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二〇一六年四月 弐

scene 99

理事長の車に小川や中島医師とともに乗り込み、俺の運転で一時帰宅する。先に話は通してあったと見えて、父の車も駐車場にあった。
「私、初めてですよ、石川宗家の敷地内に入らせてもらったの」
中島医師が興奮気味で、普段にも増して甲高い声で早口で話す。
「外からは森にしか見えないからなぁ、それにしてもすごい広さだ」
中島医師は東京の出だと言っていたが、早口ながらも滑らかな語りだ。
「私も始めて来たときは、非常識な敷地面積の個人宅だと思いました」
小川は研究と称してたびたび石川宗家を訪れる。本当に調査をしているから恐れ入るほかない。
駐車場に車を止めるので南門から入ってきたが、正門のほうを見やると門がかすんで見えるほどだ。個人宅でありながら、門から玄関までの間には街灯が数本立っている。
「お父さーん」
理事長は父の姿を見とめて大声を出して手を振る。父もそれに応え、手を振りながら近づいてきた。
「おうサーヤ、久しぶりだな。なんだ中島先生も来たなが、ご苦労様だなっす」
「旦那様、ご無沙汰いたしております」
小川が馬鹿丁寧に頭を下げる。中島医師も一緒に深々とお辞儀をした。
「さ、門の前でお出迎えしましょ」
理事長は母に戻って、父と自然な感じで腕を組んで歩く。中島医師が目を細める。
「理事長と旦那様は本当に愛にあふれたご夫婦ですねぇ」
「失礼ですが、中島先生は」
「独身です。結婚生活より研究のほうに重きを置く人生を選びました」
既婚者ですかと続ける前に返事が飛んできた。
「うむ、いまだに私は迷っているのだよ石川さん、今の中島先生のお言葉は私も常に思っていることなのだ」
小川が真剣な顔で語る。俺も趣味の一環のつもりで、大学時代の卒論テーマを掘り下げてみようと資料など読んでみるのだが、半日ともたない。
「サーヤ、だめよう、学問は趣味程度に抑えときなさぁい」
母は軽く振り返って小川を諭した。母は、母に戻るとゆったりした口調になる。
「理事長のあの切り替わりは、完全な二重人格なんだよなぁ、研究したいなぁ」
本職の中島医師は、本気とも冗談ともつかない口調で言った。
門を出ると、異動したての駅前交番の警官が両親に向けて敬礼した。両親はにっこり微笑んでお辞儀を返す。俺たちもそれにならって頭を下げた。
「そろそろ来るころかしらね」
母が父と腕を組んだまま、駅前ロータリーにつながる道路のほうを眺める。
「来ましたね」
後席のスライドドアに校名と校章を描いたエスティマが、街道から駅のロータリーへとゆっくりと右折して入ってきた。ロータリー途中にある駅前交番のところにつながる道を、ほんの二〇メートル進んだところに石川宗家の正門がある。正門の前には一〇トントラックが余裕で駐車できるほどのスペースがあり、道は石川宗家の石垣と線路にはさまれて続いている。
山口さんの運転するエスティマは正門前に停車する。後部スライドドアを開けて高梨管理部長が降り、続いて三浦家が降りてくる。
「いらっしゃいませ、皆さん」
母がゆったりした口調で三浦家にあいさつする。むろん父と腕を組んだままだ。
「ようこそいらっしゃいましたっす、どうぞ中へ入ってけらっしゃいっす」
父も微妙に標準語を織り交ぜた山形弁であいさつした。
「じゃ、さっそく中へ、山口、車を南門へ」
高梨管理部長が慣れた感じで一行を誘導する。山口さんも慣れた手つきでエスティマを方向転換させ、ロータリーへ出て行った。
「まずひとつ。理事長は学校の中でだけ、ああなのです。学校以外では、あのような、お優しい奥様に戻ります」
高梨管理部長が、三浦家の疑問を解いてやりながら正門をくぐった。
「ここ、ご自宅だったんですか。電車から見たとき、駅のすぐそばに神社があるんだとばかり思ってました」
三浦母が周りを見回しながら言う。
「こんな田舎に土地だけあっても、何もならねっす」
その言葉を聴いて、父が振り返って笑った。
「しかし、ウチのあたりの、一丁目から三丁目まで合わせたくらいあるんじゃないか」
