2024年10月7日(月) 曇のち雨結構降ってる

コンビニの調理麺というジャンルは、1997年頃はたしかに変換期だったと思う。今や当たり前になってる、電子レンジで加熱して食うラーメンとかが、出始めた頃だった。当時は、ラーメンなどの冬メニューは、いったん湯を注いで麺を温めてからその湯を捨てる、というものだった。(まぁいまだにそれが一番うまいとは思う)
電子レンジメニューは、当時でもこりゃだめだとゆうものだった。たしかに、電子レンジがそれほど普及してるわけではなく、性能もイマイチだった。今のように、中国製の安いやつでも、出力が高いってことがなかったので仕方ない。
話が脇にそれたが、ウチの会社は無事に(?)調理麺ベンダーの食材供給メーカーとしてデビューした。その業界では、結構嫌がられたような記憶がある。あの会社が、とうとうこんなとこまで出てきたかと。ウチの会社は、とある方面の業界ではトップクラスのシェアを誇っており、調理麺ベンダーの業界にも、そっちでの競合メーカーもいたからである。私はそんな人達に遠慮して、ただのにぎやかしのメーカーですよとアナウンスしていた。非常に細かい仕事を受けて、大喜びしてるような。実際それで十分な金額しか稼いでいなかったのだが。ほかで稼いでいたので、この分野はあくまで上乗せ程度にしか考えていなかった。
そんな状況で一年ばかりが過ぎ、ある春の日、今年の夏メニューの話となった。当然メインのざるそばに関しては、年中非常に細かい打ち合わせがなされていたが、その脇を埋める新メニューの開発が必要ということになった。当時そのコンビニでは、毎週ベンダーと主要メーカーによる「部会」というやつが行われていた。会議は、私のようなアウトサイダーにとっては、週イチの息抜きの場所だった。試作品を調理したり、ときおり製品のアピールをしたりという。今なら確実に怒られる案件だが、当時はそうした「商売にはならないけど、居心地のいい場所」とゆうのが許されていたんだろう。
その日の部会は、いいかげん煮詰まっていた。夏メニューの新メニューとはいえ、納豆そばととろろそば以外にいいネタが出ない。朝鮮冷麺は、当時の技術では到底実現できそうになかった。(未だに無理かもしれん)会議は、完全に煮詰まった。
そこで私は、ひとこと言ってみた。
「私は山形の出なんですけど、山形には、冷たいラーメンとゆう食い物がありまして、大人気ですよぅ」
煮詰まってた連中が、一気にそれに食いついた。どうも、この会議のメンバーには、トーホグ地方出身者はいないらしい。少なくとも南トーホグの出身者なら、山形名物冷たいラーメンは知ってると思うので。(続く)

いいなと思ったら応援しよう!