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香港とカジノと私①(香港編)

香港が好きだ。学生時代は国内を縄張りとし250ccバイクで各地を走り回っており、海外とはあまり縁がなかったが、沢木耕太郎氏の紀行小説『深夜特急』を手に取ってからすべてがひっくり返った。この小説は氏がインド・デリーからイギリス・ロンドンまで乗り合いバスだけで乗り継いで行った旅を描いたものである。バックパッカーのバイブル的な本だ。その文章のすべてに魅了された。一気読みしたい気持ちを抑えてあえて休み休み読んだ。終わってしまうほうが嫌なくらい本当におもしろい本に出会ったときの私の流儀だ。本来の出発地はデリーだが、ストップオーバーが認められる航空券であり、まずは香港に降り立った。ここからまずは出発地のデリーに向かっていくわけだが、序盤の香港マカオ編が個人的ハイライトだ。これを読んだのが大学卒業前であり、学生時代にこんなことをしたかったという後悔も押し寄せてきたが、過ぎてしまったものはしょうがない。幸い見た目も中身も精神年齢が低い。それにバイク旅ではキャンプ道具を積んでソロキャンプに興じた。必要なバイタリティは備わっているに違いない。就職してもまだまだ楽しめるはずだ。というわけで仕事を始めてから最初の長期休みに香港を訪れた。2014年の話だ。沢木氏の訪れた1970年代とは随分と風変わりしただろうが、それでも溢れる香港の魅力に取り憑かれた。数日の休みではもちろん、より遠方に行く際でのトランジットでも積極的に香港を訪れてその空気を存分に味わった。

前述したようにけっこうな頻度で訪れていたが、2019年頃から雲行きが怪しくなる。香港の民主化デモだ。センシティブな内容なので詳細は割愛するが、いち旅行者としては単純に訪問がしにくくなった。そしてそこからしばらくすると世界的な新型コロナウイルスの流行がやってくる。完全に香港に行けなくなった。その頃に自分自身のイベントとしては子供が産まれたこともあり、国内にいるものの海外旅行のように目まぐるしく変化する時間を過ごしていた。時は流れ2023年。多少は海外に行きやすい環境になった。一般的には幼児のいる親の一人旅などは許容されないかもしれないが、我が家はわりと例外だ。突拍子もないことや命が危険にさらされるようなことでなければ反対されるどころかだいたい背中を押される。久しぶりの海外一人旅が決定した。目的地はもちろん香港である。

2023年5月、ここは福岡空港。私は吉野家で牛丼を食べている。日本食は素晴らしい。福岡空港を利用する際にはいつもこの吉野家を利用していた。久しぶりの旅だ。まずは懐かしのルートをトレースしてみようということで吉野家に来てみた。うん、懐かしい。そういえばこの福岡空港国際線自体も懐かしい。工事中なのでかつてのものとは姿かたちは違うが、国内線からのこの絶妙な遠さは私の知る福岡空港だ。ええ、懐かしい。慣れないアルコールも手伝って、懐かしい連呼おじさんと化している。ほろ酔いはとっくに過ぎた状態で航空会社のカウンターに向かった。航空会社は個人的おなじみの香港エクスプレスだ。チェックインカウンター近くの電光掲示板でカウンターを探す。アルファベット表記がグッとくる。海外の航空会社のロゴの映っている自動チェックイン機も久しぶりだ。アルコール+懐かしさでほろ酔いをとっくに通り過ぎていたが、ギリギリ正気でやり取りを済ませ、無事に搭乗券をゲットする。搭乗券をパスポートに挟んで返される。パスポート搭乗券。これは。。。あー懐かしすぎる。予測していない懐かしいポイントに胸を突かれた。吉野家なんかは普段でも行くし福岡空港は予測はしていた。このパスポート搭乗券は完全に枠外からやってきた。これからも懐かしいポイントが次々に押し寄せてくるだろう。出国ゲートへと向かった。

出国時はパスポートにスタンプは押されない。自動化ゲートは便利でスムーズだが少しだけ寂しい。パスポートには不機嫌気味に乱雑にスタンプを押してほしい。わずかに不満を感じていたが、免税店の香水の香りに吹き飛ばされる。またもや記憶の引き出しが刺激された。正体は分からないがだいたいどこの免税店でもこの香りがする。視覚、味覚に引き続き嗅覚に働きかけてきた。旅は五感をフルに活用してするものであることを再認識する。出国もしているしもうここは半分海外だ。搭乗まで時間があるのでさらに肝臓に負荷をかける。立派な酔っぱらいだ。意味もなくいろんなゲートを徘徊していると搭乗の時間がやってきた。すでにちょっとだけ頭が痛い。今の顔色に近い塗装の香港エクスプレス機に乗り込んだ。

