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2024年10月17日(木) 晴れのち曇りだけどなかなか曇らなかった

新世紀なったとはいえ、私の営業成績は毎月大きなプラスかマイナスとゆう、マジで頭おかしいんじゃねえの、というものだった。それでも役立たずとゆわれなかったのは、プラスのときの数字があまりにデカかったからだ。これがコンビニの数字だと、私も開き直っていたものだ。
そんな頃、私の人生でいちばんすごい事態が起こった。それは、「赤キップを切られる」とゆうやつだった。これがどれだけすごいかとゆうと、「前科がつく」とゆうことだ。
ふつう交通違反とかやると、切られるキップは青い地である。それが、50キロ以上の速度超過だと、赤くなる。そのうえ、検察へ行かねばならなくなる。つまり一発タイーホと同等なのだ。
そもそも、そうなったのには、実績がプラスになってたからだった。地方のセブンに商品が採用され、いつものように予想以上に売れていたため、急遽、新潟の工場へ製品を引き取りに行き、その足で客先の工場へ納品する、という絵を描いたのがケチのつきはじめだった。
その日の関越自動車道は、前橋のずっと先まで渋滞していた。確か、土曜日だったため、ゴルフ渋滞もしていたはずだ。赤城高原SAを過ぎると渋滞は解消し、私はタイムロスを取り返すべくアクセルを踏み込んだ。その時乗っていたクルマは、カローラバンで5速マニュアルだった。たしか、うちの会社の営業車でも、最後のマニュアル車だったと思う。私はマニュアル車が好きだったし、この頃のカローラバンは、車体が軽い割にエンジンはパワフルで、スピードが出た。5速マニュアルなので、速度は青天井だった。んでもって、120キロ超で走り続けて、群馬県をそろそろ抜ける頃、捕まった。悪いことに、その区間は80キロ制限だったと言う。わたしは、堂々の50キロオーバーで、一発免停となった。
もはや笑うしかなかった。数万円の「罰金」を支払い、市川の検察へ出向き、講習受けてようやく免停30日のお叱りだった。救いだったのは、当時は取引先がほとんど都内だったため、商談には不都合がなかったこと。アレ以来、最後に免停を食らったのは、3.11の地震が来た頃だった。今、私はゴールド免許である。

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