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幻想鉄道奇譚 #6

 夜間中、牧歌的な路線をひたすら走る〈エンチャンテッド・スターズ号〉は、闇に紛れようとしているかのような濃紺一色の実に簡素な列車だった。

 重厚な黒い機関車が引っ張るのは、乗務員専用車が一両、その次に乗客用の個室をそなえた車両が五両続き、レストラン兼バーになるダイニングカーが一両、最後部に貨物車両が一両という八両編成。通常であればどの車両にも乗降口があるのだが、〈エンチャンテッド・スターズ号〉は機関車両と乗務員専用車両をのぞくと、乗客用の一号車にしかない。

 乗車したエイダンは、素っ気ない外観とは相反する豪勢な車両内に驚き、感嘆の声をあげそうになった。乗務員専用車とはいえ、一人用から四人用までの個室がつらなっており、ホテルのように部屋番号のプレートをさげたドアがついている。

「……すごいな」

 思わずささやくと、クーパーが肩越しに振り返った。

「一応、もとはグレートランド随一の豪華寝台列車とされておりましたのでね」

「えっ?……それは知りませんでした。でも、いまもそうなのではありませんか? 夜間を走っているわけですし」

 エイダンの素直な感想に、前を向いて歩くクーパーはそっけなく答える。

「……まあ、そうですな。たしかに」

 自分にあてがわれた個室のドアを開ける。豪奢なインテリア類が配された貴族の館の一室を、ミニチュアにしたかのような美しさだ。そんななか、真っ白なシャツに濃紺のスカーフを巻いた小柄な男性がいた。オールバックにした白髪とぴょんと飛んだ口髭が粋だ。六十代後半に見えるが、両手の甲には蛇の入れ墨がある。もしかして、軍隊経験者だろうか。

「パトリック。車掌見習いのミスタ・カミングスだ。ミスタ・カミングス、こちらはコック長のパトリック。ではミスタ・カミングス、荷物を置いたら乗客用の個室を確認しているレニーのもとへいき、指示をあおいでください。私は機関士と安全確認をしますので、これで」

 手早く紹介をすませたクーパーは、エイダンが礼をのべる前に自分の持ち場へ戻ってしまった。もはや不安しかないが、乗ってしまった船ならぬ列車だ。せめて一往復はのりきるしかない。たったの十日なのだからあっという間に過ぎるさという思いと、まだまだ遠いなあという思いが交差していく。なんにせよ、この先が思いやられてどうしようもない。

 個室は狭いが、二台のベッドは簡易なものではなく、きちんとベッドメイクがされていた。その下にトランクを押し込めたエイダンは、あらためてパトリックに向きなおった。

「エイダン・カミングスです。あの……僕はあんまり歓迎されていないみたいなんですが、とりあえず一往復よろしくお願いします」

 気弱さから自虐的な挨拶になってしまった。おずおずと右手を差し出すと、パトリックはベッドから腰をあげ、エイダンの右手を力強く握った。

「パトリック・ジョーカーだ。秘密めいたいい名だろ?」

「え? ええ、はい」

「偽名だよ」

「えっ!?」

「二十五の誕生日から使ってる名だが、誰も気にせん。ゲイル以外のみんなはわしを〝じーさん〟とか〝じじい〟とか好き勝手に呼んでるから、お前さんもそれでいい」

 鍛えられた俊敏さを感じる握手だ。皺のある手は大きく、爪はきれいに整えられていた。折り目正しいコックの手だが、入れ墨がどうにも気になる。それに偽名のことも。どちらにしても、まっとうな人ではないのかもしれない。エイダンがごくりとつばをのむと、パトリックが手を離した。その直後だ。

「じーさん、いつまで休んでるのよ。もしかして死んだ?」

 ノックもなしにドアが開く。

「なんだ、生きてるじゃない」

 パトリックと同じシャツに黒いスラックスという格好で、髪をひとつに束ねているすらりとした女性が言う。

「残念ながらまだお迎えがこん。いい加減、早くしてほしいもんだ」

 定番ともいえるパトリックのジョークに、女性は明るく微笑んだ。ややつりあがったブラウンの瞳が、快活かつ知的な印象を与える。エイダンの姉よりも年上に思えるので、三十代にさしかかっているかもしれない。こういった場所で働く近代的な女性を間近にしたのははじめてだったから、エイダンは頬をほんのりと紅潮させた。そんなエイダンを尻目に、凛として見える美しい人は目を丸くした。