「ここの住所は、寒河江市屋敷。この住所には、地番なしで石川宗家と寒河江駅しかありません」
高梨管理部長が豆知識を披露した。
「ねえ、あれがおうち?」
「だろうな、それにしてもでけえ」
ケイトとナルヨシは小声で会話している。
しばらく歩いてようやく玄関前に着くと、山口さんが先に着いている。
「車で来て南門から入るのが基本だね、このお屋敷は」
「お客様には正門から入っていただくのが基本よ」
母が山口さんににっこり笑って応え、玄関を開けた。時代劇のセットか重要文化財かという感じの間口である。三浦家と中島医師が驚嘆の声を上げた。
「どうぞお上がりになって」
母がスリッパを並べながら微笑む。
「古い家でお恥ずかしいっす」
父も一緒になってスリッパを並べるので、俺もあわてて参加した。
「いや、なんと言うか、その、ものすごい邸宅でらっしゃる」
「たしかに古いですけど、とてもどっしりとしていて、すばらしいお宅です」
三浦父と母は、美術館めぐりでもしているような表情である。中島医師は小川から民俗学的な話をされて、真剣に聞き入っては時おり質問を返したりしている。さすが学問のプロだ。
客間に入ると、孫兵衛さんが座卓の周りに座布団を敷き終わったところだった。冬の初めごろに心筋梗塞で倒れた孫兵衛さんだが、発見が早かったため大事に至らず、入院期間も短く済んだ。春になって雪もなくなったため、以前のように足しげく石川宗家を訪れては祖母の依頼を受けて雑用をこなしている。
祖母はいそいそと茶を淹れ、孫兵衛さんが卓上へ運ぶ。
「まぁ座って座って」
父が明るい声で皆を着席させる。父が床の間を背にどっかと座り、その脇に母が座る。俺は母の反対側に座り、祖母は端に座ったまま。正面に三浦家が座り、あいたところに学院関係者が座る。結構な人数だが、とにかく座敷が広いので手狭な感じがない。
「どうもはじめまして、石川権兵衛と申します。三浦様にはお子様方の寒河江中央学院高校へのご入学、まことにおめでたくお祝い申し上げる次第で」
父が政治家らしい弁舌で訛りを交えすらすらと挨拶を述べる。
「お父さん、話したとおり、この二人をここに下宿させようと思うんだけど、どうかしら」
母は、理事長でなく石川宗家の当主の妻に戻って父に話しかける。
「んだな、ほんでしぇーほんでしぇー、お母さんの言うことに間違いはねぇさげ。しぇーべ、ばあちゃん」
「あたしがイヤだと言うとお思いかえ、こんなかわいらしい子供たちが来てくれるんなんて、うれしいじゃないか」
祖母は東京近辺から来た人間と判ると、最初から江戸弁で話す。東京生まれ東京育ちの三浦母が、おや、という顔で祖母を見る。
「いや、何と言ってよいのか」
三浦父はすっかり母のペースにのまれている。
「パパ、子供たちのことは石川家にお願いしましょう。赤の他人の私たちにここまでしてくださるなんて、ありがたいことですわ」
どうも三浦母のほうが根性が座っていると見える。
「あなたたちも、こんなありがたいお話はないんだから、お礼を言いなさい」
「え、マジでここに住むわけ」
ナルヨシが目をむいた。
「知らないとこにくるんだから、少しでも知ってる人がそばにいてくれるのは心強いわ」
ケイトがまともなことを言った。
「あら佳人、いいこと言うじゃない。
三浦母がケイトを本来の名前の読み方でほめた。
「では理事長、いや、石川さん。こちらにうちの子供たちを住まわせていただくこと、あらためてお願い申し上げます」
そう言って三浦父が恭しく頭を下げると、三浦母、子供たちがそれにならって頭を下げた。
「まぁまぁ、こちらから申し出たお話ですから、そんなかしこまらないで」
母がにこにこしながら答える。
「さてとどの部屋ば使ってもらうがのー。見てのとおり、屋敷だけはでっかいんだ」
「二階がいいと思うの、お手洗いと洗面所もあるし」
