#7-3 通りの立面ズ
三田屋オフキャンパス2018では高校生を中心に、市街地の町並みの記録を取りました。遠野の町家の特徴、屋根のカタチや仕上げを学んだうえでの活動です。かつて樹皮葺きの町家があったこと、大正から戦後の間に町家のヴァリエーションがみられたことなど、地域の方から伺うことができました。町そのものが、高校生にも専門家にも遠野を知る学びの場となっています。
通りを軸にした暮らしの物語
遠野オフキャンパスでは、三田屋での活動と並行して、鍋倉城下のフィールドワークを重ねています。いくつかの遠野町家への取材、地図や写真を用いた昔と今の町並み比較、暮らしについての聞き取り調査などです。7年目を迎えるオフキャンパスの活動の間にも、遠野らしさを感じる町家が少しずつ解体されています。そこで、「通りの立面ズ」と称していまの町並みの記録を取ることにしました。
2018年夏、大学生とともに、遠野の高校生が、釜石街道沿いに下組町の桝形から下一日市町までの写真を撮り、地域の方に話を伺いました。記録の作成はスタートしたばかり。範囲が限られているだけではなく、まだまだ掘り下げていく必要があります。今後も継続をしたいと思いますが、一旦活動の報告をします。
私が「遠野町家」と呼ぶ建物は、一見古いものだけではありません。明治・大正・昭和初期の姿から新たにお化粧直しを施した町家の外観にも、内部の空間に地域固有の特徴が色濃く残っています。昔の写真を見ると、左官仕上げや板壁、縦格子の町家が建ち並んでいた様子を確認できます。それらの材料は、花崗岩体の遠野盆地の地質や盆地を囲う山と深く関わります。
花崗岩の地質は、風化(「真砂化」と呼ばれます)すると真砂土(まさど・まさつち)という土壌になります。消石灰・にがり・水と混ぜると固まる性質があり、土塗り壁や三和土(たたき)に用いられる材料です。必ずしも農業に適した土壌ではないものの、その土壌と寄り添い暮らしてきた歴史が町並みを築いてきたのでしょう。戦後に改修が進んだ町家の外観によって、市街地の町並みは地域性を失ってしまったのでしょうか。私は、そうとは考えていません。
昔の町家の屋根は、古い写真を見ると多くが板葺きだったようです。今回、かつて樹皮葺き(杉皮葺き)だったという町家の話も、お聞きしました。その後、セメント瓦や金属板に代わり、釉薬の進歩によって窯業系の瓦葺きが普及するようになりました。綾織地区での聞き取り調査で、かつて猿ヶ石川沿い(綾織にある札場橋のたもと)にセメント瓦とコンクリートブロックの工場があったと伺いました。市街地にも、「下組コンクリート工業所」という看板を掲げた、細部意匠に特徴がある町家があります。遠野市内で見られる古いコンクリート製建材に、現在全国的に流通する製品と異なる質感を持つものがあるのは、地質と関わりが深いと想像できます。建材の規格寸法も、いま流通する市販品と異なるものがあり、興味深いところです。
前近代的町並みからいまに至る過程にも、地域産業の歴史の痕跡が残り、それを支える地質・気候風土を辿ることができると考えています。「通りの立面ズ」は、単にモノとして町並みの記録ではなく、市街地の文化的景観を考えるためのひとつの切り口なのです。
伊藤泰彦(武蔵野大学教授)