機内はスカスカだった。3列シートが1人で占領できるどころか前後にも人がいない。確かに国際線自体もかつてのにぎわいにはほど遠くふつうに座れた。香港入境時にcovid-19の検査提出が求められるし日本国内もまだ自由とはいいがたい。痛む頭でそんなことを考えながら眠りについた。気が付けば着陸間近だ。頭痛は寝る前より悪い。なかなかのコンディションでのスタートになりそうだ。子供が産まれてからこんなになるまで飲酒することはなかったのでこれも懐かしいといえるかもしれない。

無事に着陸した。SIMカードは日本も含めて使えるアジア周遊SIM的なやつを挿入しているので通信は問題ない。スマホの時計は香港の現地時間に切り替わっている。−1時間。久しぶりの時差だ。ぞろぞろと言うほどの人数ではないがぞろぞろとイミグレに向かって歩く。この辺りの両替屋は大きくは変わっていないようだ。審査の直前で入境カードをゲットする。便名なんてあまり意識していないのでここで自分のフライトの便名を知ることも珍しくない。儀式のように丁寧にカードを記載し無事に入境。実にあっさりだ。いつもならここで終わるのだが一つだけやることがある。e-道(e-channel)の利用申請だ。e-道とは自動出入境ゲートであり、通常は香港居住者が使うものでスムーズに出入境ができる。これが2008年より緩和されて、現在では1年間に3回以上の入境がある人、航空会社の上級会員にもその権利があるらしい。私は幸いANA、JALの上級会員なので申請をしてみることにしたのだ。以前の訪問時からこのシステム自体はあったのだろうが全然知らなかった。日本出国時に自動化ゲートに寂しさは覚えていたが、新しいことにはトライしたい。というわけで申請自体はしてみようとそのオフィスに向かってみた。異常なまでに英語が聞き取れなかったが申請は受理されて、パスポートにバーコードを貼ってもらう。少しだけパスポートがかっこよくなった。これだけでも十分に満足だ。

到着ゲートを出た。よく目についていた味千ラーメンが見当たらない気がするが全体の雰囲気はあまり変わらない。次はオクトパスカードの有効化をした。思ったより残高がある。過去の自分に感謝。やはり英語のリスニング能力が厳しくなっている。もともと実践的な能力は乏しいがもう少しいけた気がする。聴覚の懐かしいポイントだが懐かしんでばかりいられない。気を引き締めてバス乗り場に向かって進んだ。市街地に最速で向かうにはエアポートエクスプレスだが、運賃が高めだし駅が少ないのでエリアによってはけっこう時間がかかる。私の泊まる尖沙咀も例外ではなく、行き先表示がA21のバスに乗る。香港でおなじみの2階建てバスであり、目指すはもちろん2階の1番前の特等席だ。夜になりすっかり暗くなっているが、灯りからなんとなくの雰囲気は掴める。ついに香港に戻ってきたのだ。頭痛は幾分か改善している。雨の予報だが今は降っていないようだ。久しぶりの車窓を存分に楽しんだ。

30分ほど走ると賑やかなストリートに入った。彌敦道だ。香港はざっくり説明すると、中国大陸と地続きの九龍半島とその南の香港島、ランタオ島などから構成されるが、この彌敦道は九龍半島の目抜き通りといわれるところだ。香港特有の高層ビルが乱立しておりここを見るだけでも十分観光になる。すでに21時近くのためか以前ほど活況ではない様子だが相変わらず魅力的な風景だ。宿のあるエリアに近づいてきたので1階に降りて待機するとここで渋滞にハマった。前の車のギリギリを走っており他にも背の高い車が多いため周囲の状況は掴めないがなかなかひどいようだ。ほとんど停滞している。バス車内を見渡すと西洋系の老夫婦バックパッカーらしき人がいた。彼らも同じような状況のようで私と目が合うと肩をすくめる。普段はしない仕草だが私も自然と肩をすくめる。言葉こそ交わさないが久しぶりの海外旅交流としてはいいかもしれない。そこからだらだらとバスは進み、ようやく宿のあるエリアの近くに来たところで下車した。

宿はこの九龍半島で一番にぎやかなエリアである尖沙咀に予約した。やはり物足りなさはあるが懐かしさに包まれながら歩くとそれはあった。地上10数階建てのビル、低層階はショッピングモールの派手なネオンサインが目立つが、対照的にそれより上の箇所はまだらに照明がついているのみで全体的に暗い。香港の光と影を端的に表しているともとれるこのビルの入り口には黒背景に金色の文字で重慶大厦と書いてある。数多くの安宿が入っているとして有名な重慶大厦だ。この重慶大厦付近から急に東アジア系以外の人種が増えて、中に入ると東アジア系はマイノリティになる。入り口付近は両替屋が多くて、奥に入っていくとカレー屋が増えてきてディープ度が増す。両替のレートが評判でこれまでに訪問歴はあったが宿泊は初めてだ。ネットでは治安が不安視される記事が散見されるが、ここ最近は警備が強化されており、特に危険は感じない。怪しさと特有の饐えた匂いが充満しているのはご愛嬌だ。私の泊まるHoliday Guest HouseはE棟の6th floorにあるらしい。混み合うエレベーターを何回かやり過ごし宿に向かった。