俺はいまだにこの家の正確な間取りが判っていないのだが、ざっくり言って、玄関を入ると小さめの居間があり、主に祖母が昼間そこで過ごす。その先に台所、大きい居間があり、普段の食事や家族の団欒の場だ。廊下をはさんで反対側は縁側。その先は、大きな座敷を持つ仏間と祖母の部屋のほうへ続く廊下と、両親の居住するエリアへ続く廊下、風呂トイレなど水周りのほうへ続く廊下に分かれている。俺たちが暮らす離れは、風呂トイレ方面の廊下から分かれる。仏間と両親の居住エリアの廊下の分かれ目のところに階段があり、二階へ続く。前にミギたちが大人数で泊まっていったときは二階を使ってもらったが、そこそこ部屋数はあった。
「ウチの二階は、お客さんが来たときに泊まってもらうのに使ってるのよ、昔から。最近は東京石川の五兵衛さんくらいしか泊まらないし、二階の部屋を使えばいいわ」
「二階はいづお客様来てもしぇーように、いづだてきれいにしったがらっす」
この屋敷の管理人を自任している孫兵衛さんが大きな声で答える。
「二階へ行って部屋を見てみましょう」
母がそういって立ち上がり、三浦家を促した。関係ないはずの高梨管理部長や中島医師、小川に山口さんたちも階段への廊下をぞろぞろとついていく。
「たしかに古い家だとは思うけど、本当につくりがしっかりしてる」
三浦父があらためて感心する。
「江戸時代後期の遺構がそこかしこに残る、文化財なのです、石川宗家屋敷は」
小川が学者の顔で言った。
「ちょこちょこ改築はしてるげっと、柱とか梁とか、基本的などごは一五〇年前と変わってねぇ」
父が解説をはさむ。
「二階は大正時代に増築したと記録が残ってるわ。地主としての最盛期だから、客も多かったのね」
母が付け加える。
「この階段は、大正時代に流行した洋風建築のつくりです」
小川が学芸員よろしく解説する。そういえばたしかに、基本的には純和風の屋敷なのに、この階段から上は少し違うテイストがあると思っていたが、そういうことか。
「手すりのつくりとか、すごくおしゃれだわ」
三浦母は、ほとんど観光客状態になっている。
「なになに、お前たち柿生だってか?おしゃれなとこ住んでるじゃねぇかよ」
山口さんは三浦家が川崎市麻生区住まいであることを知って、さっそく地元話を始める。
「山口センセって、町田なんでしょ?私はいっつも町田に遊びに行ってたヨ」
「自分も町田のほうが好きっす、近いのは新百合っすけど」
ケイトとナルヨシも山口さんになついてしまったようだ。実年齢より若く見えて、生徒たちに気安く接する山口さんはもともと生徒がなついているのだが。
「お前らすげえ幸せ者だからな、忘れるなよ?理事長の家に下宿させてもらえるなんて特別待遇だかんな?」
山口さんが半分真剣に、半分笑って二人を諭す。鬼の指導部の中で山口さんが生徒に慕われているのは、こういう硬軟あわせた対応だ。
「そこまでじゃないわよ」
母が山口さんを振り返って微笑む。
「んーと、この部屋いいと思うんだけどどうかしら?」
母は廊下の奥のほうの客間をあける。重そうな襖がするりとあいた。
「へぇ」
戸は和風だが、部屋の中は床が板張りの洋風なつくりである。
「向かいの部屋も同じつくりで、洋間は二部屋あるの。ちょうどいいんじゃないかしら。お客さんが泊まることになっても、階段近くの広い部屋を使ってるから」
そういえば去年ミギたちが泊まったのはその広間だ。三浦母と子供たちは、部屋の中を観察して回っている。
「理事長、とてもすてきなお部屋です。お部屋の机はお借りしてよろしいんですか」
「もちろんよ。クローゼットもタンスもある。この部屋は外国人向けに作ったそうよ。少し前までベッドもあったんだけど、アンティーク家具のコレクターが聞きつけて買っていったの。机の方には興味がなかったみたいね」
「本当に、すてきな机です。家具まで使わせていただけるなんて本当に」
三浦母は母の手をとって深々と礼をした。
「理事長、ご迷惑ついでにお願いなのですが」
「迷惑かどうかは、お伺いしてから考えましょ」
理事長が冗談っぽく答えた。
「この子達の入学式の時に一緒に来て、生活用品などを揃えようかと思っておりましたけど、家具をこれだけ使わせていただけるのなら、あとは寝具くらいで済んでしまいます。これから、ホームセンターとかで買い揃えて、ここに持ち込んでしまってもよろしいでしょうか」
「まったく迷惑じゃないわねぇ。ぜひそうなさいな三浦さん。でも、電車の切符とかは」
「それはまだ取っていませんのでご心配なく」
