夢の会話
あれは夢だったのだろうか……。
人は誰もふりかえることをやめない。
80年、90年という時間をもってしても、人の記憶を消すことはできないのだ。
「畑の中に1本だけ松の木が立ってるはずやわ……」
そのまちは、母清水千鶴の記憶の中の風景そのままだった。幼い頃、そう母がチイちゃんと呼ばれていた頃過ごしたという紫野のあちこちを、母の思い出を縁(よすが)に散策した。母を鹿児島に呼び寄せる直前のことだ。
「菅原道真、天神さんが生まれはった場所らしいで。このあたりは子どもの頃走り回って遊んだもんや」
手招きする母の後を追って、神社の門前の茶店に腰を下ろす。時代劇でよく登場する今宮神社だ。
「ここのあぶり餅は子どもの頃から好きやねん」
女学校からの帰り道、この店先に腰を下ろしあぶり餅を口に運びながら、啄木の歌集に食い入るお下げ髪の少女が目に浮かんだ。
甘いものが苦手なぼくにも「食べよし」とすすめる。躊躇していると、
「うちはこれが最後になるかもしれへんからな」
と笑った。ぼくがそう思っていることを、母は見抜いていたのかもしれない。
「また寄せてもらいますえ」
店の奥に精一杯大きな声で伝え床几を立ち、ふたたび歩きはじめる。
ふと小さな路地から、おかっぱ頭をした幼い日の母が飛び出して来そうな気がした。
小走りで追い抜いていく女の子に、心の声で呼びかけてみた。
「チーちゃん」
聞こえるはずもないのに、女の子はふり返り笑顔を返した。
その刹那、喉の奥から熱い塊がこみ上げてきた。
あれは夢だったのだろうか。
「あぶり餅、もっかい(もう1回)食べたいなあ」
目の前の白髪の母がつぶやいた。
「暖かくなったら、京都に来ようね。ここに帰って来ようね」
「ああ、桜の頃がええな」
夢のような会話が続く。