さらっと書いたがこの移動が初めてだとなかなか苦労したので少し掘り下げておく。重慶大厦はA棟からE棟まであり、その中に800程度のゲストハウスがあるらしい。多い。統計による誤差はあるだろうが日本のゲストハウスが4000~5000らしい。やっぱり多い。各棟にはエレベーターが2基ずつあり偶数階に止まるものと奇数階に止まるものに分かれている。一応各棟は行き来できる箇所があるようだが全フロアはできないらしく基本的には地上階から各部屋を目指す必要がある。地上階はけっこう入り組んでおり、雰囲気も相まって目的のエレベーターを見つけるのに難渋した。せっかく見つけたエレベーターはだいたい人だかりだ。重慶大厦は17階建てらしく、仮に3階部分からゲストハウスがあるとすると1フロアあたり約50のゲストハウスがあることになる。そして1棟1フロアあたりは約10だ。1つのエレベーターで80のゲストハウスを担っている(実際にE棟のエレベーター看板を見返すとそこまでは多くなかった)。エレベーターは通常のサイズなので10人も乗ればいっぱいだ。人だかりも当然だ。問題は部屋から出るときにも起こる。私の宿は6階なので、16、14、12、10、8階の方がライバルになる。けっこう乗れない。かといってこの雰囲気で外階段は使いたくない。この手の経験はあまりしたことないがなんとなく聞いたことはある。タワマンだ。タワマンでエレベーターが少ないとこんなことになるという噂を聞いたことがある。単なる僻みかもしれないし真偽は定かではないが、勝手に重慶大厦≒タワマンと割り切ってこの混雑を乗り越えた。

タワーレジデンス・重慶大厦の6階は時代の重みを感じるインテリアだった。随所に鉄格子が散りばめられておりセキュリティ対策も万全だ。歩みを進め、インターフォンを鳴らした。レセプションの貴婦人に案内されて無事にチェックインできた。部屋にはベッド1つと小型冷蔵庫、シャワールームがある。大した移動ではないが久しぶりで少し疲れた。リュックを下ろし背中を開放する。いったんシャワーを浴びようとシャワールームに入る。なんか説明は受けた気がするが、どういうわけかお湯が出ない。標高が高すぎるからかもしれない。湿気が高く汗だくだったので水シャワーでちょうどよかった。ずいぶんとすっきりした。改めて見渡すと部屋には窓が付いており、その横にはむき出しの換気扇もついている。窓からは無数の室外機と部屋の灯りが見えた。この建物は中央にオープンスペースがあり各棟がそれを取り囲んでおり、上から見ると口の字のような構造となっている。私の部屋は口の内側にあるらしく、それぞれの部屋が見えるようだった。薄暗く全容は見えないが悪の巣窟と呼ばれていたのも納得のものだった。ごまかしが効かなくなってきた。これはタワマンなんかじゃない。唯一無二のカオスビルディング、重慶大厦だ。

時刻は22時過ぎであり普段であれば眠りを検討する時間だ。しかしここは香港。眠らない街だ。私もまだ眠らない。軽めの装備で宿を出た。向かう先は尖沙咀のフェリーターミナル、スターフェリーに乗りに行くのだ。スターフェリーとは私のいる九龍半島と香港島の間のヴィクトリアハーバーで運航されているフェリーである。移動しながら海上からの夜景を楽しむことができる。沢木氏は件の著書内で「60セントの豪華な航海」と評していた。さすがに今はそこまでの運賃ではないが十分に安く本数も多いため、その他の移動手段が発達した今でも地元住民の足として機能しているようだ。以前より人は少ないがぎりぎり雑然といえるレベルのターミナルに到着し乗り場を目指す。そこに先ほどバスで遭遇した老夫婦がいた。彼らもまだ眠らないようだ。私も負けられない。オクトパスカードで運賃を支払おうとすると近くにVISAタッチ決済の端末もあった。そういえばバス車内でも見た気がする。香港といえばオクトパスカードだったがこれも今後変わってくるかもしれない。香港の今昔物語に思いを馳せていると中環フェリーターミナルに到着した。香港島だ。

