形風冷たいラーメンをコンビニで商品化するため、バイヤーやベンダー、スープのメーカーらとともに山形へ出張した。山形で冷たいラーメンがメニューアップし始める頃に行ってるので、かなりの強行軍である。ってか、スープができればすぐ対応可能だし、メイン具材の鶏肉チャーシュー的なものは、ウチの会社が落とす予定だったので、まぁまぁ時間的余裕はあった。何より、これはあくまで差し込みメニューなので、多くの発注は期待されていなかったのだ。
山形へやってきて、定番の栄屋本店で冷たいラーメンを食う。スープメーカーさんは、店員の目を盗んで、ラーメンのスープを小瓶に取っていた。バイヤーもベンダーも、フンフンという感じで食っている。
「意外とうまいね」
山形は初めてだというバイヤーが、素直な感想を漏らす。私には、夏の山形での冷たいラーメンとゆうのは、半ば当たり前だったので、いちおう冷たいメニューが生まれたと思しき背景を説明した。いわく、山形の夏は非常に暑い、もともと親鳥でダシを取った肉そばというメニューがあった、など。
それではその肉そばとゆうやつを食いに行こうということで、河北町谷地へ。どちらかとゆうと、こっちのほうがバイヤーにはインパクトがあったようだ。
「スープをいっぱいもって帰れ」
スープメーカーさんにそう伝えたが、言う前に小瓶に5,6本取っていた。
その後、メニューの検討会に急遽上がった山形風冷たいラーメンと冷たい肉そばだったが、肉そばの方はなぜか落選し、冷たいラーメンがメニューアップすることになった。私はいまだに、関東のコンビニチェーンで最初に「山形風冷たいラーメン」をメニューアップしたのは、私だと思ってる。
なお、予想外に売れてしまったため、ウチが納品を担当していた鶏肉のチャーシューみたいなやつは、あっという間に在庫が切れそうになった。工場で出来上がりを待って、徹夜でそのままベンダーに納品するという事態が、期間中に2回発生したのはいい思い出である。

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