原発のある風景① 島根原子力発電所
米子から境港を経て美保関町に向かう。そこから日本海を右手に眺めながら鹿島町古浦を目指し県道37号をひたすら歩く。
1978年、そう20歳そこそこの頃だが、日本列島の海岸線をなぞるようにリュックひとつ担いで黙々と歩いたことがある。美保関から古浦までおよそ15キロくらいだったか。日没間近の海岸線を急足で歩いた。どのあたりだったか、入江を隔てた岬の向こうに落ちていく夕陽がとてつもなく綺麗だった。しかし鹿島町片句あたりで行く手を阻まれた。大規模な工事が行われていたのだ。その工事は11年後1988年に島根原発1号機として完成するのだ。美しい海岸線が汚される。そんな思いを抱きながら道を迂回した記憶がある。
同じ道を50年近く経ったいま、逆に走る。松江市街地から県道37号を進むと恵曇港に着く。そこからは車が離合できないような道を進む。50年前とほぼ同じ道だ。片句集落を過ぎると左手に鉄条網付きのフェンスが延々と続く。数十メートル間隔で監視カメラが立っている。フェンスの向こうには島根原発の広大な敷地がひろがっている。「撮影はご遠慮ください」という看板がぶら下げられている。写真に撮られては、人に知られては具合が悪いということだろうか。
3号機の建設工事中ということで、ひっきりなしにダンプカーが行き交う。
1号機は廃止措置中、2号機は運転許可が下り運転再開の時期が探られている。そして新たな3号機。
〈こんなもの新たにつくる必要あるのか〉と少しアクセルを踏み込んだ時目の前にダンプカーが現れた。運転手がにこやかに頭を下げる。こちらも笑顔を返しゆっくり離合する。原発に関わっているからといって、悪人なんかではない。そんなことはよくわかっているつもりだ。仕事のため、生活のためなのだ。ひょっとすると彼だって嫌なのかもしれないし、不安や恐怖を抱えているかもしれない。この原発は松江市街地から15キロ、全国唯一県庁所在地に立地する原発となった。
原発から離れると、この道は50年前同様美しい景色が続いていた。そう言えば片句集落を抜けたあたりの海岸線は地層がむき出しになっていた。「出雲風土記」の国引き神話につながる地殻変動の激しさを物語っているようだ。その地層の上に島根原発は建っている。