スターフェリーだけが目的であれば適当に散策してまた戻ればいいがもう一つだけ行きたいところがある。蘭桂坊という香港有数のナイトスポットだ。けっこう有名なところだが一回も行ったことがない。諸々の事情でにぎやかな夜の街から遠ざかっていたのでこのタイミングで来てみたのだ。近くで仕事をしている人で賑わうらしく、行くならば金曜の夜と決めて本日訪れた。ちょっとした坂道を繰り返してるとめちゃくちゃ盛り上がっているエリアに到着した。ここだ。アッパー系の音楽と現地で仕事をしていそうな西洋系の人が重慶大厦とはまた違うインターナショナルな雰囲気を作り出していた。これもまたいいものだ。酒がほとんど抜けており機嫌よくあたりを散策した。空腹を覚えていたため手頃な店で小腹を満たそうと思ったがなかなか意に沿う店がない。平気でチャージ料が5000円くらいする。香港がアジア有数の金融ハブであることを思い出す。ここは弱い日本円を持っている一人旅おじさんが来るところではないのだ。落胆を酒で紛らわそうとコンビニで入手したチンタオビールをあおろうとしたそのときだ。ケバブ屋があった。持論だがケバブ屋はだいたいどこにでもあって安くクオリティが安定している。しかもその店自体はアルコールを取り扱っておらず持ち込み自由のようだ。チンタオビール片手に入店し腰を落ち着けた。12時前だからか客は少ない。堂々とチンタオビールを飲みながらその喧騒を心ゆくまで楽しんだ。

2日目。曇っているうえに空が狭いこの地では朝でも部屋はなんとなく薄暗い。頼りの窓からは変わらず多量の室外機が見えるばかりだ。それに加えて慣れないアルコール多飲も重なっているが気分は快調だ。出かけよう。両替屋の調査をしながら、いい感じの朝食がとれそうな店も探すか。両替屋については上述したように一般的には重慶大厦が安いことで定評がある。その重慶大厦の中でも入り口付近はあまりレートがよくないってこともよく知られた話だ。ただひねくれものなのですぐには信じない。彼らも商売であり私レベルでも知ることができる情報ならば、それを逆手にとってレートを悪くしてもおかしくない。そんなことを考えながら尖沙咀の両替屋をひたすら漁る。一応は勝手知ったる街だ。懐かしいポイントを開放しながら走るように散策していると何やら気になる存在が目についた。警官だ。2人組で行動しており、こちらを見ている気がする。少しずつ近づいてくる。確実に目は私を捉えており、疑う余地はなくなってきた。それでも特に心当たりはないし偽警官の可能性もあるので、気が付かないふりをしつつ歩みを進めるごとに疑惑が確認に変わりつつあったが、往生際が悪く気が付かないふりをして逆方向に歩みを進めた。しかしもうだめだった。

「****!!」

たぶん中国語だ。何と言っているか分からないが止まったほうがよさそうだ。その後も中国語での忠告は続く。おそらく持ち物を見せろと言われている。怪しいものは持っていないし何よりも中国語で話しかけられていることから偽物の可能性は低いと感じたため素直に応じた。何となくコントロールされるのが嫌で財布やパスポートは自分で開いて中身を見せようとしたがすぐに制された。従うほかないようだ。彼らは執拗に持ち物をチェックする。財布に入っているカードを1枚1枚確認する。パスポートを何かの機械で読み込んでいる。気づければ周りの人が気の毒そうに私を見ている。やましいことはないが2019年頃の報道と周囲の人の眼差しからよくない想像が働く。10分ほど経っただろうか。チェックが終わったようだ。持ち物を投げるように返される。よく分からないが物騒なことにはならないようだ。しかし何が起きたか分からない。彼らは最後に「This is Hong Kong road.」とだけ言ってその場を去った。当然私の疑問は解決せずに腹立たしさを覚えた。『深夜特急』パキスタンで沢木氏が警察に爆弾犯と間違われて手荒なことをされた後のようなもどかしさがあった。ただ、変なことをすると彼らに新たな口実を与えかねない。グッとこらえて彼らを見送った。

