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プロットやネーム

ってなんで書く必要があるんだろう?🤔と数年前まで思っていました

だって漫画を作るにはコマを割ってセリフと絵を描けば完成しそうじゃないですか
確かに工程としてはそうですよね✍

でも時々見切り発車で描くと、途中でどう描けばいいのか分からなくなる時がある
そうならないために描くのかな?と思ったこともありました

今では「伝えたいことを自分の中で明確にするために描くものだ!」という考えに変わりました

その辺りをこれからもっと深堀してみるけど、素人の書くことなので話半分に読んでくださいね

昔描いたネームたち コピー用紙を半分に折ってノドが分かるよう見開きで描いてました

「伝えたいことを明確に」というのは感情に関する「言葉に出来ないもの」の部分かなぁと思うようになりました

感情以外の言葉にできる部分というのはどういうことかというと
ストーリーやあらすじは「意地悪な継母と義理の姉にいじめられていた女の子が王子様と結婚して幸せになる話」とか

起承転結だったら
起→意地悪な継母と義理の姉にいじめられている女の子がいる
承→継母と姉は舞踏会に行ってしまうが主人公は連れていって貰えない
転→魔法使いが現れて舞踏会に行けるように主人公を着飾ってくれるが12時に魔法が切れてしまうと言われる 無事、舞踏会に行ったがガラスの靴を落としてしまう
結→ガラスの靴の持ち主を探していた王子様と再会し結婚して幸せに暮らした

とか言葉にできるなあと思うんです
というか主観的じゃないというほうが近いかも
客観的に誰が見ても同じように認識できる部分、みたいなイメージです

対して、小説や映画や漫画を読んだ時に感じる感情というものは客観的な言葉にすることは出来ないのでは?と思いました

「面白かった!」「切なかった」「幸せな気持ちになれた」「怖くなった」という表現はできますがその感じ方が全く同じ人間はおらず、感情のグラデーションは人それぞれな気がします

どの感情を一番強く感じたのか、喜びだけじゃなく、悲しみも感じたのか?
前向きな終わり方だったけど誰も救われなかったと感じたのか?
物語に触れたあとの感情は1だけではなく2つや3つ、それ以上の感情を同時に感じることのほうが多いんじゃないかな〜って思います

物語が伝えたいことというのはストーリーを通して感じられる「キャラクターの感情」であり
「伝えたいことを明確にする」ということはキャラクターの感情の流れを把握したり確認することなんじゃないかなあと最近は思っています

その為にプロットやネームという作業が必要で感情の流れに無理がないだろうか?と客観的になるための工程なのかな〜と考えるようになりました

考えるようになりました、というかできるようになりたいよね(切実)
言うのは簡単だけど実行することの難しさよ……

ところでいま、感情の話を書いたけど推理小説なんかはトリックの辻褄を合わせるために必要そうだな〜
トリック考えるのってすっごく大変そうですよね 自分には絶対に出来ないだろうなあってミステリー小説読みながらよく思います📕

ここ数年前からのネームの描き方 書き直すのが楽なので前より小さく書くようになりました

普段、自分が考えていることを文章にしてみたつもりだったけど、今回のは結構とっちらかった内容になってしまった気がします😖

自分でもまだ答えが見つかっていなくてこれからも流動的に変化していくかもしれませんが、記録として残しておけたら面白いかなと思うので書いてみました✍

最後にこのブログに載せている4コマ漫画のプロットも載せておきます

第1話目のプロットです

iPhoneでメモアプリに打った後に同期しているiPadからクリスタのストーリーエディターにコピペしてます 便利〜!

それでは今週もお付き合い頂きありがとうございました!
また来週お会いしましょう〜👋