「……あらら。もしかしてあなた、車掌コンビの新しい使いっ走り?」

 的を得た表現だ。エイダンが気弱な笑みで応えると、パトリックは朗らかに笑って肩をすくめた。

「そのようだ。しかし、ゲイルもレニーも新人をそれなりに迎えていたはずなんだが、どうしたことかこの若者を歓迎していないらしい」

「次々に辞めていくから、とうとう新人不信におちいったのよ。しかたないわ、ハードだもの」

 エイダンを見てにっこりする。

「あなたのせいじゃないし、あなたはなにも悪くない」

 そうなのか? そうだったら少しは気が晴れる……かもしれない。

「……ありがとうございます」

「なんにせよ、せめてわしらだけでも優しくしてやろうじゃないか」

 パトリックにバシンと背中を叩かれ、エイダンは前のめりになりながら女性に右手を差し出した。

「エ、エイダン・カミングスです。よろしくお願いいたします」

「副コック兼給仕係、それと車内販売もこなすゾーイよ。車掌コンビに歓迎されようがされまいが、彼らが仲間として認めた新人は一人もいないんだから、なにを言われても気にするだけ無駄だって教えてあげるわ」

「えっ?」

「そうさの。そのとおりだ、若者よ。お前さんだけじゃない」

 ごうっと蒸気のあがる音がした。はっとしたエイダンは二人にいとまを告げるやいなや、慌てて個室を出て狭い通路を駆け抜ける。

 お前さんだけじゃない。パトリックのその言葉が過去と重なって、エイダンの頭のなかをぐるぐると巡っていく。

 君だけじゃないさ、エイダン。君のような学生を、私は山ほど見てきた。しかし彼らはちゃんと卒業していったのだから、君もそうなれるはずだ。せめて一年、それが無理でもあと数年学びさえすれば、おそらく卒業〝くらい〟はできるだろう――。

「荷物を置くのに時間がかかりすぎる。君は愚鈍なのか」

 狭い通路でスミスとかちあい、言われてしまった。新人不信におちいっているとしても、どうしてこんなにもきつい言い方しかできないのか。あと一回嫌味を言われたら、今度こそ言い返そう! 礼儀は重んじるようにしているし、のん気な性分であることの自覚もあるけれど、さすがに意義を申し立ててもいいし、そうすべきだ。そんな熱い決意とはうらはらに、エイダンは視線を落とした。

「……すみません」

 乗客車両の一号車から五号車とレストランカーまで、スミスのうしろについて確認していく。やはりどの個室も、王侯貴族を招くかのような豪華さだ。こんなに美しい列車なのに、まるで人目をしのぶかのように闇夜を走っているなんて、もったいないように思えてくる。

 全車両を見まわり終えてから、一号車の乗降口に戻った。

「これからゲストが乗車する。迷っている方がいたら案内するのも僕らの重要な仕事だ。車内販売は二時間ごとにまわるが、レストランカーは明朝まで営業する。その旨を忘れずに伝えるように」

「わかりました」

「このあと君には、ゾーイの車内販売を手伝ってもらう。彼女の指示にしたがってくれ」

「はい」

「ゲストが落ち着いて列車が出発したら、僕とゲイルがチケットを確認して個室の鍵を渡していく手順だ」

 わかりましたとエイダンはうなずく。スミスの眼光が強まった。

「それから、僕とゲイルには守っている約束ごとがあるんだ。君にも伝えるから、理由を訊ねずにのみこんでくれ」

「えっ?」

 スミスがまっすぐに見すえてきた。

「インクと鉄の匂いをさせている乗客に気づいたら、必ず教えてくれ。気づくのは難しいかもしれないが、ものすごく重要なことなんだ。君の勘違いでもかまわないから、そう感じた乗客がいたら絶対に教えてくれ。確認はこちらでする。わかったか?」

 いったいなにを言っているんだ? 困惑するエイダンに向かって、スミスは念を押した。

「わかったのか?」

「えーと……そ、そう言われましても、わけがわからないと言いますか……」

「理由を訊ねずにのみこんでくれと言ったはずだよ。わかったのか、わからないのか、どっちなんだ」

 スミスが目を細める。その眼差しの鋭さに、エイダンはただうなずくしかなかった。

「わ、わかりました」

 これみよがしに息をついたスミスは、舌打ちせんばかりにつぶやく。

「……まったく、余計な荷物だよ……」

 僕のことだと、エイダンはすぐに察した。いったい、なんなんだ? 今度こそ意義を申し立ててやる! エイダンが密かに拳を握りしめた直後、最初の乗客が乗り込んできた。意義を引っ込めざるをえなくなったエイダンは、満面の笑みを浮かべたスミスの愛想のよさに目を見張った。その手のひらを返したような態度にさすがだなと感心する反面、もやもやとした憤りはますます増していくのだった。

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