彼らの放った「This is Hong Kong road.」について考察をしてみる。文字通りに捉えるとここは香港の道だから交通ルールについて問題視された可能性はある。実際に信号を忠実に守っていたとは言い難い状況だ。ただ基本的に海外で車道を横断するときは現地の人の陰に隠れるようにやることが多いので私だけが尋問を受けたのは腑に落ちない。第一、信号無視で持ち物までチェックするのはいささか大げさにも感じる。ではもう少しひねった解釈をしてみる。私がいわゆるスパイ容疑をかけられたというもので、ここは香港だから好き勝手するなよ的なメッセージだったいう見方だ。頻繁に未成年に間違われる見た目で半袖短パンの35歳男性。そいつが尖沙咀付近を走るように散策している。やっぱりこれも容易には理解できない。こんなときに頼りにしているのがChatGPT。早速相棒の解釈を聞いてみる。「香港で警官に尋問を受けることは、観光地や繁華街では珍しいことではありません」不穏な始まりだ。ただ、まとめるとそこまで上述の解釈はそこまで的外れではなかったようで、まず尋問の目的としてはルーチンチェック、観光客に対する警戒などが挙げられている。「This is Hong Kong road.」はどうだろうか。「これについてはおそらく警官があなたに香港のルールや秩序を遵守するように示唆しているものかもしれません。香港では公共の場での振る舞いや安全に関して非常に厳しい規制があるため、警官がその点を強調しているのかもしれません。もしかすると、『香港ではこうした行動が許されない』といったメッセージを込めて発言した可能性もあります」と返答があった。最後には「警察の尋問自体は、悪意があったわけではなく、香港の治安維持のために行われたものであると思われますので、特に心配する必要はないと思いますよ」という優しい言葉までかけてくれた。ありがとうChatGPT。ちなみに両替屋のレートは重慶大厦に入っている店が一番よかった。疑ってごめんなさい。

何とか難を逃れた私はそのまま朝食を探し求めた。普段からあまり海外での食事を重視していないためストックが一切ない。特にこだわりもないし、しばらく歩くとそこそこ人がいる店があったのでそこにした。何となくお粥の店を想定していたが、メニューには〇〇麺のオンパレードだ。「腸」の文字から勝手にホルモン的なものを期待して腸仔公仔麺を頼んだ。ソーセージと麺が来た。確かにこの字面ならソーセージが来ても文句は言えない。そして麺は出前一丁で袋麺の形のままでてきた。初の組み合わせだ。これに加えて黄身が2個の目玉焼きと食パン。なんだか今日はたくさん歩くことができそうだ。

十分すぎる腹ごしらえを終えて、本格的に散策を始めた。特に予定は決めていない。香港のルールをしっかりと遵守するだけだ。まずは昨晩に引き続き、尖沙咀のフェリーターミナル付近に来た。曇天だがやはり海は見たい。スターフェリーの往来や写真を撮り合う観光客を見ながら自由に歩く。ここで初香港での出来事を思い出す。2014年9月、ここ尖沙咀フェリーターミナルにいた。毎日20時に開催されるシンフォニー・オブ・ライツという光のショーを心待ちにしていた。辺りは見物客でごった返している。基本は英語や中国語だがたまに日本語も聞こえる。そのたまに聞こえた日本語に耳をすましているとこう言っていた。「写真撮りたいね~誰かにお願いしよっか~そうだね~あの人にお願いしよう」その言葉に反応したつもりはないが、見た目の雑魚さから無事に私が選ばれたようで、次にこう声をかけられた。「Can you take a picture?」おっと。どうする。なかなかの日本人英語でおそらく頑張って話しかけたのだろう。この人たちには成功体験を積んでもらって今後も海外旅行を楽しんでほしい。そう考えた私は「Yes off course」と答えた。もちろん写真を撮るときは「Say cheese」だ。他にもこんなことがあった。韓国の航空会社の飛行機から降りるときに「ありがとうございます、ありがとうございます」と続いていたのが私のときだけ「カムサハムニダ」になったことも思い出す。国籍不詳、いいじゃないか。旅「人」として私は歩みを進めた。

次は(MTR)地下鉄の駅に向かった。乗り物が好きなので香港はその点でも魅力的だ。荃湾線に乗って向かう先は昨晩に引き続き香港島、中環駅だ。中環自体は商業地域の中心地であり新しい建物が目立つが、ここから西に進むと道路にせり出す紅白の看板のようなかつての香港らしい景色が残っている。久しぶりに見てみたい。まずはここだ。そして地図で現在地を確認すると、西側数駅でMTRの駅が途切れている。港島線という路線の最西端の駅が比較的近くにあるようだ。おそらく香港の最西端の駅でもあるだろう。端の駅が大好きな私はここにも行ってみたくなった。トラムの駅としても端っこらしく魅力は増すばかりだ。名前は堅尼地城駅で英語名はKennedy Town Station。実に香港らしい名前である。中環駅との距離は3.6kmでMTRで行けば10分以内に行けるがそんなもったいないことはしない。中環駅からざっくり西に行くことだけを決めて歩き始めた。

