惚れっぽい性格の自分を考察する
筆者は惚れっぽい人間である。
相手が好意を向けてくれると、それまで気に留めていなかったのに頭から離れなくなる。
意外な相手と会話が盛り上がると、途端に好意を持ってしまうこともある。
べつに惚れっぽいのが悪いとは思っていなかった。
しかし、最近ふと考えたのだ。
「惚れっぽいって、誰に向かっている好意なのだろうか」と。
もしかしたら筆者が好きなのは相手ではなく自分自身なのかもしれない。
そんな自分自身の内面を考察してみようと思う。
1:惚れっぽい性格ってどうなのか
それまで気にしていなかった人が好意を示してくれることがある。
それに対する反応は人それぞれだ。
「あまり興味ないんだよな」
「恋愛対象外の人にそんな態度取られても……」
「正直迷惑だな」
などあまりポジティブな印象を抱かない人もいる。
向けられる好意に対してまったく気づかない人もいるだろう。
しかし、筆者のように。
「自分に好意を持ってくれるなんて嬉しい!」
「がぜん興味がわいてきた」
とそれまで意識していなかった相手に対して、急速に興味を持つ人もいる。
そして興味を持つ程度でおさまる人もいれば、そのまま相手を好きになってしまう人もいるものだ。
筆者は断然後者である。
自分を好いてくれる人をすぐに好きになってしまうのだ。
惚れっぽい性格にはメリットもあればデメリットもあるだろう。
そして惚れっぽい人には特有の心理があるのではないだろうか。
そんなことを考えたので以下で書いていきたい。
2:相手を愛するようで自分を愛しているのかも
意識していなかった人から好意を向けられる。
それまで興味がなかったのに、筆者はなぜ引き寄せられてしまうのだろうか。
それは「好きでいてくれるから」。
人生はすべての人から好かれるものではない。
自分を好きでいてくれる人との縁は大切にしなくてはならない。
「この人とならすぐに付き合える」
「自分を受け入れてくれる可能性が高い」
などの打算もかなりあるのだと思う。
これは自己愛であろう。
相手をまだ恋愛関係になるほど十分には知らない。
でも自分のことを愛してくれるなら、それは嬉しい。
自分が満たされたいがために、好意を向けてくれる相手を好きになるのだ。
相手を好きになっているようで、結局愛しているのは自分自身ではないのか。
惚れっぽい人は結局、自分大好き人間なのではないか。
惚れっぽい人と大きく括るのは乱暴かもしれない。
しかし少なくとも筆者は「自分大好き人間」だから惚れっぽい性質を持っているような気がする。
断定するのは少し怖い。
しかしかなり当てはまるような気がしている今日この頃だ。
3:結果的に相手も愛せればそれでいいはず
自分の惚れっぽさが「自分大好き人間だから」と疑いだして少し落ち込んでいる。
たしかに好意を抱いてくれる相手を好きになるのは打算が含まれていると思う。
そして愛してもらいたいから愛してくれる人になびいていく。
筆者は年齢だけは立派な中年男性だが、若い頃はたしかに好意を向けてくれる相手と安易に交際して、安易な破局を迎えるような恋愛をしたこともあった。
しかし、ある程度の年齢になってからは、惚れっぽさはありつつも相手と安易な向かい合い方はしていないと思う。
好きになって相手と真剣に向かい合って、自分からも同等かそれ以上の愛を示してきたはずだ。
自信はないけれど……。
とにかくどんな動機で始まった恋愛でも、結果的に相手を軽んじることなく真摯に向かい合えるならそれでいいじゃないか。
そう思っていくしかないと結論づけた。
中年になって気づくというのもかなり恥ずかしいことである……。
まとめ
今回は筆者の惚れっぽさを考察してみた。
「自分大好き人間だから」という理由が導き出されたが、これはあくまで仮説だと思っている。
「とにかく恋愛関係になるのが好きだから」
「好意を持たれると嬉しくて舞い上がってしまうから」
「幼少期の本人が忘れているような出来事が原因」
などべつの理由がある可能性もあるだろう。
しかし、それらの理由の裏には「自分大好き人間だから」という本質が隠れているのかもしれない。
「自分を愛してパートナーも愛する」
このスタイルでいけば自分の性質はそれほど欠点にはならないだろう。
※今回の記事で「好かれると好きになる」とあたかもモテモテのような描写を多く書いてしまったけれど、べつにモテモテではない。
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