三浦母がにっこり笑って答えた。
「それじゃ、今日は泊まりだ。私はホテルをあたろう。駅の近くにホテルがあったよね」
三浦父がさっそく検索を始めた。
「ほだな、うぢさ泊まっていげばしぇーべ」
父が大仰に言う。
「いえいえ、お気持ちはありがたいですが、こちらが勝手に決めたことですので、どうかお気を使わず」
三浦父はぺこぺこ頭を下げながらも検索を続ける。
「そうね、まだちょっと寒いし、ホテルの方がいいわ。三浦さん、駅近くのホテルは知り合いだから手配しておきます。でも夕飯は家でみんなで。よろしくって?」
「えぇ、それではお言葉に甘えて」
「はいきまり。お父さん、凌雲閣に部屋用意してもらって」
「おう、われげっと朝飯だげだってな」
父はすぐに携帯を取り出し、寒河江駅前の老舗温泉旅館である凌雲閣の専務を下の名前で呼んで、話しながら階下に戻っていった。
母と三浦母、ケイトの三人が何を買い揃えるかについて話している。ナルヨシはそこに加わらず、部屋の窓から外を眺めていた。山口さんはナルヨシに話しかける。
「ナルヨシは相談しねぇの」
「いや、着替えと布団と、洗面道具があればいいって話っすよね」
ナルヨシはぶっきらぼうに言った。
「言われてみればそうだけどな。あとは趣味の物があれば足りる。俺もそうだった」
俺もナルヨシに答える。
「あっそうか、石川先生は町田から来たんスもんね」
「実家は所沢だけどな」
「俺は生まれも育ちも町田。でも俺はここ気に入ってるよ」
「自分も、そうありたいっスね」
山口さんと俺はナルヨシを挟んで窓の外を眺めた。
「ちょっとナルヨシー、自分のことなんだからあんたもこっちで相談に加わりなよー」
ケイトが大きな声でナルヨシを呼ぶ。
「男が寄り集まって窓の外眺めて、何してんのよまったく」
ケイトがブツブツ文句を言っているが、言っている本人は男で言われているのは女だ。
俺と山口さんは苦笑したが、ナルヨシは笑いもせずケイトの方へ行った。
「やっぱ、完全に入れ違ってるわけですねぇ」
「あぁ、ちょっと喋ってても普通に男子だわな」
「最近の男子生徒って女子っぽい子多いですけどね」
「うん、学院の普通な男子生徒より男子っぽい」
俺と山口さんは軽い衝撃を感じていた。


scene 100

その後三浦家は孫兵衛さんの運転で市内のホームセンターへ出かけて生活用品を買い込んだ。簡素なパイプベッド、洗面道具にスリッパなどだ。タオルやシーツ、食器や箸などは未使用のものが山ほどあるから買ってくるなと母が言い渡していた。政治家である父はしょっちゅう冠婚葬祭に出かけるので、石川宗家には返礼品でこの手のものがたくさんあるのだ。
三浦父と子供たちがホームセンターのトラックを借りて荷物を石川宗家に運んでいる間、孫兵衛さんは三浦母を伴って市内の寝具店へ行く。孫兵衛さんが店主に事情を話すと非常に驚き、さすが奥様はご立派だと何度もうなずいたそうだ。店主に見繕ってもらった寝具二セットの代金を三浦母が支払いを済ませ、車に積もうとしたところ、店主が後日お屋敷に丁重にお運びしますと深々とお辞儀をしたそうだ。
その日孫兵衛さんと父が手伝い、三浦きょうだいの荷物は暗くなる前に部屋に運び込まれた。三浦家は居間で祖母の注ぐお茶を飲む。俺は学校に戻らず、家で三浦家の世話をしている。
「何から何までお世話になって、本当にありがとうございました」
三浦父がまず父と孫兵衛さんに向かって礼を述べる。三浦家がそれに倣って頭を下げた。
「まぁもういいじゃないか、お茶が冷めちまうよう」
祖母が笑って茶を勧める。
「失礼ですけど、おばあさますごくきれいな江戸弁。私の祖母を思い出します」
「あたしは東京で生まれて一六の歳まで東京に住んでおりました。一五で結婚して、戦争が終わって山形へ帰ってきたのよお。山形弁だてちゃんとしゃべるいじぇ」
祖母の語りに一同が笑った。
「ご一新のとぎ貧乏な殿様の江戸屋敷をまるごと買い上げでたそうだがらなぁ。先々代は仕事が忙しいがったがら、ほどんど東京の家さ家族で住んでだんだど」
「まぁ、なんのお仕事をしてらしたのかしら」