ちゃんと楽しい。アップダウンは足にこたえるが日ごろから多少は鍛えているので全く問題ない。香港看板はもちろんだが、修繕中と思しき建物に竹の足場がかけてあったり、小径に入ると1階建てのレトロなマイクロバスが走っていたりと、こういうところでも魅了された。1時間半ほどかけてゆっくりと進んだ。気が付けば堅尼地城駅まではもう一駅だ。この駅名が少し気になる。香港大學駅と書いてある。私は大学が好きだ。大学なんて生きていくだけなら究極は必要ない。だからこそこの存在に豊かさの象徴のようなものを感じる。名前が国や首都、大都市を冠してるとなおさらだ。きっと歴史がある。今よりは大学、学問がより限られた人しか享受できなかった時代からあるのだろう。調べるとやはり香港最古の大学であり、1887年に創立されている。ぜひともそのキャンパスの建物、雰囲気を感じ取りたかったが、どうやら今は部外者には厳しい様子だ。残念だがすぐ近くまで来れただけでもよしとしよう。周囲を見渡すとこれまでより明らかに若者が多い。香港大学の学生なのかもしれない。せっかくならこの辺りで昼ご飯を食べてみようか。いわゆる学生街で安くてうまい飲食店にありつけるかもしれない。朝たっぷりと食べたはずだが空腹感はある。しっかりと吟味してフードコート的なところにたどり着いた。老若男女で混雑している。期待とは少し違うが人気なのは間違いなさそうだ。そして今度こそお粥がありそうだ。食事で特別無理をしたつもりはないがこちらに来てから少しお腹が緩い。今度こそと思い、〇〇粥を注文したがワンタン麺が提供された。お粥の注文は難しい。お腹に優しそうだしまあいいか。おいしかったし。

堅尼地城駅周辺は特別な何かがあるわけではなかったが居心地はよかった。日本発というコーヒーチェーンで買ったコーヒー片手に散歩した。公園も充実しており腰を下ろしてゆっくりと過ごした。まだ昼過ぎであり、まだまだなんでもできる。この時点で30000歩ほどカウントしておりさすがに疲れが顔を出していた。次はトラムだ。このトラムもご多分に漏れず2階建てだ。香港島の北部を東西に走っている。さまざまな装飾は見ているだけでも楽しいし、確実に香港の原風景の一つといえよう。もちろん乗って2階に上がればメインの景色を堪能できる優れモノでもある。実際に乗り場に向かうと端っこだからといって線路がどん詰まりになっているわけではなかった。でもここから始まるしここで終わる。ついに降り出した雨とこの乗り場に旅情を覚えつつトラムに乗り込み東へ進んだ。

トラムはゆっくりと進んだ。そもそものスピードが抑えられているうえに停留所が多いためよく止まる。急ぎの旅は全く向かないが、体力を回復させつつ景色を楽しみたい今の私にはもってこいだ。すれ違う色とりどりのトラム、ずいぶんと目線に近くなった看板、過密に立ち並ぶビル群、まさに香港を感じながら進んだ。序盤は午前中に歩いてきたところを通る。違う高さから見るとまた違った趣きがある。無数の停留所を経由してゆっくりと進む。途中で日本人観光客らしき人が乗ってきて近くに座る。今回は話しかけられなかった。彼らもこの景色を楽しんでいるようだ。乗車前に降り出した雨は少し強くなってきた。窓は開いているが降りこんでくるほどではない。行き交う車を見ているとオープントップバスがいた。彼らは文字通り屋根がないのでこの天候では苦労しそうだ。案の定あまり乗客はおらず2階部分に1人しかいなかった。ただこの1人がなかなかの強者だった。カッパ着用のうえでGoPro的なものを持っている。そして歌いながら踊っている。当然トラムの乗客は彼に対して奇異のまなざしを向ける。しかし彼は強い。振り切っている。すごく楽しそうなのだ。雨なんてほとんど気にしていない様子で、この雨すら楽しみの一つと捉えていそうである。こうなるとこちらも楽しくなる。トラムの乗客は一様に笑顔になり私も思わず手を振っていた。プラスサムの幸せな世界がそこには広がっていた。

あいかわらず雨は降り続いている。1時間ほど乗っていただろうか。トラムは露店が立ち並ぶエリアを走っている。路線は生鮮品なんかも取り扱っており下町風の雰囲気だ。道路のぎりぎりまで店があるため線路との距離がめちゃくちゃ近い。白線も引いておりトラムが走っていないときは乗用車が走っているようだ。実に過密である。元気も戻ってきたので歩いてみることにした。春秧街というらしい。露店で傘を買って散策した。散策とはいうがけっこう立ち止まる。特にここはトラムと一緒に見たくなるようなところだったのでより多く立ち止まった。本当に香港は飽きない。すれすれを走るトラムを眺めながらゆっくりとした時間を過ごした。

まだまだ東に進む。地図によると2kmほど行けばモンスターマンションと呼ばれる複合高層ビルがあるらしい。住民へのプライバシーを守るため観光客の立ち入りが禁止されている時期もあったようだが今は何も制限はなさそうだ。行ってみよう。2kmを45分ほどかけてゆっくりと歩く。それらしきものが見えた。凹のような形でビルが建っており、へこんでいる箇所から見るとビルに囲まれたように映るようだ。さらに近くまで行ったがけっこう人が多い。これ以上行くのはやめておこう。雰囲気が味わえただけでも満足だ。近くの露店で朝食用にバナナを買ってその場をあとにした。夜も出歩くのでぼちぼちちゃんと休憩が必要だ。帰りはMTRを使って宿に戻った。

