愛は意思の宝石
今日も流れゆく季節が愛おしい。
太陽が出ていれば夏の顔をして、太陽が沈めばお月様と一緒に秋の顔をする。
蝉の声がスズムシの声になった。
夜出かけるときは長袖に腕を通す。
マクドナルドの月見バーガーを3種類食べて、ミスタードーナツのお芋味のドーナツを食べる。
ブタクサの花粉のせいで目と鼻を擦る。
わたしはどうしようもなく今を生きている。
そんなどうしようもない今が幸せで満ちている。
''明日から逃げるより 今に囚われたい''
''一人で生きるより 永久(とわ)に傷つきたい
そう思えなきゃ楽しくないじゃん''
ベッドでお昼寝をしているとき彼が『俺、今幸せ』と優しい声で呟いた。
そんな彼の言葉に今日もわたしの心はホカホカと温められている。もしかして彼は電子レンジなのだろうか。
言葉に秘められた''本当''は彼自身しか知らない。
わたしを安心させるためかもしれない。
彼が感じている幸せはわたしの感じている幸せと同じではないかもしれない。
けれど、わたしの知っている彼はきっと少なからずわたしと同じ気持ちを抱いている。
そんな彼を、今日もわたしはぎゅっと抱きしめていたいのです。
そんなわたしたちでもきっと、わたしはこれからも彼を傷つけてしまうし、わたしは彼に傷つけられてしまう。
それは他人と生きていく上では必然で、幸せだけを感じて生きられるのならこの世に涙という単語は辞書に載っていないだろう。
ちょっとしたことで不安になる。
勝手に憶測で不安を生み出してしまう。
気にしなくていいことを気にしてしまう。
恋をした人間の心の殻は気付かぬうちに柔らかくふやけてしまうのです。
好きな人からの愛情はきっとぬるま湯。
一生、幸せだけを受け取って生きていて欲しい。
ずっと心がぽかぽかでいて欲しい。
ぬるま湯に浸かったままでいて欲しい。
この願いも所詮はわたしのエゴなのでしょうか。
わたしが強くなれたのは、幸せなのに胸を締め付けられるこの感情に辿り着くまでの経緯(いきさつ)の正体を知っているからだ。
わたしの胸が締め付けられるのは、わたしが苦しみも悲しみも知っているから。
ぬるま湯が熱湯になり、いずれ冷水になることを知っているから。
それと同時に、この幸せを手放したくないと強く願っているから。
彼のことが大好きで大切で愛おしいから。
こんな気持ち誰も分からなくていい。分かられたくない。分かろうとされたくない。
だけどほんの少しだけ気付いて欲しい。
自分の内側なんてものは簡単に見せてはいけない。
わたしの感じているものはわたしだけのものだ。
この世にわたしでなければいけないことなんて血縁関係のあるものくらいで、仕事も友達も恋人もわたしの代わりなんて数え切れないほど存在している。
そう思うとスッと肩の荷が落ちる。
自分の思っている大切にしたいものは大切にするけれど、同時に自分が傷つくことがあっても仕方がないと割り切れるようになってしまった。
傷つけられるより傷つけるほうがよっぽど苦しいことをわたしは知っている。
人間に期待しなくなることで以前より多少は生きやすくなったけれど、その代償にわたしは少しばかり冷たい人間になってしまったんだろうなと悲しい笑みが溢れてしまいます。
けれどそれも仕方のないことなのだと思う。
生きる年月が長くなれば長くなるほど、人生において必要なのは''少しの妥協と諦めと期待するもの信じるものの取捨選択を間違わないこと''で成り立つものなんだと25歳にしてやっと分かってきました。
こうやってわたしはその他大勢の一員として平々凡々とした生涯を遂げるのだろうな。
''無償の愛''なんてこの世に存在していないと思っているけれど、だからと言って自分の言動に''見返り''を求めてしまうのって少し傲慢ではないでしょうか。
自分が特定の相手に与えた何かって結局自分の意思で決めたことなのに、相手から自分の思った報酬が返ってこなかったとしてそれに落胆したり、ましてや裏切られたなんて言葉を吐き出すのってお門違いも甚だしいですよね。
自分と他人は当たり前に違うのだから自分が相手のためにした何かが相手と同じ質量かは分からない。
自分主導の言動はわたしがしたかったから、言いたかったからと自分の言動の決定権に責任を持っておいたほうが楽に生きれるんだと気付きました。
どれが優しさかみたいな抽象的なものなんて結局与えた側ではなく受け取り側が決めることですしね。
他人のせいにするのって楽だけど苦しいでしょ?
愛する人も、吐き出す言葉も、居座る環境も、歩く理由も、全てわたしの意思で決めたことだ。
たとえわたしの描く物語が思った結末を迎えなくてもその筆は全て、わたしが書き始めたものだ。
後悔はしない。誰のせいにもしない。
''愛されるために 愛すのは悲劇''
わたしが愛したいから愛す。これだけで十分。
毎日は穏やかが良いけれど、屋根の色は自分で決める。今日も燦々とした気持ちでいよう。
わたしはどうしようもなく今を生きている。
そんなどうしようもない今が幸せで満ちている。
今もなお、ゆるやかに幸せで満ちてゆく。