われは海の子
重い頭を上げてベッドから這い出るも、近くのソファに吸い寄せられてそのまま二度寝、三度目を決め込んでしまう。起きてこれを書いてる今も頭がぼうっとする。
気分の落ち込みを、毎月のことなのでと昨日もどうにかやり過ごそうとした。ワーッとひとりで泣いてしまえばあとは上がっていくだけだ、と分かっているのに、泣けない。喉に栓がしてあるような息のしづらさが一晩続いて、寝た気がしなかった。自分のできなさを棚に上げて卑屈になって、余計息ができない。
それでも学校へ貸出期限の本を返しに行く。約束ごとは守りたいスタンス。クラスの友達が研究室に置いておいてくれたバレンタインのお菓子を回収して、私も家に帰って今週末の卒研発表スライドを完成させなければ、と学校を出た。
海にいた。帰り道、あまりの苦しさにどこか逃げ場所が欲しくてたまらなくなった。海辺で育った訳でもなければ特別何か思い入れがある訳でもないが、頭の中に突然浮かんできた提案に、いいね、今行こう、今行かなければだめだという根拠の無い確信があった。そういうのはだいたい当たる。思い立ったら歩調が早くなって、スーパーでお酒を選んでバスに飛び乗った。
浜辺についたらいくらでも泣いていいから今は我慢しようと言い聞かせてバスに揺られ、運転手さんに笑顔で挨拶をして降りた。
平日の夕方、誰もいない強風で荒れた海に泣きに来たはずなのに、缶を開けてひと口飲んだら笑いが出た。本当に何やってるんだろう。おかしくなんてないのに馬鹿みたいでおかしくて楽しくなってきて、デジカメでたくさん写真を撮ったり貝殻を拾ったりする。
大笑いしてでかい声で独り言を放つ最中、この一年どんなに酔っていても頑なに言ってこなかったひとことが飛び出た途端、さっきまでの爆笑が嘘のようにぼろぼろと泣いた。迷子の小学生も思わず引くくらいの勢いで声を上げて泣いた。同情するでもなく爆音を轟かせるだけの海に泣き声はかき消されて、涙は風に飛ばされて全部飛んで言った。海の何が好きかって、この安心するうるささなのかもしれない。ひとりなのにひとりじゃない感じがある。
波打際をひたすら歩いた。視界のあちこちで波が生まれている。寄せるタイミングと引くタイミングは基本全部ばらばらだ。それがたまたま重なると、近くまで海水が打ち寄せてくる。今回はきっとその時だったんだな〜と適当なことを考える。夕方五時の時報を大声で歌って、寒くなってきたので帰った。
涙で汚くなったメガネで見ても夕方の海はきらきらで本当に綺麗で、死んだらこれが見られなくなるのかと思うともったいないからまた生きて見に来よう、と思った。
結局今日もちゃんと息ができたり、できなくなったりしていた。まぁでも海の子だからしゃあないか。波のように生きていく。
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