30分ほど休憩してまた行動を再開した。雨はやんでいる。次は九龍側だ。彌敦道をだらだらと北上する。今回は目的地すらない。歩くことだけが目的だ。辺りは少しずつ暗くなり、夜の香港が少しずつ顔を出す。どんどん減ってきているネオンサイン看板を楽しみながら歩く。路地裏という路地裏を攻める。その路地裏の一つに見覚えのあるものがあった。廟街。『深夜特急』で沢木耕太郎氏が毎日のように訪れていた場所だ。作中での生き生きとした描写と比較すると寂しいがまだエネルギーは残っている。できるだけ追体験したく、外で食事をできそうな店を探した。北海街というストリートと交差するところにフードコートっぽいところを見つけた。円形、ドーム型の建物にいくつかの店舗が入っている。円の中心部が調理スペースで、それを取り囲むように座席が設けられている。座席の一部は屋外にも広がっている。ここにしよう。手ごろな中華料理を出してくれそうな店のスタッフに話しかけて、自信をもって解読できた炒飯と麻婆豆腐を注文した。調子に乗ってビールも頼んだ。ブルーガールビールという瓶ビールだ。どれもしっかりとうまい。特に麻婆豆腐は花椒のしびれる感じがたまらない。ほどよい喧騒のBGMも申し分ない。疲れもあいまってちゃんと酔っていると私のテーブルに人が来た。客が増えてきたため相席になるようだ。推定40歳前後で後ろで束ねた男性だ。TRFのSAMに似ている。ネイティブっぽい中国語で注文をした。次は洗杯(飲茶や食事の前に客が自分の使う箸や食器を洗うこと)だ。そして彼のもとにもビールが来た。ここで店員に一言二言話しかけると店員はコップを持ってきた。慣れた手つきでそのコップにビールをそそぎ乾杯をした。粋だ。注文からの一連の流れすべてがかっこよかった。この光景を直接見ることができただけでも旅に来てよかったと思えるくらいのシーンだった。あの頃の香港、そしてあの頃の廟街は失われたのかもしれない。ただ、まだ人は生き残っている。香港、廟街、この店に来て本当によかった。

大変気持ちよくなっており、さらに飲み歩きたいところだが仕事を一つ残している。洗濯だ。基本的にはリュック1つで旅をするので服に割けるスペースが限られている。そのため2日目の夜にはもう洗濯だ。幸い宿にはコインランドリーがあった。いったん戻ろう。ぬるく湿った夜風を浴びながら歩く。確認するともう40000歩近くをカウントしている。観測史上最多記録更新だ。機嫌よく宿に戻った。しかし、ランドリーはすでに全部埋まっており、さらに袋を抱えて待っている人もいた。しゃーねーな。不思議と口元に笑みが浮かぶ。やったことはないがシフトに入りまくならないといけないバイトリーダーの気分だ。彼らは私に口実を与えてしまった。近くに諾士佛台と呼ばれるオープンテラス式のバーやレストランが集まる飲食店街があるらしい。早速向かった。このエリアは西洋系の雰囲気だ。この振れ幅が香港の一つの魅力である。ほどよい店に入り、だらだらとコロナビールを堪能した。

アルコール摂取はもう厳しくなってきたがまだランドリーは使えない気がしたので、酔い覚ましに手当たり次第に散歩した。見境なく1時間ほど歩いていた。ここまで歩くと気になるのは記録。確認すると50000歩を超えている。目標を設定していたわけではないがなかなかの達成感だ。疲労感はあまりないが明日以降も旅は続く。ここまでだ。身体を労わりながら宿に戻り洗濯に向かう。ずいぶんと人が減っている。デジタルで管理されている画面を見ると1つにavailableの表示。現物を確認すると洗濯物が入ったままだ。終わった洗濯物が放置されているのだろうか。日本でもよくある。寝落ちしたパターンまであるかもしれないと考えていると、近くにいるアフリカ系の方が「it’s mine」と。何が起きているのだろうか。拙い英語でコミュニケーションをとってみると、どうやら操作方法がよく分からずに途中でつまづいていたようだ。彼の代わりにやってみる。そこまで難しくない。ただ、決済が現金ではなくオクトパスカードやAlipayでやる必要があるようだ。改めて聞くとオクトパスカードは持っているが残高がないとのこと。早く洗濯をしたかったので代わりに支払って現金を受け取ることを提案する。いたく感謝された。その後も洗剤は必要なのか問題等は発生したが周囲を巻き込みながら解決し、ようやく洗濯にありつけた。洗濯だけでもいろいろ起きる。でもそれがいい。