「うちは代々地主だげっと、先々代は政界、経済界と軍部にも顔が利くフィクサーみだいなもんだった。俺もそのつながりで政治家やってられるようなもんだがな。石川さ婿来られねば、党でもちっちゃくなってらんねっけべな」
父は豪快に笑ったが、三浦夫妻は表情が軽く引きつっている。
「し、しかしアレですね、四月でも山形は寒いですね」
三浦父がなかば強引に話題を変えた。荷物運びをしていたので、スーツの上着は脱いでネクタイも外している。
「んだな、東京より半月以上は桜が遅いがらなぁ。んでももう少しで暖かくなるし、夏はけっこう暑いぞ、山形は」
父はケイトとナルヨシに向けて話しかけた。二人はちょっと恥ずかしそうに笑って顔を見合わせた。
「仲がいいんだねぇこの子達」
祖母が三浦母に語りかけ、茶を注いでやった。
「そうですねぇ、小さい頃からいつも一緒にいて、ケンカもしたことないんです」
「あらまぁいいこと。お姉ちゃんが上なのかい」
「うーん、愛佳のほうが先に出てきたので、上ですね」
どっちを指してお姉ちゃんと言っているのか判然としない祖母の問いかけに、三浦母が答えた。
「おやまぁ、昔は、お腹の中に残って弟や妹を出してやるから、後から出てきたほうが兄か姉だったけどねぇ。変わったのかい」
祖母が驚いて言う。
「いまはどっつでもかまねみでだげっと、たしかにばあちゃんの言うとおりで、あどがら出できたほうが上、だっけ」
「なに旦那様、いま双子はそういう風にすねのがっす」
孫兵衛さんが目を丸くしている。
「なんだぁ私がお姉ちゃんなのぉ?私妹キャラだから、ナルヨシが兄貴でいいよぅ」
「そんな態度のでけぇ妹いねぇよ」
二人の掛け合いに、大人たちが笑う。
「あらー楽しそうねー。ただいま~」
そこへ、雪江が帰ってきた。父のわきへすっと座り、ていねいに頭を下げて礼をする。
「はじめまして、石川雪江でございます。三浦様のことは前もって両親より伺っておりました。お子様がたのお世話、及ばずながら私もお手伝いさせていただきますので、どうぞご安堵くださいませ」
あまりにすらすらとていねいな挨拶をされたため、三浦家があっけにとられている。
「で。この子たち?キャー可愛い!可愛い!どうしよう可愛い~!」
雪江は挨拶を終えると、ケイトとナルヨシにすり寄って行って、可愛い可愛いと言いながら二人を抱きしめて頬ずりしている。ケイトとナルヨシはあまりのことに硬直している。
「雪江、いい加減にすろ」
父が冷静に言うと、雪江はようやく双子を解放した。
「だってだってだって可愛いじゃない、キャー可愛い」
「うるせって。三浦さん、娘の雪江です。すいませんこんなので」
「いや、すばらしい女性ですわ。さすが石川のお姫様…いえ若奥様でしたわね」
「バカ奥様ですわ」
雪江の様子に苦笑しながら、母が居間へ入ってきた。小川と山口さんも一緒である。
「おかえり~」
「さぁ、支度手伝って。サーヤもお願い」
「わかりました奥様」
「理事長と小川先生は、うちに来たときはああいう風に変わるの。よそでゆっちゃだめだヨ」
雪江がまた双子に抱きついて耳元で言った。ケイトとナルヨシは真っ赤になっている。
「ユキ、なんてことをしてるんだ。さぁ奥様のお手伝いだ」
小川が雪江の首根っこを掴んで双子から引き剥がす。小川は雪江に対して完全に怒っていた。自分がケイトとナルヨシにやりたくて仕方ない、しかし絶対にしてはいけないことを、雪江が堂々とやっているからである。雪江もそれがわかっていて、わざとやっているのだが。
「おくさ…理事長、私もお手伝いを」
三浦母は奥様といいそうになって理事長と言い直す。母は学校を出ると本当に優しい奥様に変わってしまうのだ。
「三浦さんいいのよぅ。買ってきたものだけだから」
「おう、タカヨシが後で刺身届けに来っど」
父が凌雲閣の専務を下の名で呼んで言った。
その後会食が始まる。双子以外には酒が注がれた。三浦夫婦もいける口らしい。孫兵衛さんも酒を禁じられているわけではなさそうだ。
「ひさしぶりね、ウチでこんな大勢いるの」
「ウチでも五人家族なんだから、少なくはないでしょ」
「おらいなの、ふたりばんださげ、さぶすいもんだ」
孫兵衛さんがポツリと言った。
