読書日記(3月・4月)前編

3月、4月で読んだ本。今回は前偏。後編は「高村光太郎」をテーマに近いうちに書く。(多分きっと書きます。)

読んだ本は以下の通り。

『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』萩野弘之

『はじめての構造主義』橋爪大三郎

『人間にとって教養とは何か』橋爪大三郎

『はじめての催眠術』漆原正貴

『田舎はいやらしい~地域活性化は本当に必要か?』花房尚作

『フロイトの精神分析』鈴木昌

『智恵子抄』高村光太郎

『高村光太郎全集』高村光太郎【著】北川太一【編】

『高村光太郎論』中村稔

『高村光太郎の戦後』中村稔

『大東亜戦争と高村光太郎―誰も書かなかった日本近代史』岡田年正

『高村光太郎論―典型的日本人の詩と真実』堀江信男

『日本文学報国会―大東亜戦争下の文学者たち』櫻本富雄

『筆一本で権力と闘いつづけた男 陸羯南』小野耕資

『反骨のジャーナリスト』鎌田慧


・『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』

奴隷出身のストア派哲学者、エピクテトスの教えをまとめたもの。前回のエピクロスと共通している考えも多い

▼「自分次第でないもの」を軽くみよ

評判や地位、財産など、自分次第でないものを軽視し、判断や欲望、意欲など、自分の理性でコントロールできるものに重きを置く

▼事実と評価を区別すること

事実は自分次第でどうにもならないが、それをどう評価するかは自分次第である。先入観にとらわれず、曇りのない目で事実と向き合うことが、我々が出来事に振り回されないためにできることなのだ

▼過去と未来に欲望を投げかけるな

例えば目の前に回るテーブルがあり、料理(チャンス)が並んでいる。料理が自分の前に回ってきたときにだけ、適切な量をとる。引き留めてはいけない(過去のチャンスを悔やんではいけない)し、遠くから欲望を投げかけてもいけない(未来のチャンスにとらわれてはいけない)。それが、過去や未来ではなく、現在を生きることにつながる

▼われわれは感情の手前に判断(ヒュポレープシス)がある。自分の凝り固まった判断を認識することで、別の見方ができるかもしれない

▼他人事のように自分事をみよ
私たちは他人の不幸は客観的に見られるのに、自分の不幸は冷静に捉えられない。自分に起こった出来事を、できるだけ他人事のように捉えてみる

▼「失った」ではなく「返した」

私たちは何かを失ったり、奪われたり、人との別れを経験したりしたとき、落ち込んでしまう。でも、それは「失った」ではなく「与えられたものを返した」だけである。私たちがもっているものは、いつかは失う可能性がある。今の人間関係や所有物を「一時的に貸与さているもの」と捉えることで、失ったときに必要以上に落ち込まずにすむ

▼他人の振る舞いに寛大になるために

他人が不快な行動をしたときに、大切なのは行為自身ではなく、その意図や動機である。表面的な行為だけをみて、評価を下してはいけない

▼「不公平」など実はこの世に存在しない

「あの人は上司に好かれていて不公平だ」「私だけ友達がいない」などと不公平を感じることがあるかもしれない。しかしその分、私は褒めたくもない相手に愛嬌を振りまいたり、友人関係に振り回されなくて済んでいる。と考えると不公平感が薄まる(この前後輩にこの話したらめっちゃ否定された)

▼「無教養のもの→他人を非難する」「教養の初心者→自分を非難する」「教養のできたもの→他人も自分も非難しない」

▼「賢いと見られたい」欲望が人を盲目にする

知識や情報など、心の外に関心を向けていると、自分の心を反省する心がおろそかになりがち

▼君は演劇の俳優である

人は誰もが自分の配役を与えられている。赤ずきんちゃんが白雪姫を演じても演劇はめちゃくちゃになるし、白雪姫が大勢いても成り立たない。人生を通して自分に与えられた役を理解し、役にあった振る舞いを行う。それこそが、身の丈にあった生き方である


・『はじめての構造主義』

レヴィ=ストロースの仕事を中心に、構造主義について解説した入門書。入門書といっても内容は結構難しい(特に構造主義と数学・遠近法の関係のところ)。これまで西洋以外の地域=野蛮の地とされていた西洋中心主義に、未開の地の「構造」を分析すると、そこには合理性や複雑性が見て取れると一石を投じたレヴィ=ストロース。そして私たちは自分の頭で考え、行動しているつもりでも「構造」に縛られていることを明らかにした。

大学生のときに初めてこの本を読んで、構造主義の土台にはソシュールの言語学があることを知り、「一般言語学講義」を読んでみたけど難しすぎて全く歯が立たなかったことを思いだして落ち込みながら読んだ。

・『人間にとって教養とは何か』

『はじめての構造主義』が面白かったので、橋爪大三郎さんの本を続けて購入。

これまで学問がどのように発展してきたのかを簡単に説明したうえで、教養とは「今まで人間が考えてきたことすべて」であり、資格試験や学校のテスト勉強などで身につく「知識」と違って、教養はいつ・どこで役に立つか分からないし、他人から教えてもらえず自分で獲得していくものだと説明。

でも答えのない問題であふれているこの社会を生きていくために教養は必要不可欠なものである。大人の教養チェックシートとかもあって、読んでいて楽しい。

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