3日目。実は今日で香港を離れる。といっても日本に帰るわけではない。マカオに向かうのだ。『深夜特急』が入り口だとマカオ、そしてカジノにもただならぬ魅力を感じる人は少ないだろう。私はその中でも狂信者といってもいい。この辺りは後述するとしてまずはマカオに向かう。マカオに行く方法としては大きく2つ。フェリーかバスだ。一応ヘリコプターでも行けるらしいが現実的ではないので割愛する。一般的な手段はフェリーで、数年前に港珠澳大橋という橋ができて陸路でも行けるようになった。未体験のバスにも興味はあったが乗り継ぎがやや面倒に感じたのでなじみのフェリーを選択した。フェリー乗り場は九龍半島にも香港島にもあり、軽く時刻表を確認すると、九龍半島にあるターミナルからほどよい時間の便があるようだ。酷使で少しずつ重くなってきた身体に鞭を打ち宿を出た。宿からは1kmちょっと。ゆっくり行っても20分くらいで着くだろう。しばらく香港のこの景色ともお別れだ。きょろこしながら歩いていると既視感のあるエリアに出た。九龍公園の南側、地図で確認すると数年前に泊まった宿がこの辺りらしい。記憶の波が一気に押し寄せてくる。この香港以外にも当時の日本での状況や考えていたことなど次々とあふれてくる。人の記憶ってのはいろんな感覚と結びついていることを実感する。たぶん足腰がダメになったらGoogleストリートビューで世界各地の風景を見て、あーってなるんだろうな。そのためだけじゃないけど身体の動くうちに五感をフルに活用してたくさん引き出しを作りたい。さらに歩みを進めるとこれまた懐かしい光景、エッグタルトの店群だ。エッグタルトはどちらかというとマカオで有名だが香港にもけっこうある。そしてこの辺りにはなぜか店が多い。確実に行ったことのある店もあったがここはあえて別の店を選ぶ。この店行ったなーという記憶からこの店行ったけど前回はスルーして別の店に行ったなーという記憶に変換できるからだ。最大限かっこつけて記憶の重層化といっていいかもしれない。温かいエッグタルトを頬張りながらターミナルへと向かった。

ターミナルについた。China Ferry Terminalというところだ。ネーミングがセンシティブであり本当にマカオ行きのフェリーがあるのかいささかの不安を抱えていたが、その不安はちゃんと的中した。中国本土に行くものしか運航していなかった。今回の旅で初めてネット情報に騙された。悔しいという感覚はほとんどなく、ようやくかという感じだ。私の旅がこんなにうまくいくはずがない。村上春樹氏も「旅先で何もかもがうまく行ったら、それは旅行じゃない」と自身の紀行文集で綴っている。ある種の納得感を抱きながらその場を去った。となればもう一つのフェリーターミナルに行く必要がある。香港島だ。お別れだと思っていた香港の景色をまた見ることができてうれしさすらこみ上げてきた。スターフェリーにまた会えるとは思っていなかった。予想外に発生したこのアディショナルタイムを時間いっぱい使い、香港島に移動した。Hong Kong Macau Port。今回は間違いないだろう。

無事にチケットを購入し乗船した。乗船時にチケットに貼られる座席のシールに旅情を覚える。天気はよくないが海上はあまり荒れていないようだ。数年前に乗ったときは台風が接近しており、船が揺れに揺れた。三半規管の強い人選手権をマカオでやっていたのかもしれない。乗客の大部分はこの荒天を楽しんでいた。平均以下の私には耐えられるはずもなく、周囲の歓声を聞きながら船内で盛大に嘔吐した。あのときに感じた過換気によるしびれと直前に飲んでいたコカ・コーラの匂いは今でもよく覚えている。あらゆる感覚を思い出に刻んでいるこのフェリーは今回は穏やかな船の旅を提供してくれた。快調にマカオに到着だ。

マカオはざっくり説明すると、中国と陸続きのマカオ半島とその南にあるタイパ島から構成されており、私はタイパ島にあるフェリーターミナルに到着した。これには明確な理由があり、それはマカオに新しくできたLRTという電車に乗るためだ。乗り物好きはここでも顔を出すのである。このLRTの駅はフェリーターミナルにもあって、ここが始発のようだがなかなか駅が見つからない。本当はないんじゃないって思い始めたくらいで運よく見つかった。次来たときは見つけられる自信がない。駅に着いてから比較的スムーズに乗車できた。ただ日曜の昼間にもかかわらず乗客はほとんどいない。少なくとも私の乗っている車両には誰もいない。収益構造は知らないが、次に来たときは本当に見つけらないかもしれない。揺られること数駅、路氹東駅で下車した。カジノ行脚の始まりだ。


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