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大好きな巨大図書館とよくわからない読みにくい記事

こんにちは。私の記事を見て頂きましてありがとうございます。私が最近感じたことを日記のような感じですがしたためておきたいと思います。

こちらで記事にしている内容は私の個人的見解を述べさせていただいているだけですので、科学的エビデンスやスピリチュアルな部分、何かについて正しい、正しくないといった専門的な内容につきましてはご覧いただいた方によってご判断、見解をしていただければと思います。私は好き勝手書いておりますので責任は持てませんのでご了承ください。

最近の気付きについて簡単に記事にしておきたいと思います。
私が思ったことを好き勝手に記事にしておりますので話半分でお読み頂ければと思います。

私の体験や考えはアカシックレコードにアクセスしている事により起こっているみたいだ。
実際にこのnoteにも記事にしているような不確実な内容がのちにほかの人の本などを見ていると後出しで出てくる。つまりは頭に情報を入れる前に先に思い浮かんだことについて後からほかの人の本を読んで同じ内容の物を見つける。不思議な感覚。
人間の意識をアカシックレコードに向ければ別の人でも同じ内容を受け取る事が出来る。アカシックレコードは図書館のような物。いつでも誰でもアクセスできる。条件はいくつかあるがその一つがアカシックレコードの存在を信じる事。「いやいやスピリチュアル系でしょ」と思われるかもしれませんが、その存在を心から信じればアクセスできる。(この部分は覚醒という段階においてとても重要な概念です)お読み頂いているあなたがどう思うかは関係が無いのです。

この数日アカシックレコードへのアクセスを毎日継続して行ってみると面白い答えが返ってくる。
意識と無意識の話だと簡単に例えると脳が起きていて自分で考えている時が意識がある状態でそれ以外が無意識という捉え方で考えていたけれど、もう少し幅を広く考えてみて、意識があるときにも無意識は働いて(その無意識は意識できない)意識と無意識の二つに分類するには少なすぎるようだ。私が教えてもらっている内容は私自身は1つの大きな魂のようなものが10個くらいに分けて地球に来ていてその一つが私だという事。つまりAでもあるしBでもあるしCでもある。ただ直近の大元は一つだけれどその大元もいくつかの中の一つかもしれない。そこはまだ調べに行っていない。一人は一つでは無く一人一つの意識という捉え方をしてしまうととても狭く縛られて思考がとじ込められてしまう。例えば私の意識は一つだけどほかの10個の無意識がある状態の事を言う。その無意識は常に互いに情報交換をしている。

「なぜ神は一つだと思うのか?」という問いを私にしてくる。
「神がいくつもあるとは考えないのか?」とも聞いてくる
生まれてから常に誰かが言っている事で自分の意識と思考が作られていくわけだけれどもなぜ頭の中は誰かの情報でいっぱいになっているのだろうか。そしてその情報が正しい事だと信じて疑わない。(ここが初めの重要な概念)かなり端折って見えない物をどう考えるかがが大切だという事。

そもそもあなたが考える意識と無意識という状態の考え方自体が狭すぎる考えではないかと聞いてくる。なぜもっと広く考えないのか?無限大に。
なぜそのような考え方が出来ずにいたのかと言えば私という一つの意識にとらわれすぎていて縛られている状態であるといえる。

アセンションについても色々と検索してみた。簡単に言うと肉体のまま三途の川を渡るようなものらしい。魚が水から出て鰓呼吸が肺呼吸になるようなものでもある。そのくらいの変革。そして精神面では心を穏やかにして執着を無くす。そして生とは死とは何か生きている状態とはどのような物か考える。考えるというよりも思い出す感覚だそうだ。そしてなぜ地球を選んで自分がここに来たのかを思い出せと。SFや妄想では無くとにかく思い出せと。そして過去の文明が何故予言を残すのか。これは予言では無い。過去、現在、未来は同時にそこにある物でただ時間軸で言う未来という場所を見ただけで時間という概念は過去から未来へ進んでいる事を時間といい未来を予言ではなくてただそこに同時に広がっているものを見たというだけ。だからデジャヴというのは同時に過去や未来を現在の自分が見たという事。ただ時間軸というものが過去から未来へ進んでいるという事だけらしい。肉体という物体は時間軸に影響を受けなければならない。そこが物体の持つデメリットではあるがメリットとして生があり死がある。生きる事、死について考える事ができ、楽しんだり、悲しんだり様々な感情のイベントに参加することが出来る。地球というアミューズメント施設を満喫することが出来る。

そして現在の世界。人間というものがどういう生き物か。今までの人類の叡智を集めた結果が誰かが誰かを支配する為にある超管理社会だとしたら人間という動物社会の限界だろう。そのためなら嘘でも詐欺でもなんでもしてもいい社会なら人間という動物の限界だろう。人が人を家畜扱いする社会なら人間という動物そのものが動物の域を越えられない家畜ということになる。より良い社会。損得も無い自由な世界。人が人の為に働いて他人を思いやり愛情があふれる社会。心で通じ合える世界。夢のある未来。テクノロジーや医療の発展は未来へ引き継ぐべき現在を生きる者の務めではないだろうか。人間は動物の域を越えなければならない。意識のある精神のある動物の域を越えなければならない存在。これもまたアカシックレコードに記された誰かが記録した事。立ち止まって考え直さなければならない。尊いものは何か。恵みをもたらす大地、作物を育てる生産者、畜産関係の生産者、公共事業の労働者の方々、毎日、人がより良い生活を送るために難儀をしてくれている。このような人達こそ賞賛されるべき存在なのではないだろうか。資本主義社会によって大量の命が生産されまた廃棄される。マネーの為にだ。命とお金どちらが尊いかは子供でも分かる事だ。私たちは日々感謝の気持ちをもっているだろうか。食糧危機が起こるとすればこのような社会に他ならないのではないだろうか。個人が生きて行くに事足りる量を知ることで防げることでは無いのだろうか。グレートリセットすべきは我々一人一人の意識なのではないだろうか。先祖に意識を向ける。今まで繋いできてくれた命を私たちはどう考えていけばよいのだろうか。先祖に心から感謝する。魂の喜びを感じる事が出来る。魂そのものは今までの先祖に全て繋がっている。つまり全て繋がっているという事。「思い出してくれてありがとう」意識することで感じる事が出来る。そして私を励ましてくれる。支えてくれる。背中をおしてくれる。いつも一緒だと。

この下は私の妄想。

何故わざとらしく目をそらさせて急がないといけないのか。タイムリミットがあるから。

何故徹底的に管理しないといけないのか。後ろめたさ(バレ)があるから。

何か目的があるときには何か理由が必要。だといいな。

日記程度の短い文章でしたが最後までご覧いただきましてありがとうございました。
皆さん「賢く、謙虚に、注意深く、勉強熱心」を心掛けて
何よりも自分の体と精神を大切にして、あなたひとりひとりが大切な存在です。そして心から皆様のご健康とご多幸をお祈りいたしております。
またお時間ありましたらお付き合いください。
ありがとうございました。



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