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自り由る

10/7(土)と10/22(日)、アイドルグループ・私立恵比寿中学のライブ『オケラディスコ2023』に参加しました。

「オケラ」はオーケストラの略、「ディスコ」はダンスミュージックの意味。ということで、「エビ中の楽曲×オーケストラで踊っちゃおう!」というコンセプト、というようなニュアンスのことを、どこかの何かで誰かが言っていた気がします。

そんなライブを見に行く前の妄想と、行った際の感想と、行った後のその他のことです。


妄想

エビ中の秋の恒例行事「ちゅうおん」を今年は開催しないという発表とともに、唐突に開催が告げられた「オケラディスコ」。
「オーケストラ」を「オケラ」と略すセンスへの悔しさと、あまりにも未知数すぎるイベントへの困惑と期待とが入り混じる日々を過ごしていたのですが、「ちゅうおん」ではメンバー各自によるカバー曲コーナーが定番だったので「オケラディスコ」でも何かしらカバーをするだろう、という勝手な憶測をしました。
そこから妄想が広がった結果、「カバーしてくれたら嬉しい、踊れる曲たち」というコンセプトでこういうプレイリストを作りました。


あるいは、ソロカバーはなくても、がっつりディスコに寄せるならこういう感じの曲を全員(又はユニット形式)でカバーするのかな?などとまた妄想しました。


個人的にはアイドルという形態をそこまで重視しておらず(逆に他の活動形態のミュージシャンの方がアイドルより格上とも思わないですが。)、アイドルグループだということに囚われずにこういう曲だけやるライブをしてくれても全然良いよなーと思っているので、妄想が捗って楽しかったです。


感想

ライブを見た結果、正直に言えば、ライブのタイトルというかコンセプトというか打ち出し方が適切だったか、という点については疑問なしとしないのですが、メンバーのパフォーマンスも含め、中身はめちゃくちゃ素晴らしかったですし、先述の疑問もその素晴らしさを損なうものではありませんでした。
疑問の原因もライブ自体への評価も、おそらく大方のファンの感想と一致するところではないかと思いますので、割愛します。
初めての試みですし、ここから工夫・改善できるところはたくさんあるのだろうなということだけ。
1回で終わってしまうのは本当にもったいないイベントだと思います。可能であれば来年以降も是非続けてほしいです。
ちゅうおんもオケラディスコも毎年両方やる、又はちゅうおんとオケラディスコを1年ごとに交互にやる、とかでもいいなと。


何がどう素晴らしかったのかはよく分かりません。オーケストラにもクラシックにもディスコにもダンスミュージックにも馴染みがない私なんかが2回見ただけで処理できるような質・量ではないので当然でしょう。「よく分からなかったけど何か凄いものを目の当たりにしたことだけは分かる」という、たまに体験するアレ。

リハ段階からエビ中メンバーのSNSにちらほら出てきた「音圧」という単語。他の方の感想でもだいたい「音圧」に触れられていた気がします。
その言葉の意味するところは私には分かりませんが、「音の迫力」みたいな意味であれば確かに凄かったです。というか圧巻でした。人数的にはおそらくオーケストラにしては少ない方なのかなと思いますが、それにしても50名近くステージ上にいるわけですから、それはもう凄い。

しかし、どちらかというと個人的には迫力よりも緻密さ・繊細さの方が印象的でした。
バンド+オーケストラという編成で、「踊れる」ようにする緻密なアレンジ。それを実際に「踊れる」音にする繊細な演奏。
楽譜を見たわけでもないですし(無論見たところでそこから音を想像できるわけではないです。)、ド素人なので全ての楽器の音を聞き分けられるわけでもないですが、メンバーの歌を主に聞きながら演奏にもなんとなく耳を傾けていてそういう印象を受けました。

「神は細部に宿る」、見終わった後にこの言葉が頭に浮かびました。
原義に沿っているかは分かりませんが、そう言って差し支えないイベントだったのではないでしょうか。


その他のこと

ここから先は余事記載です。


私は数年前まで勤めていた職場が激務オブ激務でして(あくまでも当社比ならぬ私比)、仕事7:睡眠2.5:その他0.5みたいな感じの日々を送っていました。
プライベートなんてほとんどない状況だったんですが、その中で追い討ちをかけるような出来事があり、今の職場に移るまではメンタルがズタボロでした。
そのせいかは分かりませんが、その出来事以前に日常的に聴いていた音楽が、全く聞けない状態になりました。


それで、有り体に言えば、それ以降エビ中の音楽は私の日常からなくなりました。2019年の中頃〜2021年くらいは全く聞けませんでした。
今ではだいぶ回復(?)しましたが、その名残はあります。ライブには行く。新曲が出たら何回かは繰り返し聞く。そんな程度。ファンとしての義務感で聞いている感覚。


前に「お願いジーザス」というエビ中の楽曲について1万字くらいのnoteを書いたことがあります。同じパートを何十回も聞き返して感想を書いて、また何十回も聞いて書き直して、を繰り返して体感では合計500再生ぐらいしました。
しかし、普段1曲をそんなに聞き込むようなことは全くしませんし、先述の時期以降はそもそもエビ中を自発的に聞くことすらなくなりました。そのnoteを書いたときも「好きだから聞いていた」というよりは「noteを書くために聞いていた」という感じ。


今年の夏にエビ中ファミリーの方と飲んでいて、「エビ中の楽曲で、個人的なベスト10に入る曲を各自3つ挙げる(但し上位3曲でなくてもOK)」という話をしたのですが、そのときも「昔聞いていたあの頃の思い出」を引き出して話していた気がします。
どこか色褪せていて手元にない、自分のものじゃないもの、使い古された借り物を見せて、自分が使い込んで愛着を抱いているかのように振る舞っている感覚。

それで、なぜこんなことを書いているかというと、オケラディスコを体験した結果、「またエビ中を聞きたい」と思うようになったからです。
よく聞いていたあの曲も、そんなに好きじゃなかったあの曲も、最近出たあの曲も、ライブで干されがちなあの曲も。

なぜそう思ったかは分かりませんが、別に特別なことではないのでしょう。
どれほど好きな曲でも、「今はあんまり聞く気になれないな」と思うことは、おそらくは少なからず誰にでもあるはず。私の場合はたまたまそれが幾分か長かっただけなのかもしれません。
ただ、好きな音楽をまた聞きたいと思うようになった、というそれだけのことです。

思えば、エビ中がきっかけで聞き始めたジャンルの音楽があって、エビ中を通して知ったミュージシャンがたくさんいる。
エビ中に出会ってなかったら体験しなかったかもしれない、いろいろなことがある。
「またエビ中を聞きたい」という感情も。

それでは。

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