育休に入って思うこと
今年も残すところあと僅か。
「読書日記をつける!」と目標を立てたのはいいものの、異動後の仕事に忙殺されたり、新しく社労士の勉強を細々と始めたりしたこともあって更新できていませんでした。。。(本は少しずつ読んでいたけど、更新する気力がなかった)
このnoteも書こうと決めてから3日もたっておりまして、意志が弱いですね。
さて、第一子が産まれてから、夏休みと出生時育児休業の制度を利用して1か月強の休みをとりました。「たった1か月・・・」とも思いますが、私の職場ではまだまだ育休を取る男性は少なく、特に所属している部署で育休をとる男性はほとんどいない(私が担当している事件・事故の取材は呼び出しが多いということもあり恐らく男性では初めてだそう)ので、1か月でもかなり勇気がいりました。
家族との時間を大切に。と頭では分かっていても、どうしても仕事のことが気になるし、焦ってもしまう・・・
そんななかで、久しぶりに『ツァラストラはかく語りき』(の解説書)を読みました。
学生時代はニーチェのいう「三段の変化」について、そういうものかあくらいにしか思っていませんでしたが、今読むと印象も違っていて。
理解できているか分かりませんが、人間は駱駝(らくだ)、獅子(しし)、幼児と三段階で変化していくそう。
駱駝の段階では、龍(会社員であれば上司や組織、社会のステレオタイプ)の命令に従い、忍耐強く自らに課せられた義務や責任を全うしていく。
しかし駱駝で居続けようとすると、自分の生が窮屈であることに気がつく。そこで自由を求めて獅子に変化する。獅子の段階では新しい価値を創り出すことはできないが、古い価値に抵抗し、主体性を獲得する。
そして幼児の段階では、何事にも縛られない純粋無垢な存在として、新しい価値を創造する。
ここで大切なのは、適切な時期に適切な段階にいることだそう。駱駝であるべき時期には駱駝である必要があるし、獅子であるべき時には獅子でなければならない。
自分はまだ駱駝の段階かなあと思いつつ、特に家族のこととなると、上司の世代は家族よりも仕事優先で、そのことを後悔している人も多い。
しかもその人たちの時代とは違って、今は働いたら働いた分だけ給料が出るとは限らないし、むしろ働きすぎるとそれはそれで怒られる。
その一方で今の仕事にはやりがいを感じているし、今の時代にあった働き方で、きちんと成果を出していきたい。
そうした時代だからこそ、自分の中で本当に大切にしたいものは何か、この期間中に改めて考え直してみたいと思います。
今は子どもが寝ている時間に、世界史の教科書を勉強したり(受験は日本史と現代社会を選択していたので本格的に勉強するのは初めて)、良い機会なのでもう一度刑法、刑事訴訟法を勉強し直したりしています。
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