「ケイト、ナルヨシ、この孫兵衛おじさんもいろいろ面倒見てくれるから。訛ってて何言ってるかわからないかもしれないけど、そのうち分かるわ」
母がまぜっかえして、場が笑いに包まれた。
「そうそう、酔っちゃう前に言っておきます」
母が理事長に戻って事務的に切り出した。
「ケイト、ナルヨシ。この家のルールを伝えておきます」
双子が居住まいを正した。
「部屋の掃除と洗濯は自分でやること。朝ごはんは必ず家族全員で食べること。うちはおばあちゃん以外、外で仕事してるから、お夕飯は一緒には取れない。だからなるべく朝顔を合わせるようにしてる。あいさつをすること。法律を守ること。このぐらいかしら」
最後は母に戻って微笑んだ。
「理事長の言うことわかったわね?もうママに頼れないんだからしっかりしてよ?」
三浦母は双子に強く言いつける。
「大丈夫よママ、私だって自分で洗濯したことあるヨ。ナルヨシのぶんも洗濯してあげるね」
ケイトが明るく言う。
「余計なお世話だ、俺だって洗濯ぐらいできるよ」
ナルヨシが口をとがらせる。
「山口さんも自分で洗濯してるんですよね」
アルコールが適度に回った俺は軽口を飛ばす。
「そりゃやったよぉ。独身だもんよぉ。今は里奈が来てくれっから楽になった」
「うわ振らなきゃよかった」
「小川さんだって東海林さんち行って洗濯とかするでしょや」
山口さんが少し照れて小川に話を振った。
「しません。東海林さんは非常にきれい好きなので、洗濯物が溜まったり部屋が散らかっていたりとかはしないので。むしろ私のほうが東海林さんに」
「サーヤ!それ以上ゆわないの!」
雪江が小川に抱きついて口を抑える。俺と山口さんは爆笑した。そんな姿をケイトとナルヨシがニヤニヤ笑ってみている。
「ケイト、ナルヨシ。あなた達はこの家に住むから、学校の外の私や先生たちのこんな姿を見られる。私もそうだけど、先生たちも学校では別なのよ。そこだけ勘違いしちゃダメ」
母は、双子の表情に一瞬浮かんだ嘲りの色を見逃さなかった。
「おっしゃるとおりです理事長。職場と家庭では別の顔、当たり前です」
三浦父がどっしりとした口調で言い、双子たちを目で諭す。
「はい理事長。わかりましたぁ。あのぉ・・・お願いしてもいいですか」
「あら何かしら」
母は優しげに笑ってケイトに答える。
「このお家では、理事長のことおかあさんって呼ばせてください」
「あらあら」
母は少し困り顔で父と顔を合わせる。父はにっこり笑って大声で言った。
「かまねかまね、お母さんって呼べよべ。俺のこともお父さんって呼べは」
「私もお姉ちゃんって呼んでー」
「ユキ、ずるいぞ」
調子に乗っておかしなことを口走る雪江に、小川がまた本気で怒る。
「石川先生のことはお兄ちゃんって呼んでいいですか」
ケイトがにこにこしながら続ける。
「ダメー。あーくんて呼んでるのこのお家では」
雪江は笑わずにケイトを見て言った。
「ででででは私はサーヤでお願いします」
小川は真剣な顔でケイトに言う。
「何いってんの小川さん、おっかしー。あのなケイトにナルヨシ、あくまでこの家の中だけだぞ、勘違いするな」
山口さんが笑いながらもしっかりと釘を刺す。
「そうね、間違って学校で言ったら、即刻無期停学」
三浦夫妻が大笑いした。
「気をつけまぁす」
「そもそも呼ばねえし」
ケイトは笑って答えたが、ナルヨシは憮然としている。
「ナルヨシぃ、生意気だぞぉ」
雪江がナルヨシに顔を近づける。ナルヨシは酒くっせと小さくつぶやいて顔を背けた。
「お姉ちゃんごめんなさい、ナルヨシ愛想なくって」
ケイトがフォローに回る。雪江はケイトをまた抱きしめる。
「キャーお姉ちゃんって呼ばれたーキャー可愛い可愛い可愛い」
冷静に考えると、この状況は成人女性が一五歳の少年を抱きしめているということであり、えらい問題なのだが。
その夜、会食は節度を持った盛り上がりを見せ、三浦家は宿へ帰っていく。翌日三浦家はもう一度学院を訪れて理事長に挨拶をし、神奈川県の自宅へ帰っていった。

(「二〇一六年四月 参」へ続く)

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